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別れ

「あの時こうすればよかった」と思うことはたくさんあるけれど、大切な人との別れほどそのことを強く思うことはない。

職場の先輩が退職した。その人は、僕を一番最初にクライミングに連れて行ってくれた人で、漫画の記憶力がものすごくて、よく冗談をいう人だった。

普段は太陽みたいな人だが、クライミングのことになると目の色が変わった。誰よりもクライミングに詳しくて、岩場やクライマーの知識はものすごかった。もちろん登りも美しくて、「川の流れのように登るのが理想」と言っていた。

そんな先輩が突然2ヶ月の休みをとったのが、昨年の8月のこと。仕事を休んで関西の実家にもどった。

ちょうど夏休みだった僕は、何も知らずに「今度関西に行くので、岩場連れてってくださいよー」と言って、一緒にクライミングに行った。その時は先輩がなぜ実家に帰ったのか知らなかった。

聞くところによると、先輩は心の風邪を引いてしまっていたらしい。そんなことも知らずにのこのことやってきた後輩を、先輩はいつも通りに明るく迎えてくれた。岩場に向かう車中はまじめに語り合い、岩場では全力で課題に向き合った。とても楽しかったし、またいつでも先輩とクライミングができると思っていた。でも、その日が先輩との最後のクライミングになってしまった。

2ヶ月後、先輩は職場に戻ってきた。けれど、僕は先輩の状況を知っていたので、なかなか声をかけられなかった。というか、どのように接すればいいのかわからなかった。クライミングの話をしてもいいかすらわからなかった。先輩も先輩で、仕事が終わると真っ先に帰るようになってしまっていた。

こちらから話しかけて、先輩に微妙な反応をされるのを恐れていた。そんなことをしたら、大好きな先輩ともう二度と一緒にクライミングに行くことができなくなってしまう、そんな気がしていた。

そうして1ヶ月ほどがすぎたある日、店長からその先輩が職場を去ることを聞かされる。まったく心の準備をしていなかったので、受け身もとれずにその衝撃を正面から受け止めることになった。とてつもなく寂しかった。

それでも僕は先輩に話しかけることができない。なんと声をかけていいかわからない。

そして今日、先輩は仕事を辞めた。

別れるその日になってから、「もっと話をしておけば」と強く思う。せめて退職すると知ってからの数日間、色々なことを聞いておけばよかった。クライミングのこと、岩場のこと、先輩のロックトリップの話、、、語りたいことはまだまだたくさんあったけど、気づいた時にはもう遅かった。

今、目の前にいる人が明日も当たり前に自分の前にいるとは限らない。話したいことは今話し、伝えたいことは今すぐに伝えなきゃだめだ。

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