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「ゆとり教育で学力が低下」は嘘だった?嘘じゃないでしょ?欧米模倣によって失われる日本の良さとは?教わっていないことがわかるわけない。ゆとり世代は被害者だね。

「ゆとり教育」とは、「学習指導要領の改訂により必修科目の単位数を減らして休みを増やし、子どもがゆとりある生活をすることを目指す改革。 知識暗記中心の授業を見直して体験型学習を導入したことも特徴」。バカなことを文科省も政府もしたものだよ。

鉄は熱い内に打て」って、昔から言われているでしょう?子供に「ゆとりある生活をすることを目指すなんて子供の本性を無視した目標

反復学習、いわゆる「詰め込み教育」で、基礎体力を付けさせないことには、「ゆとりある生活をすることを目指」して甘やかされた世代が増産されるばかりでした。

表を見てご覧なさいな。学習時間、内容で、ゆとり前後と差は歴然。

「『ゆとり教育で学力が低下』は嘘だった」は嘘だろう?事実、国内比較で、ゆとり教育世代前後と比較して、学力は低下しているんだから?言うのなら、

世界の教育制度と比較して、たとえ『ゆとり教育(世代)で学力が(極端に)低下』は嘘だった、でも、『ゆとり教育』とか欧米を見習った馬鹿馬鹿しい教育改革を行ったのは反省したほうが良い」ということでしょう?

やっぱり、「ゆとり教育」は失敗作で、「ゆとり教育世代」での(子孫を含めた)教育程度の永続的な低下は否めず、挽回は数十年かかる、ということでしょう。

私の過去記事でもそう述べました。

「45歳以上の学力は世界一」日本の詰め込み教育はむしろ海外で高く評価されている

「ゆとり教育で学力が低下」は嘘だった。欧米模倣によって失われる日本の良さとは?

「詰め込み教育で創造性が育たない」、「学校が楽しくない」など、欧米教育と比較して何かと批判されがちな日本の教育。しかし当たり前ですが、日本の教育にも良い面がたくさんあれば、欧米教育だって決して完璧というわけではありません。京都大学大学院准教授のジェルミー・ラプリーさん、国立台湾大学准教授の小松光さんは「45歳から54歳までの学力は世界一で、日本の授業は海外からも高く評価されている。新しい教育法を無批判に取り入れるのではなく、教育現場の現実から学ぶべき」と言います。お二人の共著から今一度考えてみませんか?



データから見えてきた日本の教育はダメじゃない現実

日本の教育においては、「知識がない」「想像力がない」「問題解決ができない」「昔に比べて学力が低下している」など、多くの否定的な通説があります。これらについて小松光氏は、PISA(15歳時点の世界の子供の学力を調査するテスト)やTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)などのデータを検証し、著書内にて次のような見解を述べています。

①日本の子どもたちは、基本的な知識という点では世界トップクラスである。
②知識を創造的に使うという点でも、数学と理科については、世界トップクラスである。ただし読解については数学や理科より劣り、先進国の平均的なレベルである。
③創造性を現実的な問題解決に活かす能力は、世界トップクラスである。
④学力格差に関して、基本的な事項を理解していない子どもは少ない。ただし、学力には社会階層の影響が認められ、他の先進国と同程度に不公平な社会である。
⑤大人になったときの能力は、世界トップクラスである。
⑥学力の一貫した低下傾向は認められない。

『直近のピザ(2018年)の結果で、日本の読解の成績が良くなかったことが、メディアなどで随分取り上げられました。ピザの読解の成績が良くないということは、日本の子どもたちは、ピザの問題に出てくるような文章を読むのが上手でないということではあります。しかし、その結果があらゆる意味で、文章を読む能力が低いということかどうかはわかりません。というのも、文章というのは文化によって相当異なるからです。さらには、文章の読み方もまた文化によって異なることが知られています。

