私と応援団の話
1.応援団との出会い
小学校一年生の運動会のときであった。全児童数が50人もいない保育園出身の私にとって小学校の運動会は見るもの全てが新鮮であったが、その中でも特に応援団は真新しく衝撃的な出し物であった。
応援合戦の合間に団長が団員に囲まれて笑顔を見せた瞬間に小学一年生の私は確信した。「応援団長になったら皆に慕われ、人気者になれる」と。
今考えれば皆に慕われ人気者になった人が応援団長になるのだが、我が母校の応援団は厳格でお笑い要素の一切ない真面目なものであり、セリフも今年のスローガン以外6年間同じものであったことから、クラスの人気者が応援団長になるシステムが採用されていなかった事もあり、その勘違いにはなかなか気が付かなかった。
ともかく私はその日確信したのだ。
「絶対に応援団長になってみせる」と。
2.応援団員としての気づき
我が母校の応援団は小学校3年生以上の学年から各クラス男女2人ずつを選出するシステムで団員を形成していた。
小学校3年生の折、私は応援団員に立候補した。
他に何人かが立候補したためオーディションをおこなった。
選出方法は抱負を述べた後にデカい声で「フレー!!フレー!!紅組!!」などと立候補者が叫び、クラスメイトが良かった者に表を入れるスタイルであり、これは卒業まで変わらなかった。
当時の私は無類の声のデカさを誇っていたためにあっさりと選出された。
応援団の活動は毎日の昼休みにあり、運動会が近づくと掃除の時間も使うといった形で行われた。普段関わることの無い他学年の生徒と関わるのは楽しく、クラスでいじめられていた私にとって応援団の時間は救いであった。
3.運命の小学六年生
6年生になり、私は例によって応援団に立候補し、無事に当選した。しかし、問題はここからである。
6年生になると応援団長になることができるのだ。
もちろん私は応援団長に立候補した。他の候補者の顔ぶれは、同じクラスの女子,小学校5年生の野球少年,初めて見る転校生の同学年の女子,そして応援団4年目の私である。
正直負ける気はしなかったし勝ちを確信した。
応援団長の選出も団員の選出と大差はない。
抱負を語ってデカい声を出すのみだ、大丈夫、私なら応援団長になれる。
そして結果は...
1位、小学校5年生の野球少年
いや、おかしい、なぜ小学校5年生が1位になるんだ。こういうのはイキがった歳下が歳上にちゃんと負けるのがお決まりだろう。中学一年生で生徒会長に立候補して落ちる奴のポジョンだろう。
しかし、彼曰く去年も団長に立候補して1位だったらしい。なんだ、ただの化け物か。
彼は5年生だからという謎の理由で顧問が落としていたが、彼は何故か満足気にそれを受け入れていた。彼は本当になんだったんだ。
いやしかし、2位に入れば応援団長だ、問題ないだr...
2位、初めて見る転校生の同学年の女子
この瞬間に応援団長になれないことが決定した。何処の馬の骨かもわからん女子に私の集大成は阻まれたのだ。しかし、せめて最下位さえ回避出来れb...
