行き着く場所が見えてなくても(6)
一応、拒否はできる
しかし、中隊の廊下の、階段の踊り場のような、通る人が誰でも目に入る位置に
「栄光 幹部候補生合格 ✕✕一士(当時の階級、下から2番め)」と朱書きの筆文字ででかでかと貼り出されてしまった
父親に幹部にはなりたくないと電話で相談したが、それはお前の勝手だが拒否したらお前には一生この家の敷居を跨がせない、と、最近ドラマでも聞かないような事を言われた
別に家に帰れるかどうかはどうでも良かったのだが入隊するにあたって私物を持ち込める量に限りがあり、けっこうな数の書籍を置きっぱなしにしていたので、それを持ち出せないのは嫌だな、卒アルとかもあるしな、と、そういう理由で翌年の2月から渋々幹部候補生学校に進むことを決めた
家族だったり教育隊だったりそういう関係者の中から幹部が出るというのは相当名誉なことであるらしかった
新隊員前期教育のときの班長が部内電話をかけてきて、トルコライスを食べているときに隣の大卒にあのときのドライバーが話したのと同じような幹部の心得みたいなものを延々喋ったが聞く気もなかったので全く覚えていない
1年間の幹部候補生学校の暮らしは、思い出したくもないぐらい嫌で嫌で嫌で嫌なものだった
古臭い価値観が未だに根強く残り、やっとワープロ専用機が個人でも持てる価格になって緩やかにIT化が進み始めた頃だった
カネだけはあったので週末は割と派手に遊んでいた
将来のことを真剣に話たりするレベルの彼女もできたが、転勤でどこに行くかわからないことになる暮らしに彼女を一緒に振り回すのは気が進まず、あまりきれいではない別れ方をしてしまった
任官初の勤務地は札幌だった
一応元カノには札幌に行くことを伝えた
元カノは福岡空港まで見送りに来てくれた
お互いに何か言わなければならないことがあったのだが、どちらからもその言葉は出ず、それっきりになった
札幌での幹部自衛官としての暮らしも退屈な頭の悪いものだった
2年後に滝川という、大した産業もなく生滅危険都市とかいう言葉がまだない頃に既に近い将来に市ごとなくなる場所だと言われていてそれを回避するために自衛隊を誘致したという何を考えているかわからない土地にある駐屯地に勤務した
ここの年上の部下にはとんでもない変わり者がいたのだがその話はいつか機会があったら話そう
そんな感じでイライラとストレスを溜めながら2年後に十勝の駐屯地に転勤し、仕事は適当に茶を濁し北海道での遊びを満喫することにシフトし、結婚もした。
そして、7年半北海道で暮らし、突然長崎の駐屯地で勤務することになった
正直ほとんど業務らしい業務はやってきていない
優秀な部下たちが全部やってくれた
私は意図してのお飾りだった
そのお飾りである自分に十分満足していた
他の人達は努力して業務を頑張り、地域の人達や地元のOBたちとの人間関係を必死になって構築していた
しかし幹部自衛官は3年で転勤になる
転機する地域が近隣ならばともかく、北海道からいきなり長崎になるようなことも起こる
正直、時間の無駄だと思っていた
古い価値観の他の幹部たちからはあからさまな誹謗中傷を受けたが、自分よりも程度の低い連中の言うことをいちいち聞いていられないので
3年でコイツラとの縁はなくなる
3年でOBたちとの縁もなくなる
と、やり過ごすことで自分を見失わずに済んだ
やがて、市ヶ谷の本庁での、コンピュータ関連の部署での勤務のサジェッションが来た
すぐに応募して、すぐに決定された
やっとこさ私が得意とする分野の業務が回ってきた
ところが、前任者が自衛官もバカだと思うようなバカだったので、個人のセンシティブ情報が誰でも自由に見られてしまうようなシステムを作ってしまっていて、もう後戻りできなくなっていた
私は3年間、顔を真赤にして陸幕とやりあった
まだ個人情報保護法がなかった頃だったので、法的な根拠はない
