「今をなんとかする」ギルドハウス十日町オーナー ハルさん
こんにちは。大学の授業を受けながらアドレスホッピングをしているくまちゃんです。
「行ったことがない場所に行く」をテーマに5月から動き始め、1県目の滞在が終了しました。
(アドレスホッピングについての詳細は後日noteにまとめる予定なので、そちらも読んでもらえると嬉しいです)
今回私を受け入れてくれたオーナーさんとそのおうちがとても素敵なので、ぜひ紹介したいと思い、インタビュー記事を書くことにしました。
ご紹介するのは、5月半ばから3週間ほどお世話になった、新潟県十日町市にある「ギルドハウス十日町」。
住み開き(注1)という独特な形で運営されている、実家のような安心感と穏やかさが印象的なところです。
テレビで取り上げられたこともあるそうなので、ご存知の方もいるかもしれませんね。
そんなギルドハウス十日町のオーナー、ハルさんに「ギルドハウス十日町ができるまで」と「今後について」のお話を伺いました。
ハルさんについて
本題に入る前に、まずハルさんについてご紹介します。
東京の大学を卒業後、幼い頃から憧れていた会社に新卒で入社し、パソコン関係の雑誌の編集者を務める。
10年ほど働いたあと、30歳過ぎでWeb制作会社に転職し新潟市に移住。
40歳になったのを機に辞職し、Webプランナーとしてノマドワーカー的な生活を開始する。
その生活の中でコワーキングスペースやシェアハウス、ゲストハウス、住み開きを知り、「ギルドハウス十日町」を立ち上げる。
現在は「ギルドハウス十日町」でパートナー、息子、住人、冒険者(注2)らと共に暮らし、ソーシャルな隠居(注3)生活を送っている。
ギルドハウス十日町ができるまで
「何かしなきゃ」という不安
——仕事を辞めたきっかけってなんだったんですか?
ハルさん:40歳っていう、ある意味年齢の節目になったことだね。
今「人生100年時代」って言われてるけど、当時はまだそんなに言われてなかった時代だから、人生80年って考えるともう半分経ったかなと思ったし。
幸い仕事には恵まれていて、やりがいのある、自分の好きな分野だったんだけど、あまりにもハードワークだった。
それが自分では当たり前だと思ってやってきたんだけど、40歳を迎えたときにふと我に返っちゃって。
その年がちょうど2011年で、あの出来事(=東日本大震災)のこともあって少し自分を見つめ直すようになった。
ああいう出来事があったせいで、不安なニュースが目につくようになったんですよ。
老後のこと、年金制度、介護制度のこととか、「大丈夫かな将来」って思うようなニュースがすごく眼につくようになってしまって。
だからすごく不安になったんだよね、自分の今後について。
でもその一方で、TwitterとかFacebookとかのSNSだったり、iPhoneみたいなスマートフォンだったりがすごく普及しようとしてた時期だった。
自分はIT系だったからそういうものを敏感に感じ取って、会社に属さなくても、個人でもそういうものを使って情報発信したりいろんなことができるんじゃないかって可能性を感じたの。
不安なニュースが目につく一方でそういう可能性も感じて「どうしたらいいんだろう自分」とか悩んでいたけど、まあ結局のところはどうすればいいかわからない。(笑)
「どうしたらいいんだろう、仕事忙しいし考える余裕もないし」みたいな。
だから思い切って会社を辞めようって。
——「思い切って会社辞めよう」って思うのすごいですね。
ハルさん:「なにしようか」って考えたって結論は出ない。
だけど何かしなきゃいけない、とにかく何かした方がいいっていう不安に駆られて、具体的にどうしたらいいのかも考えつかないまま、思い切って会社を辞めました。
コワーキングスペースとの出会い
——その後すぐギルドを作ったんじゃなくて、旅をしてたんですよね?
