[読書感想] エーリッヒ・フロム - 愛するということ
エーリッヒ・フロム 愛するということ
読後感は虚脱。
彼の主張にはドイツ人っぽさというか、キリスト教の概念が深く刻まれていて自分には合わない事が良くわかった。
また、彼のいう「愛」とは博愛、自己犠牲に基づいていて現代社会のギブアンドテイクの理念とは衝突を起こしがちな概念に見える。それを後半でフロム自身も指摘している。
しかし、それが現代において無駄な話なのか?
これに関しては現代でも非常に有益な本だと感じた。
少なくとも彼のいう「愛」が現代には不足していると思う。
しかしこの本に書かれている内容を理解するには相当なインテリジェンスが求められるようにも見える。
もしかすると私自身も誤解しているかもしれない。
本書内で一番特徴的な部分として、この点については多くの現代人に欠けているものだと感じた。
「愛とは内的にも外的にも能動的であり、技術であるから習得するための努力が必要だ。」
私の言葉で言うならば他人に関する関心、理解しようとする努力が現代人には欠如してしまっているように常々感じている。
これは、観察し、自分の中で咀嚼してみる行為を繰り返し行わなければ決して手に入らない技術だと思う。
「タイパ」に代表される現代の人々の拙速さは、目を覆うような結果を生み出している気がする。情報量は確かに多い。しかし致命的に浅い。
その情報が、何を目的として作られ、実際に何を世間で行っているのかについての試行が行われる前に、次の情報に目移りしてしまっている。
これは人対人の関係にも当てはまり、コミュニケーションの絶対数や方法は増えてきたのに、それを深く観察して思考する機会は減っているように思える。
自分は日常から「なぜ?」を問いかける事を止めないように心がけているが、それでも他人が発している機微を見逃してしまう事が多いと感じている。
さて、ここまでは内面的な愛への取り組みの話だ。
外的な愛とは何だろう?
これもやはり洞察、深い思考からしか生まれてこないのではないだろうか?
昔々に道徳の授業で習った、もしくは宗教の場でも習うかもしれない言葉がこれだ。
「他人の気持ちになって考えてみましょう。人が喜ぶことをしましょう。嫌がることはやめましょう。」
これはとてもシンプルな事だが、非常に難しい。
そして、当たり前だが与えた物が、同じ価値で自分に返ってくることはない。
それを当たり前の事と捉えて、それでもなお与え続ける事が愛らしい。
人に貸したお金は返ってこない事が多いし、良かれと思って彼・彼女に行ったことは、同等の満足感を相手が返してくれることは稀だ。
そんなことを続けていたら、破滅するまで自分の全てを誰彼構わず与え続けなければならないのだろうか?
残念ながらフロムはこの問いには答えていない。彼はただ「困難だ。そしてそれでもなお愛は必要だ。何故なら人間は本質的な欲望としてそれを求めているから。」とだけ語っていた。
物々交換の時代まで世界を巻き戻しても、この問題は生じてしまう。
貨幣、もしくは言葉が生じる前まで戻れば我々は愛を取り戻せるのだろうか?
少なくとも資本主義的な現代の中で、愛を与えたり受け取ったりしながら生きていくことには困難が付き纏うだろう。
経済について例えてみよう。
例えば牛丼や、数十円で買える駄菓子だが、自分で作ってみると決してその値段では作れない事が多いのではないだろうか?
また、それを一般的な価格で提供したいと、苦労して作ってみてもなお感じるだろうか?
大体においては否だと思う。
そして、多くの人は「もっと安く、大量に欲しい」と感じるのではないだろうか?
この不均衡は対人関係にも大きく影響を与えている気がする。
私は時折、たったこれだけの価格で駄菓子や牛丼を買えることに感謝しなければならないと感じる。また、大量生産により生じた本来の価値と価格の差に愕然とすることも多い。そのギャップが大きいほど、人類は愛と感謝から離れていってしまうのではないかと考えるからだ。
話が拡散してしまったが、愛というものが私たちを包む全てに向かう物だとしたなら、やはり経済における人間性の変化についても無視はできないと思う。
フロムの説によれば、愛は対価を求めてはならない。愛は与えるべき相手、与えられれるべき自分、という物も選り分けてはならないという。
果たしてそれは、成立するのだろうか?
という虚脱感を感じながら読み終えた。
しかし、彼の指摘する「愛は自然に湧き起こって成熟していく物ではない。修練と忍耐が求められる。」には合意。
落ちる恋愛と、決断して実行する愛には明確な違いがあると思う。異性愛と隣人愛を混ぜると混乱するが、本質的には同じ物だと思う。
お見合い結婚の方が安定した関係が続き、恋愛結婚では最初に落ちた穴から這い出た後に見える相手の本来の姿とのギャップを乗り越えられずにギブアップしてしまうのも頷ける。
落っこちた穴の中で弄り合う愛も魅惑的で美しいけども笑
「この人を愛し続けよう」とフラットな状況で決断した方が、長続きしそうな気がします。
それは残念で残酷なことではあるが、やはり人がしっかりとケアできる相手は、5 - 10人、能動的に助け合える人数は精々100人程度ではないかと考えている。
だとすると、小さな孤立した村で生きているのでなければ、選別をしながら誰を愛して誰から愛されたいのかを選びながら生きていくほか無いのではないかと思う。
こういった思考をするきっかけを与えてくれたので、この本は良書ではないかと自分は感じた。
以上。