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縄文海進と古神道、神社、天皇制(13) ー 創建年代順に並べた神社
日本史では、崇神・応神・継体以前の天皇は実在したかどうか怪しいと言われています。とすると、正確な西暦に換算できませんが、古事記によると、崇神天皇の没年は戊寅年(西暦258年または318年?)です。生年はおそらく2世紀後半から3世紀前半でしょうか。崇神天皇は第10代天皇です。しかし、3世紀前半の卑弥呼よりも前に生まれているなどありえませんよね。それ以前の天皇は実在しなかった。あるいは、天皇家と縁もゆかりもない地方の王族・豪族を天皇と同等化したものなのでしょう。
そこで、ちょっとした年代史を作ってみました。『神社を創建年代順に並べた』から拝借して、神社の創建年代順に表を作成しました。天皇の在位年と西暦の換算は『上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧』を元にしました。
そうすると、これまた実在が疑われている神功皇后以前(西暦240年)以前の神社の創建年月は疑わしい。しかし、神社としては古社に属するのですから、数百年の誤差があってもほぼこの順番で創建されたのではないかと推測します。
ただし、創建したのは、天皇家ではなく、神道の神社としてでもありません。天皇家と縁もゆかりもない地方の王族・豪族が創建したのかもしれず、それ以前から縄文アニミズムの古神道の神社として崇められていたものかもしれません。弥生人とも関係なく、縄文人が創建したものがほとんどなのでしょう。
神代の時代に創建したと言われる大神神社、住吉神社、日吉大社、諏訪大社、出雲大社、熊野大社、表を見ていただけるとわかりますが、ローマ帝国建国よりも古いとか、中国の周王朝よりも古いとか、そんなはずはないだろ?と思います。このシリーズで何度も出てくる鹿島神宮、香取神宮の創建が紀元前660年、643年と伝承されていますが、せいぜいあったのは、要石(かなめいし)をめぐる村のお社程度だったのでしょう。釈迦、孔子生誕以前に日本にそれほどの文明・文化があるはずもなく。ただし、縄文海進の頃から、要石(かなめいし)のような場所を縄文人が祀っていたのでしょう。
そう考えると、大陸・半島からの弥生人の流入、弥生文化の影響がない、日本古来からのオリジナルの古神道がたしかにあったと言えるのかとも思います。
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