ハルさん:そう。いろいろあったの。(笑)
まず、とにかく働き方を変えたくて会社を辞めてフリーになったと。
で、どうしようかっていうのをこっから考えたの。
「自分ができることってなんだろう」って、とりあえず考えたのが「Webプランナー」っていう肩書き。
今「ノマドワーカー(注3)」って言葉があるけど、ある意味そういう働き方で東京のカフェとかで仕事してたんですよね。
とりあえずそこまでは何とかやれたんだけど、これやってたら1つ問題があって。
カフェで仕事をしていると隣の人と話せない。
そうするとだんだん孤独になっていって、だんだんアイデア枯渇してくるの。
プランナーってアイデア力が勝負だから、アイデアが枯渇していくと仕事にならない。
会社員のときは同僚と話せたし、仕事での付き合いもあったんだけど、フリーランスになったら話す相手が減ってって、孤独にカフェとかで仕事をするようになって、だんだん仕事が行き詰まってきた。
そのときたまたまTwitterで見かけた「コワーキングスペース」っていうところがすごく気になって。
調べてみたら面白そうだったから、当時東京にあったところにいくつか行ってみた。
行ってみたら、オーナーと面白い話ができた。
コワーキングスペースにいる人たちもパイオニアの人たちばかりだったから、面白い人がとにかく集まってたのよ。
コワーキングスペースでは自分たちで仕事を作っていくことが多くて、そういう人たちと交流するだけでだんだん仕事が楽しくなっていったのね。
会社では、営業が取ってきた仕事をこなすというスタイルをずっとしてきたから「ただの世間話のつもりで話しかけたのが、どんどん仕事になっていく」っていうコワーキングスペースのあり方にすごく衝撃を受けた。
「これだ」思った。「俺の探してた新しい働き方はこれだ」って。
営業するんじゃなくて、コミュニティのあるオフィス空間から、自然発生的にビジネスだったりなんなりが生まれていくっていうのがすごくいいと思って。
そこからコワーキングスペースを拠点にするようになって、入り浸った 。
で、新潟県にもコワーキングスペースあるのかなって思って調べてみたら、なかった。
「じゃあ自分で作ろう」と思って、新潟県で初めてのコワーキングスペースを作る活動を始めたの。
そしたら賛同してくださる方が現れて、コワーキングスペースができた。
基本的にそのコワーキングスペースの経営は地元の実業家の方にお任せしたので、あくまで自分はプロデューサーとして関わって、コワーキングスペースがスタートした。
まあそんな感じで、いつのまにか自分はコワーキングスペースというものに非常に関わることになった。
それからしばらくして、地方にもコワーキングスペースが増えつつあるぞって空気を感じ始めたんですよ。
もうすでに大阪とか京都とか長野にあるって言う話を聞いて、気になってとりあえず長野県のコワーキングスペースをちょっと旅行気分で見に行ったのさ。
そしたら、オーナーと話してたらすごく仲良くなっちゃって、仲間みたいな同僚みたいな感じにの雰囲気になったんだよね。
最初は全然そんなつもりなかったんだけど、面白すぎてそこに長めに滞在することになって。
そこでは地域活性的な動きもコワーキングスペースを中心にしてやってて、それがすごく素晴らしいなと思って。
そういうことをやってる姿にコワーキングスペースの可能性をすごく感じて。
たぶんいずれコワーキングスペースが地域活性とかそういうのの拠点になるたろうっていうのが見えたし、いろんな可能性が見えて地方のコワーキングスペース面白いなあって思うようになって、そこから止まらなくなっちゃったんだよね。
それで旅が始まったの。
——そういう流れだったんですね。
ハルさん:最初はコワーキングスペースを巡る旅だったの。
だからその当時はギルドハウスを作ろうっていうのは全然一ミリも思ってなかった。
コワーキングスペースを旅しながら仕事をしようと思って、それをずっと続けてたら、Facebookのつながりがどんどん増えていくし、しかもそのつながりは全国区のつながりなわけよ。
しかも自分がFacebookとかTwitterに投稿した内容がどんどん全国の人が見れるようになるから、情報発信力が高まった。
あと、行った先々で色んな取り組みをしている人たちと知り合って、一緒に企画したりいろんな仕事を一緒にさせてもらったおかげで、アイデアの引き出しがすごい増えた。
これはもうプランナーとしてはすごく武器。
——そのときも仕事としてはWebランナーをやってたんですか?
ハルさん:一応ね。基本は。
——かつコワーキングスペースのプロデューサーもやっていたってことですか?