根拠がないと動けないバカたちには私の進言は全く届かない
結局、こいつうるさい、と統幕のコンピュータセキュリティ部門に飛ばされた
意図して仕事をしていなかった頃はそれなりに快適な勤務だったのだが、ちゃんと仕事らしい仕事をするようになったところでまた周囲のバカさと関わり合わなければならなくなってしまった
今回はバカであっても上官だ
頭の良し悪しは階級に上書きされた
バカにシンクしてお気楽に生きている方が遥かに心地よかった
頭の良さを出した途端にバカどもに袋叩きにされた
やってられっか、と心が折れかかったところでの転勤話だった
気に食わないやつと同時に同じ場所への転勤になったのだがここを離れるほうが遥かに得策だと思って受けた
私が飛んだ後、私の分野の後任は配置されなかった
どうやら本当に個人情報ダダ漏れのまま運用を開始するようだった
統幕での勤務は実に楽だった
3年近く、毎日ぼんやりとネットワークの監視だけしていればよかった
特にインシデントが起こることもなく、一緒に勤務していた連中は定年までここでいいというのもいた
そんな中、陸幕の人事から個別の面談があった
幹部自衛官として、これからどのように進んでいきたいのか、と聞かれた
一般的には、ここで陸幕に行き全国を相手に規則の改正をしたり新たな業務を制定したり、という道筋と、部隊の指揮官としての専門教育を受けて第一線を渡り歩く、の2パターンが考えられる
事実上これ以外の選択肢はない
私は、どちらも嫌だと言い放った
陸幕の人事の担当者はぽかんとした顔をしていた
強いて言うなら、コンピュータ関連の第一線にずっといたい、業務はこれからどんどんコンピュータ化される、部隊のことを知っていてコンピュータがわからない人たちと、部隊を知らずにコンピュータは分かる人、が今は混在している状況だ、部隊経験もありコンピュータにも明るい私のような人材はそちらの方面に進むべきではないか、第一いま陸幕で動かそうとしている指揮システムの中に個人のセンシティブ情報がダダ漏れになってしまう設計のまま走り出しそうな部門があるではないか、今はまだないが今後個人情報は法律で厳しい取り扱いが求められるようになる、それを理解しているか理解していないかでシステム化のスピードは全く変わる、システムが重要だと思うならばそういう道筋を一つ作っておくべきだ
力説した
担当者は途中から話は聞いていないようだった
私は田舎の部隊に転勤になった
田舎とはいえ一応はコンピュータの第一線の場所だった
そこで、個人情報保護法ができた
当時の陸幕の連中が雁首揃えて田舎の駐屯地の私のところに来た
個人情報保護法が制定されたので、それに対応したシステムの設計をやり直したい、ついてはもう一度システム設計の責任者として戻ってきてはもらえまいか
私の当時の階級からしたら暴言を吐いていい相手ではなかったのだが、言い終わる前に
断る!
と突っぱねた
相手はいくつも階級が下の私に丁重に依頼をしてきたが、
私が進言したときから設計を始めていれば今頃ちゃんとセキュリティの通ったシステムは完成して全国で運用が始まっていてもいい話だ、それをハナから話を聞かず下っ端は黙ってろみたいな扱いをしてきたのはどこの誰だ、あなた方のご希望どおり下っ端は黙って田舎に飛ばされて腐った生活を送るのでコロコロと方針を変えるな、どうせまた設計しても3年も経たずにまた設計が変わるであろうシステムにこれ以上関わりたくはない
頑として受けず、偉いさんたちは間抜けヅラを晒したまましかたなく帰った
もう何年も、そういう張り詰めた環境で仕事をしてきた
このようなことはあったが、突然暇な環境になった
あっという間に私は精神を病んだ
同じ頃、父親が死んだ
死因は知らない
もうここにいる必要はなくなった
精神の病気に責任を擦り付けて私は自衛隊を去った
入隊してから19年、幹部になってから実に17年を浪費した
(続く)