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布施明の「カルチェラタンの雪」の素晴らしさ・面白さを語るだけの記事

布施明さんの歌う好きな曲は山ほどありますが、その中でも特に上位に入る「カルチェラタンの雪」。今回はその魅力や小話を勝手に語ります。まだまだ布施明歴が浅い私ですので、ご意見・ご感想があればぜひコメントやTwitterへお願いします!

まず、「カルチェラタンの雪」とは

作詞:門谷憲ニ 作曲:岡本一生。

リリースは1979年12月21日(シングルA面、B面は「LANA」)の曲。

オリコン最高位は52位。それほど高順位ではなかったのが不思議。

魅力その1:メロディー

ゆったりしていながら悲しげな、冬の雪が降る景色が見えてくるようなメロディー。元気が出る曲というわけではないですが、うっとりとした雰囲気に包まれます。

魅力その2:物語性

この曲、歌い出しの歌詞が「悪かった もう泣かせたりしない」で始まります。

何があったの?と引き込まれます。そのインパクトたるや。

そして聴いていくと、男性が女性を迎えに来たと分かる。「寒かった 夜ひとりで寝るのは」で女性は多分男性から離れて少なくとも一日以上経ってることが分かる。…ますます何があったか気になる。

何があったかは結局語られないのですが、そこが逆に、聴き手に想像の自由を与えています。

そうしてふたりは雪の降る中一緒に歩いていく。その後どうなるのかはやはり語られないまま。

魅力その3:演技(ライブ限定)

特に2000年代後半〜最近のライブバージョン(DVDまたはブルーレイで残っているのは50周年コンサート、2017-2018年ツアー)でみられるものですが、歌いながらの演技(といっていいと思う)がこの曲を5分弱のミュージカルに仕立て上げています。布施明の曲の中でもひとりミュージカル度がかなり高い。

特に私の好きな仕草は以下。

・女性にコートを着せる仕草

・口づけの仕草

・ジャケットをコートに見立てる襟を立てる仕草

・タバコに火をつける仕草

・タバコを持ち替える仕草

・女性に自分の腕を取るように促す仕草

あなたの好きな仕草が、きっとあるはず。どんなものなのか観てみたい方はぜひ、動画検索またはDVD・ブルーレイのご購入を。

私の中でダントツに好きなのは2021年6月6日に行われた55周年ファイナルツアーコンサート(@東京国際フォーラム)のときの映像なんですが、これは先日WOWOWで放映されたもののまだDVD化されていないです。ぜひ発売してほしい。

魅力その4:ファッション

夜のヒットスタジオという音楽番組で歌った時(1979年、1980年)だと、ベレー帽+革ジャン+サングラスという「どうやったら合うん、これ」なファッションがあります。でも、不思議と着こなす布施明。(本記事冒頭の写真がまさにこれです。)多分彼しか着こなせない。

あとは2010年代以降のライブDVDなどで観れるジャケットで歌うバージョンが主になりますが、ジャケットだと襟を立てる仕草があるのがお得感ありでオススメです。

あと2017-2018年ライブのブルーレイ版ではマフラーを着けています。冬感を出そうとしたんでしょうか。(ただこれはちょっと暑そう。)

魅力その5:声質、歌詞違いなどの聴き比べ

まずリリース直後のものは高音で綺麗な透き通るような声。ネットなどで確認できる2000年代後半〜最近は低音寄りに聴こえる落ち着いた声。どちらでも素敵です。

そして歌詞違いのバージョンがあったことはご存知でしょうか。先にも話題で出した「夜のヒットスタジオ」の1980年4月28日回で確認できます。具体的には、

「雪がふる 鐘がなる くちづけは歩きながら カルチェラタンの 哀しい灯りが凍りつかないうちに」を

「愛がある 夢がある くちづけは歩きながら カルチェラタンの 優しい灯りがともる ふたりのために」に変更しています。

理由はオンエアが4月だったから、「春っぽく」するためだったらしい。ほんと?

論考:「いえ」なのか?「うち」なのか?

