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【Vol. 20】春先の机とわたし

机に向かっている時、
不定期にふと思い出す過去がある。

中学3年になる前の春、
部活終わりの帰り道、
広々とした公園にあるベンチに座って、
ある人にボソッと「大学はICUに行ってみたいな」と伝えたことがある。

確かその相手は「一緒に行こうよ、ICU。」
ってわたしに返し、
ふたりで笑い合った記憶がある。

高校留学を終え、高3を迎える前の春、
わたしは正規の海外大留学や、
他大への受験とやら、思考の紆余曲折を経て、
最終的には、ICUへの進学を希望していた。

———
そして、高3の卒業間近の2月。
ネットニュースで、スコットランドが世界で初めて生理用品の無償配布を規定する法律を制定したことを知り、生理用品が軽減税率対象外とされる日本に住むわたしは、「世界にはそんな生理フレンドリーな国があるのか!いつか行ってみたいものだ。」と驚嘆した覚えがある。

その頃は生理関連の話を熱弁すると、
だいぶ周りから引かれる時代だった。

大学3年の終わりを迎えようとしている今、
わたしはというと、
スコットランドの大学で学びを修めている。

大学での交換留学は、高校からの夢だった。
留学先を選定する時は、大学どころか国さえ決めていなかったけれど、気が付いたらスコットランドにいた。

「いつか行ってみたいものだ」と
叶わない夢のように思っていた国で
いま、憧憬に値する教員陣のもとで
自分の興味ど真ん中を勉強している。

———
まだまだ人生経験の浅いウブだけど、
過去を振り返ってみると、
「未来〜〜をしてみたい」と
ひとり静かに心に誓ったものは、
人よりも遠回りしたり、
その過程でもがき苦しんだり、
アイデンティティクライシスに陥りながらも、
一つひとつ丁寧に叶えてこられた気がする。

大学4年生を目の前にしたいま、
高3の時みたいに、
いくつかある枝分かれした道のどの道に
自分のベクトルを向けるべきか
たくさんたくさん頭を悩ませている。

選択肢があるだけで恵まれている。
この特権を然るべきところで還元したい。

縁、運、タイミングによって、
自分が切望しているものが手に入らないこともあるし、時には自らがそれを諦めなければいけない時もある。

数年後の今日、自分がどこにいてどんな人とどんな環境で日々を過ごしているのか。
分からない。そんなの誰にも分かりっこない。

止まることを知らない時計の針を横目に
見えない未来に向かって歩き続けるのは、
ワクワクするけれど、やっぱりこわい。

けどひとつだけ分かっていることは、
きっとどの道に進むことになっても、
その進むことになった道で
その道の横幅と目の前に広がる
蛇行している上に凸凹している長い道を
自分のオリジナルのキャンバスとして
目一杯使い倒して
自分にしか描けない作品を作るんだと思う。

———
そして、数年後あるいは数十年後のわたしが机に向かっている時、こう思うんだと思う。

「この未来って、大学4年を迎える春に、朧げにひとり静かに叶えると心に誓った未来と似ている気がする。」

いつも通り、遠回りだったし、予期もしていなかった道に迷い込んだ時もあったけれど、「此処」はわたしが密かに目指していた「人生の通過点」だとひとりホッコリするんだと思う。

———
人生は文字どおり選択の連続。
年齢を重ねれば重ねるほど、
その選択の重みを感じるよね。困っちゃうよね。

2年前に秋田の五城目町というところに
1ヶ月ほどお邪魔した時、

お気に入りの古本屋の店主の方が、わたしに、

「悩むな悩むな」
「常に道はひとつ」

と声を掛けてくれた。


ケセラセラ。
きっとさ、枝分かれした何本もの道なんて本当はなくて、結局は一本しかない道を歩き続けているだけなのかもしれないね。そう思うと心がジュワーって。ちょっと楽になる。

地球規模で見たら
ちっぽけな命を必死に燃やしてさ、
毎日がんばってるもん、
たまには、そんな風に考えてもいいよね☺️


ここまで読んでくれたひとは、
わたしと似たもの同士かな?😅

「リハーサルなんて無いぶつけ本番の舞台」
「監督のいないストーリー」

わたしの高校時代からの憧れの方が、先日、SNSで湘南乃風の『夢物語』を紹介してくださっていた。

歌詞を聴きながら、
いつも頑張っている自分自身に
「自分偉いぞ!」と褒めてあげてほしいなあ!

今日もおつかれさまです。


プレッシャーに押し潰れそうになる日々を
過ごしているそこのあなたへ

たまにはさ、
美味しいものを食べて、
きれいな景色を見て、
自分のこころを豊かにしてくれるひとと過ごす。

寝る前には、
顔にお気に入りの香りのパックをしながら、
ストレッチをした後に、とっておきの映画を観る。
チルイ日をあなたに!YOU DESERVE IT❤️

これを読んでくれている人に語りかけているようで、もしかしたら他でもない自分自身に語りかけているのかも。最近つくづく思うけれど、他者とのコミュニケーションの本質って「自己との対峙」だよね。

思えば、こうやってわたしはずっと、過去も現在も、誰かにかけてもらった「ことば」の欠片をお守りに、自分を鼓舞してきたのかもしれない。

ゴールテープなんてないマラソン大会。

それでは!

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