やりたいことを全力で応援してくれる下川は人付き合いもバランスのいい距離感|しもかわ人名鑑
今回は下川でのリアルな暮らしぶりを町内の方にお話ししていただく、しもかわ人名鑑。今月は都会を離れて、学生時代から興味をもっていた下川町に、昨年秋に移住してきた大松直矢さんです。
(取材日:2022年3月)
通勤時間片道2時間から5分で変わった暮らし方
昨年10月から観光協会で働き始めて5ヶ月、移住前とは全然違う生活をしています。
以前は北海道内で一番救急車を受け入れる札幌の病院に勤めていて、本当にハードでしたね。
遠い場所だと片道2時間の旭川や日高まで救急車に乗って迎えに行くようなこともあり、シフト制で生活リズムもバラバラでした。
通勤にも片道90分かかり、このままの働き方では潰れてしまうかもしれないと危機感を覚え、もっと自然が多いところへ暮らしを移すことを考え始めたんです。
病院の前に勤めていた消防官時代には、医療行為以外にも消防車の運転から事務仕事、動画の作成など幅広く行っていたこともあり「消防官らしからぬ仕事をやっていたくらいだから、業種が変わっても大丈夫」と妻に背中を押され、下川町の観光協会を受けることにしたんです。
観光協会の仕事や家にもご縁があり、とんとん拍子に1ヶ月ほどで下川へ移住しました。
今は通勤に5分ほどしかかからないこともあり、妻より先に家に着くので、子どもと妻が帰ってくるまでに夕ご飯作りなどができるようになりました。
また、職場での呼び名も「救命士さん」から「大松さん」に変わりましたね。
職種ではなく自分自身を頼ってくれているようで、自分のことをとても前向きに捉えることができるんです。
定年後に住みたい町だった、下川町
もともと定年後は下川町で暮らしたいと妻に話していました。
隣町の名寄で生まれ育ち、下川商業高校に通っていたんですが、所属していた写真部で卒業式や最後の授業の撮影を任せてもらえていて。
また、陸上をやりたいと相談したら兼部の許可が出たりと、当時からやりたいことを全力で応援してくれる風土を感じていました。
僕は下川商業高校が廃校になるかもしれない!という危機がある時に通っていたのですが、「おいでよ、下川商業」と背中に書いたTシャツを着て、名寄でもどこでも歩いてね。
「町の危機はみんなでどうにかしよう」というマインドを強く感じました。
町に対しても町民自身で盛り上げる意識があり、当時から町民企画のイベントがたくさんありましたよ。
そんなこともあり、下川は憧れの地域でしたね。
実際に移住すると、以前より挑戦している人が増えたように感じました。
10年前には知らなかったけど、自然を活かしたアクティビティや教育など、力を入れている分野も多くて驚きました。
のびのびと自分らしくいれるバランスの距離感
下川にはなんでもあるわけではないですが、例えば余った野菜のお裾分けなど、お互いに声をかけあう暮らしを感じることができます。
お節介さはないのに、人が少ないからこそ誰かの役に立てる、距離感のバランスがいい町ですよね。
下川って顔が見える間柄が多いと感じていて、その分頼られることや名前で呼んでもらえることも多いんです。
移住前は消防隊の経験があるので地元の消防団にもほぼ強制的に入ることを覚悟していたのですが、意外にもサラッと声をかけられたくらいで、しつこい勧誘はなくて。笑
でもアイスキャンドルミュージアムの企画委員会など、助けを呼んだらみんな集まってくれるんです。
無償なのに「町に必要だから」と集まってくれるのは、本当にすごいですよね。
子どもにはのびのび自分らしくできる下川で、自分のことを好きな大人になってほしいです。