見出し画像

死んでもいい人間はいるのか

ヤフーニュースで1年前の元農水事務次官長男殺害事件を扱っていました。元農水事務次官が息子による家庭内暴力で長年苦しめられ、家族以外の人達にも危害を及ぼす可能性があったため誰にも相談することなく、父自らの手で息子の命を奪った悲しい事件です。記事の内容は筆者のある疑問に焦点が置かれていました。それは「死んでもいい人間はいるのか」です。

以前書いた差別問題と一緒で永遠に答えの出ない、出しにくい難しい問題ですが無い頭を振り絞り自分勝手な意見をまた書いていこうと思います。

結論から言いますと、

間違いなく死んでもいい人間はいます

これを危険思想と思われる方もいるでしょうが、実際問題社会にはそういう人間はいます。日本はそういう判断だからこそ死刑制度を採用しているのです。

生きているだけで他人に迷惑をかける輩は一定数いるもので、こういった手合いは自分のやりたいように生き、それにそぐわなければ他人を傷つけることもいとわない、他人に迷惑をかけることしかしないいわば「害虫」のような人間です。人には指摘しますが自分が指摘されると烈火のごとく怒り、自らの非は一切認めません。「クレーマー」「モンスターペアレンツ」「老害」などなど、こういった方々は謝罪や土下座を強要したり金品を要求したりします。このような方々が自分の目の前に現れたら...その日から安心して眠れなくなるでしょうね。

過激な言葉で色々書きましたが、皆さん思いませんか。こういう人たちに「死んだらいいのに」って思ったこと数えきれないほどあるんじゃないでしょうか。筆者は常日頃思っています。いくら道義的にーとか、倫理的にーとか考えても感情はどうすることもできません。しかし社会で生きるためにはそんな感情は上手く押し殺して生きていかなければなりません。ですがそれでも世の中は感情で支配されています。

躾と称し子供を虐待し最後に殺した親と、子供から暴力を受け続けた結果最終的に子供を殺してしまった親は圧倒的に後者が多くの同情を受け、前者が断罪されます。奪われた命の過程がより重要視され、より心を動かされた方をより同情します。命は平等だといくら謳っても人間はそんなものです。余談でした。

ではどうやって危ない人から身を守ればいいのでしょうか。

法律です


便利なシステムで、法律があることで抑止力になります。日夜新たに項目が追加され危険な人たちをどうやって裁いてやろうかとアップデートされていますし、法の番人である警察が日夜汗水を垂らして捕まえてくださっています。危ない人に巻き込まれたらすぐに通報しましょう!

さてこれで一件落着...とならないんですね。

それはなぜか。システムが完璧だったとしても、それを使うのは人間だからです。危ないことがあって警察に通報しても、実害が無いから捕まえられない、現場で判断できない、危ないことが何度もないと捕まえられない...etc 様々な言い訳で結局泣き寝入りなんて良くある話です。厄介な内容だと積極的に対応すらしてくれません。そして取り返しのつかない問題が起きてからやっと重い腰を上げるのです。積極的になるのは交通違反くらいです。苦労して捕まえて裁判にかけても一審有罪、二審無罪なんてのもよくあります。法律というシステムで判断すると完全に黒でも、人間の判断が入ることによりグレーでも白でもなんにでもなってしまうのです。

じゃあどうすればいいんだよー!!!!!!!

画像1

どうもできません。無理です。この世は不条理で成り立っています。本音と建前が歪に絡み合い、誰も本当の胸の内は明かさずうまく立ち回って生きています。そうやって皆が自分を守り続けて本質から目を背けている以上永遠にこの世は不条理のままです。

だいぶ話が逸れてしまいました。

死んでいい人間はいる→直接手を下してはならず裁くのは法律である→でも人間が扱うと上手くいかない→もう無理

こうなってしまうのです。

結論

死んでいい人間はいる。一般人には基本的にどうすることもできないが、裁くことのできる人間も完全ではない。正直者がリアルに馬鹿を見るそんな世の中。


この世は無常





おわり 







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?