ハルさん:まあそんな感じ。
基本そういうのを軸にしてやってたら、全国でシェアハウスとかゲストハウスに滞在することになって。
色々と地元を案内してもらったりとかしてたら、だんだんそういう場を作るっていうことに興味を持つようになって。
「コワーキングスペースはもちろん、シェアハウスだったりゲストハウスだったり、それとは似て非なるような場所っていうのを自分で作りたい」とか、新潟県のコワーキングスペースでは、あくまで自分はプロデューサーだったんで「純粋な自分の場所を持ちたいな」っていう思いがだんだん芽生えてきて。
あまりにもたくさん行きすぎて、ちょっと落ち着きたいっていう気持ちもあったんだろうね。
コワーキングスペースを巡っていた旅が自分の場を作るという興味に変わってきた。
そんな感じです。
——旅からコワーキングスペースとかに繋がっていたと思っていたんですけど、逆だったんですね。
旅人を迎え入れる場所
——noteでシェアハウスとかに興味をお持ちになったっていう話をされてるんですけど「あくまで住まいであることにこだわる」っていうのは、根無し草でいるよりも拠点を持ちたい、みたいな気持ちが強くなったっていう感じですか?
ハルさん:ちょっと微妙に違うね。
別にシェアハウスでもいいなと思ってたし、ゲストハウスでも良かったんですよ。
どちらも大好きになったし、まあやるとしたらどっちかかなっていうぐらいに絞っていたつもりだったんだけど、なんか釈然としないところがあって。
色んな旅人と会いたいっていうのがあったから、そのためにゲストハウスをやった方がいいのかなって思ってた。
あと自分が旅していろんな恩を受けたから、自分も旅をする人たちに何か与えたかったというか。
「自分の働き方を変えたくて」とか「コワーキングスペースまわってて」とか、そういう子達が来たときに受け入れられる場所でありたかった。
そういう意味でゲストハウスが良かったんだけど「お金を払わないと」とか「宿としてやる」って言うのはなんか違うっていうか。
そんなときに、旅の途中でコワーキングスペースつながりで出会った人が「住み開き」っていうのを教えてくれて。
「そういうのあるんだ」って、これは面白いなと思った。
そういう形の方が自分としては無理なく自然体でできるんじゃないかと思って。
これがギルドハウスを立ち上げる種になったって感じかな。
興味の赴くままに
——スタートアップウィークエンド(注4)はギルドハウス十日町ができる前からやってるんですか?
ハルさん:そうそうそう。今年でもう8年目になります。
スタートアップウィークエンドを始めたきっかけは、全国に増えつつあったコワーキングスペースをこれから盛り上げるためのカンファレンス。
自分もそれのスタッフとして参加して、その時のゲストスピーカーだったStartup Weekendの理事長の講演を見ていて、スタートアップウィークエンドって面白いなあって直感的に思って。
そしたら自分のコワーキングスペース仲間が理事長を俺に紹介してくれて、「これ新潟県でやってる人いるんですか?」って聞いたら「いやいない」って。
「自分やっていいですか?」「いいよ」って、コワーキングスペース繋がりで始まった。
——全部コワーキングスペースから繋がっていくんですね。
ハルさん:そう。
で、新潟県で初めてのスタートアップウィークエンドのイベントを計画してそれで始まったの。
自分が(スタートアップウィークエンドの)コミュニティを作ったわけだから、自分が中心なわけですよ。
そこに起業家精神のある人達が集まってくる。
「まちかどギルド(注5)」を実現するにあたってもすごく大きな力になった。
まちかどギルドを作ろうと思ったのも、コワーキングスペースがきっかけ。
全国を旅していろんなコワーキングスペースとかをめぐると、地域の課題がそういう場所にすごく集まることに気づいて。
そういう全国の拠点で課題が集まるのであれば、それをつなげるプラットフォームがあったらいいんじゃないかって思うようになって、それが結果的にまちかどギルドになった。
行政がボランティアを募っても、なかなか集まらないじゃないですか。
でもそこにゲーミフィケーション(注6)を取り入れることによって、若い人がぐっと来る。
それがすごくいいなと思って、それをまちかどギルドが形にしようって動き始めたの。
いろんな仲間を集めたり、クラウドファンディングを募ったり、コワーキングスペースを通じていろんな繋がりを得たり。スタートアップウィークエンドの活動をすることによって、さらにいろんな仲間とも繋がって。