もしかしたら文化の違いが、東アジア諸国の読解の成績に影響しているのかもしれません。(一部略)東アジア諸国は、数学や理科の成績ほどには読解の成績は良くありませんでした。これは、ピザのテストが欧米諸国の基準をもとに作られており、東アジア諸国の文化に完全には合致しないからかもしれません。ということは、ピザの成績をどのように受け取るかは、各国が「どのような社会を作りたいか」という問いと関連させて議論しなければならないということです。

つまり、東アジア諸国の一員として生きていくなら、あまりピザの読解のテスト結果を深刻に受け止める必要はないかもしれません。逆に、欧米諸国は今でも世界の重要な位置を占めており、欧米諸国の基準のもとでも日本は高いパフォーマンスを示さなければならないと考えるなら、ピザの数学や理科だけでなく、読解のテストでも良い成績を追求すべきかもしれません。』

また、「勉強のし過ぎ」「高い学力は塾通いのおかげ」「自分に自信が持てない」「いじめ・不登校・自殺が多い」「不健康」といった、“教育の代償”に関する通説も多くあります。この点についても、小松氏は著書の中で次のように結論を述べています。

①国際的に見ると勉強時間が少なめである。
②受験やテストに対して感じるプレッシャーの程度は、国際的に見ると普通である。
③高い学力を塾通いから説明するのは難しい。
④高い学力は、むしろ、子どもたちの学習に対する考え方や、先生方の授業のやり方によるかもしれない。
⑤勉強に興味をあまり持っていないが、これは「学び」のために必要なことかもしれない。
⑥自分の能力にほとんど自信を持っていないが、そのことが高い学力を支えているのかもしれない。
⑦国際的に見ると、学校が楽しいと感じている子が多い。
⑧いじめは国際的に見ると少なく、不登校も学業の修了という観点からは欧米のドロップアウトの問題よりは相対的に軽微である。
⑨10代の自殺率は国際的に見て中程度である。
⑩肥満の割合という観点からは、非常に健康である。

一般に何となく信じられているところでは、「日本の子どもたちは学校の勉強はできるけれども、あまり幸せな学校生活を送っていない」はずです。ところが、データはそうは言っていないのです。

明治期から生き続けている“キャッチアップ精神”

ではなぜ日本は、自国の学校教育に対してここまで批判的になってしまったのでしょうか? そこには「キャッチアップ精神」というものが大きく影響しているようです。

『日本は明治維新以降、西洋に追いつくことを目標にしてきました。このことは、たとえば福沢諭吉が明治期に著した『文明諭之概略』を思い出せばよくわかります。福澤はこの本の中で、欧米を文明状態にある国と位置づけ、日本をそれに対して劣ったものと位置づけています。そして、福澤は日本を欧米の水準に引き上げることを主張します。

このように、日本を欧米に対して劣位に置き、欧米の水準に引き上げようとする考え方を、ここでは「キャッチアップ精神」と呼びましょう。(一部略)

この「キャッチアップ精神」は明治期にだけにあったわけではなく、今もなお生き続けています。実際、戦後復興は明治的なキャッチアップ精神の上に展開しました。(一部略)

日本は戦争で、アメリカに完膚なきまでに叩きのめされました。ですから、戦争直後の日本では「日本はダメだ。アメリカから学ばなければならない」というのが基本前提となりました。つまり、敗戦によって日本は「キャッチアップ精神」を強化したのです。』

その「キャッチアップ精神」のもと、欧米からの“輸入品”として推進された教育政策がアクティブラーニング(生徒が受動的ではなく能動的に学ぶ学習法。具体的にはディスカッションやディベート、グループ・ワークなどを言う)です。しかしそこには、問題点もあるよう……。

『(一部略)キャッチアップ精神が生き続けているから、日本人はアメリカ人・イギリス人と比較して、能動性・自立性が欠けている(アクティブでない)と感じられるのです。そして、その欠落を埋めるために教育を変えれば、日本の子どもたちは創造的になり、最終的に日本の経済や社会が良くなると信じられているわけです。