と、これだけ魅力のあるカルチェラタンですが、時々見かける論争があります。何かというと、一番の歌詞の「抱き合って家に帰ろう」の「」を「いえ」と歌っているか「うち」と歌っているか、という話です。ちなみに当時リリースされたEPレコード(最近勢い余って購入)についている歌詞カードには「家」と書いてあるので、どちらの可能性もあります。

ベスト盤に入っているリリース当時のものとみられる音源(おそらくレコード音源)や、リリース前後に出演している「夜のヒットスタジオ」では「いえ」と歌っています。一方、YouTubeなどで確認できる2000年代後半〜最近のバージョンは「うち」が多い。

間違って「うち」にしたのか?と最初は思っていたのですが、それにしては「うち」バージョンが少なくとも2008年以降で8回確認できているので、これは敢えて変更した、と言って差し障りないと思います。(ちなみにその中には、50周年にリリースされたセルフカバーアルバム「布施明 50周年記念セルフカバー プレミアムセレクション ~思いの丈 すべて込め~」のバージョンも含まれます。)

では、なぜ変えたのか?勝手な説ですが、2つほど挙げていきます。

説1:「うち」の方が発音的に歌いやすいから説

ちょっと音声的な観点になりますが、「うち」と「いえ」アルファベットでそれぞれを表記すると

「いえ」バージョンは " ie "

「うち」バージョンは "uchi "

となります。ここで分かるのは、「いえ」は母音の連続(iとe)になっているということ。連母音、と言うそうです。

ざっと調べた範囲ではありますが、連母音は、後ろの音を消しがちなものなようです。例えば「昨日」はアルファベット表記すると "kinou"で、母音のoとuが連続していますが、発音するときは普通「きのー」と"o"の音を伸ばして皆さん言っていると思います。(これは「連母音の長音化」と言うそう。)

参考:http://www5a.biglobe.ne.jp/accent/kana/nigou309.htm など

つまり、「いえ」だと消えがちな後ろの音を強めに意識して歌わないといけないことになるわけです。ためしに「いえ」で歌おうとすると、確かに「え」をちょっと強めに言わないといけない感じがします。

一方、「うち」は母音の連続がなく、こちらで歌った場合は「いえ」に比べると、「う」の後の「ち」をそれほど意識して強く発声しなくてもよく、歌いやすいように感じます。

そこで歌いやすさをとって「うち」にした、というのがこちらの説です。

とはいえこれはあくまで私の感じたところなので、音声学とか発声などを学ばれている方のご意見があればぜひいただきたいところです。

説2:「うち」の方が2人の関係性をより適切に表すから説

突然ですが、これを読んでいるあなたは「家」を「いえ」と読む時と「うち」と読む時、どう使い分けていますか?

気になって調べるうちに参考になるサイトがありました。

こちらによれば、「いえ」は物理的な意味合い(家そのものを指すニュアンス)が強いが、「うち」は家族や家庭など心理的ニュアンスで使われ、親近感があるように聞こえる、とのこと。

布施明も最初は「いえ」で歌っていたが、歌っていくうちに、登場する2人の関係の親密性を表すには「うち」がより自然である、と考えて変えたのではないでしょうか。

布施明は言葉へのこだわりが強いという話が時々聞かれるので、説2が今のところ私の中では有力かな?と思っていますが、ぜひみなさんも別の説やご意見があれば教えてください!

余談: 「モンパルナスのともしび」は「カルチェラタンの雪」の続編?

最後に、これは余談ですが、2018年5月9日リリースのアルバム「WALK」に、「モンパルナスのともしび」という曲があります。

これは作詞が「カルチェラタンの雪」と同じ門谷憲ニさん。だからかと思いますが、世界観や曲の感じが似ているように感じられます。

ちなみにカルチェラタンはパリの学生街、モンパルナスは同じくパリのビジネスと商業の拠点らしいです。(Wiki調べ)

カルチェラタンが学生の時のお話で、モンパルナスがその後の話、として歌詞を見ながら聴くと面白いです。あくまで一解釈ですので、お好みで。

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いかがでしたでしょうか。一曲だけでこれだけ語ることがある曲も珍しいと思います。まだの方はぜひ一度聴いてみてください。

布施明好きでもこの曲はそんなに聴いてなかった、という方は、ぜひこれらの点にも注目して再度聴いてみてくださいね。

それでは、また。


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