3位、同じクラスの女子
終わった、何もかも終わった。因みに私に入った票は1票だけだった。せめてもの足掻きとして経験値を主張し副団長になろうとしたが、副団長は一旦保留とする形となった。
今思えば小学校5年生の終わりから声変わりが始まっていたため、デカい声など出るわけがないのだ。
団員になれたのは他に立候補者が自分のクラスにいなかったからである。
4.敗北から始まるサクセスストーリー
しかし、転校生が団長になったのは私にとって好都合であった。
我が母校は今年の運動会のテーマを除き、応援団のセリフの変更が一切無いために私は全てのセリフと流れを空で言えたのだ。
対して彼女はこの学校で初めての運動会で応援団長をするのだ。当然右も左もわからないのである。
私は「せめて副団長になりたい」という一心で彼女のサポートを献身的に続け、団内での信頼をコツコツと積み重ねていったのであった。
5.そして伝説へ
流れが本格的に変わったのは初めての全校予行演習だろう、団長である彼女は思いっきりセリフを間違えたのだ。恐らく前の学校の応援団のセリフであるのだろうが、生徒たち、特に高学年の子らにとっては違和感でしか無かった。
そして2回目の全校予行演習の際も、同じ箇所で同じようにセリフを間違えてしまったのだ。
私は副団長になりたいという一心でその際も献身的にサポートをし続けていたが、団内の私の信頼度は最早団長へのそれを明らかに上回っていた。
そして運動会2週間前、団長が初めて欠席した
すぐさま私は団長の代理を名乗り出た。団員はみな賛同し、練習はスムーズに行われた。ただ1人不満そうな彼女を除いて、そう、立候補者の1人であった同じクラスの女子である。
彼女の主張は「私の方が得票数が多かったのだから私が団長の代理になるべきだ」といったものであった。
違いない、筋の通った意見である、が受け入れられることは無かった。
団内の信頼度が彼女より明らかに私の方が上であったためだ。
彼女にしてみればクラスでいじめられている私が自分よりも信頼度が高いだなんて考えもしなかったのだろう。
いじめられっ子のささやかな逆襲が行われたのであった。
しかし、団長が欠席したのはその日だけではなかった。2日、3日と欠席日が伸びていく。私の信頼度はうなぎ登りであり、同じクラスの女子は毎日のように不満を垂れていた。
そして遂に運動会当日がやってきた。
団長は2週間学校に来ることはなかった。
運動会当日の欠席連絡を待つのみとなった。
大丈夫、出来ることはやってきた。仮に団長が来ても今日は私が代理として団長になれるはず。
顧問の先生に呼び出された。団長専用の笛が手に握られている。
団長は欠席です
私は顧問の先生から笛を受け取り、未だ未練たらしく私を睨む同じクラスの女子を横目に笛を鳴らした
ピィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!
運動会が始まる前の運動場に試合終了を知らす笛の音が鳴り響いた。
やった、遂に私は成し遂げたのだ。小学校1年生からの夢である「応援団長になる」という夢を。
これから始まる運動会は、私にとってエキシビションマッチに過ぎなかった。
午前の部の応援合戦で白組の団長の前にだけマイクが置いてあっても、私をいじめていた紅組のやつらが罵詈雑言を投げかけてきても、私は清々しい気持ちで受け流すことが出来た。
可愛い歳下の女の子の団員が私のタスキをせっせと結ぶ様を異様な物を見る目で見つめる同級生を横目に私は運動会という名の後夜祭を満喫した。
声変わり中の繊細な喉を守るために午後の部の応援合戦までは憧れの笛を思う存分吹き鳴らすことで乗り切り、団長にだけ渡される竹よりも感触の悪い塩ビパイプをコンコンと叩いた。
午後の部に入る際には最早逆転不可能なほど白組がリードしていたが私には関係などなかった。
私はもう優勝しているのだ。
最高潮の見せ場となる午後の部の応援合戦を終えて、私は6年分の運動会を「優勝」という二文字で締めくくった。
結果として紅組はボロ負けした。
誰もが察してたが、徒競走において私は成長期のおかげで1位を取ることができたので競技においても私は優勝したのだ。
これまで徒競走はビリが殆どであったのに。
そして最後に私は1つ、大きな仕事を残していた。
それは「できるだけ多くの先生が校庭で集まっているタイミングを見計らって外に出る事」であった。
私は自分がベストだと思ったタイミングで外に出て校庭の前を通った。
パチパチパチパチパチパチ...!!!!!!!!
ありがとう!!!!
君のお陰で助かった!!!
急な代理なのによくやった!!!!
私は深々と頭を下げ、「当然のことです」とだけ述べて去っていった。
鳴り止まない拍手を背に受けながら...
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?