awai 風の旅人部では、「日常と非日常を行き来する」をテーマに、いろいろな場所で暮らしや旅をする人たちが日々の中で湧き上がってきたものや出会ったものをシェアしていきます。 なかなか旅にいけない代わりに旅気分を味わったり、日常の中でもちょっとした楽しみを見つけるきっかけになるといいなと思っています。 それぞれが思い思いの形で味わい綴る旅と暮らしを楽しんでいただけると嬉しいです。
こまめ
じぶんのすきなしゃしんをならべてみようとおもいます。
やっと感情と感情が戻りつつあるヒトの、ことばにまとめるチャレンジなのです。 石の上にも3年、、あら何年?
元気じゃないとできない、という壁にぶつかりまくっている。まだ、まだ、満たされていない、という声があるようだ。わたしは、どうしたいのだろうか。
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絵の具や樹脂などで遊ぶように作品を作っている。 アートなんて、自分とは縁遠いものだとずっと思っていた。 自分のためのアートが、こんなに楽しかったなんて知らなかった。 「こうしたらどうかな?」など試行錯誤しながら 今あるもので、失敗や成功にとらわれることなく 自分が納得するまで、だけれど、完璧にこだわることなく 気がつけば作るから生み出されるに変わっていくプロセスを楽しんでいる。 プロセスを通じて、自分をまた新しく知っていく。 だからアートだけではなく、料理や土いじりなど
職場の仲間に、おやすみ前のあいさつをした。 そのひととはいろんなクライアントさんとの案件を共有したひとだったので、 思い出話もかねていろんな話をしていた。 話終わって、帰っている時に、 9割ぐらい自分がしゃべっていたことに気づき、、、 傾聴してくれてありがとう、という感謝の念とともに、 わたしめんどくさい、、!!と思った。 でも、今の時点ではまだ言語化できないのだけれど、 感じたその“めんどくささ”が嫌じゃなくて。 自分の“めんどくさい”というところも受け止めたい、と
手は意識、足は無意識。 ワークショップに参加した時にひっかかってきたことば。 そのことばにつられるかのように、わたしは今日もあるく。 12月に入ってから、数日おきにひくめの山に行っている。 足を取られないように足元ばかり見ていたのだが、 途中から紅葉がだいぶ落ちていて道が明るく、 涼しい風が吹き抜けて気持ちが良い。 熊鈴を持ってくるのを忘れたのと、わたし以外に人がいなかったので 音楽をかけながら歩いていた。 枯れ葉をしゃくしゃく踏みながら歩くのが楽しい。 ふかふかの苔を愛で
はしばみいろのめをした、うつくしいひとに定期的におあいすることがあった。 彼女とはことばのやりとりができない。 だから、いままでの人生をどのようにすごしてこられたかも、わからない。 でも会うたび、そのうつくしいひとみにはっとして思わずみつめてしまうのだ。 お会いすることはなくなった今でも、時々彼女のひとみを思い出す。 ひとみのいろもたしかにうつくしい。 でも、なんというのだろう、ひとみそのものがもつ、圧倒的な存在感。 まなざしでもなく、ひとみなのだ。 どんな人生を、過