で、まちかどギルドっていうアプリを形にするために動いてたら「まちかどギルドの考案者自身がそういうギルドを持つのもいいよね」って。
そこで社会実験もできるし。
ということで副産物的にできたのがギルドハウス十日町です。
——全部順序が逆だと思ってました。
ハルさん:まちかどギルドを実現しようとしてたらできたのが、ギルドハウス十日町。
自分が自らギルドマスターになって冒険者を受け入れてっていう形になりました。
そこに旅で得た「住み開き」っていうのもリンクして、じゃあ形は住み開きの古民家にしようって。
掛け算と言うか、今までの経験が繋がって必然的にできたんだよね。
自分の興味の赴くままにコワーキングに行って、興味の赴くままに旅をして。
全部最初からこういうことをしようなんて1mmも思ってない。
興味の赴くままに動いていたらスタートアップウィークエンドとも出会い、まちかどギルドを作ろうと思い、必然的にギルドハウス十日町が生まれ、ソーシャルな隠居という形になったという感じ。
——点と点が線になるってまさにこれだなって思いました。
ハルさん:自分だって最初40歳で会社辞めた時はどうしようかも決めてなかったわけじゃん。
でもなんかよくわからん漠然とした不安があって、このままじゃいかんと思って思い切って会社辞めて動き出して。
とりあえずWebプランナーって名乗ろうかなぐらいの本当に計画性もない、ただそれだけの動きだったのに、興味の赴くままにコワーキングに行ったりしてたら、点と点が線に一気に繋がって面になって。
——すごいですね!!
今後について
「今を何とかする」未来志向
——最後にギルドハウスとハルさん自身、ハルさんのご家族についての展望があればお願いします。
ハルさん:これね、よく聞かれるんだけど展望はないです。むしろあえて考えない。
未来は予測できないもん。
今回のコロナの件も誰も予測できなかったと思うし、この先の俺のことなんて全然わかんない。
5年も経てば全然生き方が変わったわけだから。一寸先は闇だね。
過去を変えることもできないし、今しかできることはない。
だから今を楽しむしかない、今を生きるしかない。
だからあえて未来をあれこれ考えない。
今を何とかすることが自分の未来志向の考え方、動き方。とにかく今だね。
だから自分は、いろんな選択がその都度あると思うんだけど、基本的に自分軸で全て考えていて。
自分が良ければいいし自分がダメならダメ。
そこはもうブレないでいこうかなと思ってて。
住民を受け入れるとき、冒険者を受け入れるときも、自分がよければいいしダメならダメっていう感じでやっていきたいし。
家の中の空間のつくりもね、今度薪ストーブとか作ったりもするんだけど、それは自分が欲しいから作る。
誰かのためにするんじゃなくて、まずは自分のためにやりたい。
それで奥さんも喜ぶんだったらなお嬉しいし、息子がいいって言うのならさらに嬉しいし。
それでさらにくまちゃんみたいな冒険者たちが素晴らしいですねって言ってくれればすごく嬉しいし。
なんで、まずは自分本位であることが重要だなーってこれからのためにも思っていて。
それに共感して居心地がいいと思う人達とだけ、これから自分は関わっていきたいです。
今まで培ってきた、あらゆる物事は自分のために使う。
これが一番周りを幸せにすると思ってる。
まず自分が幸せじゃないと周りは幸せにできないと思ってる。
全てそう。これからもそうやってやっていって、どうなるかはわからんけど、それが自分の未来志向の動き方ですよっていう、そういう話になるな。
インタビュー・滞在を終えて
ギルドハウス十日町ができるまでの経緯と、ハルさんの経歴や考え方をうかがえたことで、ますますギルドハウス十日町の魅力が増したように感じます。
インタビュー中、とくに「今のギルドハウス十日町は必然的にできたもの」と強く感じたのを覚えています。
こんな素敵な場所に滞在できて、お話できたことが嬉しいです。
ここに書ききれなかった面白いお話も沢山あるので、いつか載せられたらと思います。
滞在中はギルドハウス十日町の一員として、西村家の居候になったような気持ちで過ごしていました。
あなたもこのインタビュー記事を読んで、少しでもギルドハウス十日町の魅力を感じ取ってもらえたら嬉しいです。
改めて、長時間のインタビューに応じてくださったハルさん、滞在中親切にしてくださった住民の方、元住民の方、私に関わってくださった方々、本当にありがとうございました。
またお会いしましょう~!