この信仰がとても強いためか、アクティブラーニングはアメリカでは主に大学レベルの教育政策であるのに、日本では小学校から大学まで大々的に取り入れる方向に進んでいます。このようにアクティブラーニングは、元々の文脈から拡大されて輸入されているのです。

さらに悪いことには、日本はアクティブラーニングを輸入したことをすっかり忘れてしまっています。ですから、輸入元のアメリカでその後どうなったのか、調査も報道もされません。実は、輸入元のアメリカではアクティブラーニングはすでに下火で、今は「反転授業」という手法のほうが盛んです。これは、生徒があらかじめ教材を学んだのちに授業に参加し、教室ではより高度なディスカッションなどを行うというものです。

(一部略)日本の学校でも、2010年代から取り入れた事例がちらほら見られますから、日本が教育政策としてアクティブラーニングを導入して10年も経たないうちに、今度は反転授業を学校教育に大々的に導入しようとする動きが研究者たちから現れるかもしれません。その頃、アメリカでは反転授業はどうなっているでしょうか? もしかしたら落ち目になっているかもしれません。』



アメリカ模倣によって失われるかもしれない日本の良さとは?

しかしもはや、日本の教育はアメリカに比べて劣っているとは言えません。それでもなぜ、模倣を続けるのでしょうか? 私たちはその理由について考える必要がある、と著者は述べています。

『それでも、次のように言う方もいるかもしれません。「アメリカは経済が強い。アメリカの学校教育の良さは、その経済が証明済みだ」と。

(中略)

世界銀行の最新データセットによると、アメリカの国民1人当たりの国内総生産は、データが得られる187の国と地域のうち9位です。日本は30位です。アメリカ経済の強さについて、アメリカの学校教育がその主要因だとは思いませんが、まったく無関係ということもないでしょう』

 しかしこの「経済が強い」という主張も、観点を変えると一概に合っているとは言い切れなくなることを、著者は指摘しています。

『1人当たりの国内総生産は、1人当たりの生み出した富の総量ですから、国民1人が富を生み出す効率を評価しています。たしかに効率も大事ですが、得られた富が平等に配分されているかも重要です。そして平等性という観点からすると、日本はアメリカよりもかなり良いのです。
 
(中略)

アメリカは、データのある35の国と地域の中で、平等な方から数えて34番目です。つまり、2番目に不平等な国です。日本も平等な方から数えて22番目なので、決して平等とは言えませんが、それでもアメリカに比べるとかなり平等です。余談ですが、日本は、(一部略)1990年代にはかなり平等でしたから、この20余年でアメリカに近づいてきているとも言えます。

経済的側面だけでなく、より広く社会的側面を見てみると、アメリカが問題を抱えていることは明らかです。平均寿命、乳児死亡率、精神疾患、薬物・アルコール依存症、犯罪のいずれから見ても、日本はアメリカよりもずっと良い状態にあります。

(中略)

もしアメリカの学校教育に学ぶことで日本経済を活性化できると考えるならば、同時に、アメリカの学校教育に学ぶことで、日本の経済的平等や社会的安定性が著しく損なわれる可能性についても考えなくてはならないでしょう。(一部略)

誤解しないでいただきたいのですが、決して「アメリカから学ぶのが誤りである」と言っているのではありません。アメリカから学ぶべきことはきっとあります。それは、ぜひ学ぶべきです。私たちが言いたいのは、自分たちが何を学びたいのか、そして、それはどこの国から学べるのか、学ぶことでどのような作用と副作用がありうるのかを現実に即して考えようということ。そして、そういう現実的な側面を考えずに、アメリカをただ模倣するのは危険だということです。』

私たちは海外の教育から、どんな目的で何を学ぶべきか? 現在の日本の教育でいいところはどこか? 現場のデータから、今一度見極める必要があるように思います。

フランク・ロイドのエッセイ集



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