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記憶力がひよこ並なので連載小説でよく「こいつ誰だっけ」ってなってしまう読者に優しくできる三つの方策

 諸君、私は大長編小説が好きだ。

 掌編よりも短編が、短編よりも中編が、中編よりも長編が、そして長編よりも大長編が!!!!

 すきなのよ!!!!!!!!!

 基本的にタイムラインに流れてきたものは全部食う主義の俺であるが、そうゆう無茶なことをしていると追いかけている連載小説が膨大な数に上り、それぞれの作品の登場人物の情報たちがわずかな容量しかない脳の中で圧縮され、攪拌され、増殖と融合と交配を繰り返し、暗黒の生態系を構築し始めた挙句見るもおぞましいキマイラと化して――おれの獣よ、夜のヴィオロンのごとく、静かに哭け――してしまうのでどうしたもんかと頭を悩ませている。

 恐らくパルプスリンガーの中でこんなことに懊悩するほど記憶力がないのは俺だけのような気がするのだが、「登場人物の識別難易度を下げる」というアプローチは、一般的な創作においても無益ではないと思われるので、いくつか考えてみる。もちろん、「俺はこう考える」という程度のことでしかなく、これを読んでいるお前は本稿を参考にするもよし、反面教師にするもよし、無視するもよしだ。

1、ニンジャネームをつけろ

 何言ってんだお前。

 小説『ニンジャスレイヤー』は言うまでもなく常軌を逸した人数が登場する群像劇であるが、少なくとも物理書籍が出ている『ニンジャスレイヤー・ネヴァー・ダイズ』までの時点で、「こいつ誰だっけ」が発生したことはマジで一度もない。久しぶりに出てくる奴も「あぁ、あいつね」と即座に脳内照合が完了し、内容理解に遅延が生じることは一切ない。これは驚異的なことである。

 もちろん、まっとうにキャラが立っているから、というのは大きいのだが、そのあたりは高度な作劇カラテが要求される案件なので、我々が即座に真似をするのは難しい。しかしすぐに実行できるものもある。

 それがニンジャネームだ。

 俺たちはついつい「名前を地の文で出せばそいつがどの時点で初登場し、どのような役どころだったかを瞬時に思い出してもらえる」と考えがちだが、いざ自分が読者の立場に立ってみるとそのような優れた記憶力が発揮されることはあんまりない

 これへの対策として、「ニンジャネーム」は極めてクレバーな選択肢だ。

 エエッ、そんなこと言ったって俺の作品はニンジャとか出てこないし舞台が英語圏でもないし……とか思うかもしれないが、要するに「字面を見ただけでだいたい何する奴かわかる名前」というものを意識してつけるということである。

 忍殺のみならず、例えば『異修羅』の「二つ目の名前」も同様の機能を果たしている。

 現代日本を舞台にしているからそれも無理、ということもあるだろう。ならば名前の中に「色」の要素を入れておくのは凄まじく有効だ。人型戦闘兵器も個性のほとんどはカラーリングであるし、色のイメージは我々の意識に特別強く刻まれる。登場人物それぞれに全然違うカラーイメージを喚起させる名前にしておけば、人物識別難易度は大きく下がること請け合いだ。

 ネーミングの時点で戦いは始まっている。

2、セリフだけの会話文を長々と書け

 何言ってんだお前。

 ちょっと小説本編を書く手を止めて、全然別の掌編を書いてみてほしい。お前の未公開作品の登場人物が全員一堂に会して好き勝手にくっちゃべっているギャグ時空の二次創作めいたなんかだ。その際、地の文は一切書いてはならない。台本のようにセリフの頭に人物名を書くのもNG。

 各自二回は発言させ、とりあえず最低千字程度書けば十分であろうか(数字に根拠はない)。会話の内容は別に何でもいい。本編のネタバレにならないような他愛ない内容が望ましいが、そこは重要ではない。

 書きあがったら、お前の作品の予備知識が全くない人間に読ませてみてほしい。無理そうなら心頭滅却して「自分はこの作品を何も知らないし特に好きでもない人間だ」と自己暗示をかけて無心で読んでみるのだ。俺にダイレクトメールで送ってくれてもいいぞ!! ワイは五月はヒマやねん。

 さて、読ませた/読んだ結果、そこに何人登場し、それぞれの発言が誰のものであるのか、一読しただけで即座に判別できるようであるならば、問題はない。識別難易度の点において、そのキャラクターたちは見事に立っている。特に何の工夫もなく名前だけ地の文で書いても、読者は「こいつ誰だっけ」に陥ることはないであろう。

 だがもし、人数を当てられなかったり、別人の発言を一人の発言だと思ったり、あるいはその逆だったり――みたいな誤解が生じた場合、そのキャラクターたちには改善の余地がある。

 俺は何も登場人物の喋り方に変な語尾をつけろと言っているのではないザウルス!!!!!!

 だが、地の文の情報に頼らずにキャラを立てる鍛錬は、最小限の文字数で読者の意識に刻み付ける手段として極めて有用である。真にR.E.A.L.な血の通った登場人物は、短く一般的なセリフだけでも「あ、こいつだ」感が出てきてしまうものである。

3、名刺を作れ

 何言ってんだお前。

 冲方丁という男がいる。俺が最大の敬意を捧げる小説家の一人であり、作劇能力、人物構築能力、文章力のすべてにおいて怪物的なワザマエを誇る完全無欠の天才作家だ。

 そしてボンモーに劣らぬ群像劇の名手である。

 最近は時代小説とかをメインにしているが、キャラクター性の強いライトノベルを書いていた時期もある。その中で注目したいのが『シュピーゲル』シリーズだ。

 同一時系列の同一事件を、異なる二つの視点から描く『オレインシュピーゲル』&『スプライトシュピーゲル』。および、それら二作の後に読むべき完結編たる『テスタメントシュピーゲル』によって構成されるSFアクション群像劇だ。

 『シュピーゲル』シリーズもアホほど大量の人物が登場するが、「こいつ誰だっけ」は一度も発生しなかった。何故か? 根本的にキャラが立ちまくっている、特殊なネーミングルールである、などの理由はもちろんある。だがもうひとつある。

 名刺を作っているのである。

 別にキャラの名刺が本についてくるわけではない。「名刺」を構成するのは地の文の人物描写である。

 男――痩躯/黒ずくめのスーツ/細長い指にグラス=血のような赤ワイン。眼鏡の奥で光る神経過敏気味の目=獰猛な知性・静かな凶暴性――人間大の黒いカマキリの雰囲気。

 とか。

 フランス人とオーストリア人のハーフ/丸太を削ったような逞しい体/短い金髪/静かな茶色の瞳/左眉に傷痕――優秀な射手というより、標的にされ続けながらも生き抜いたタフな大角鹿といった風情。

 とか。

 初老の男――司祭服/見事な白髪/灰色の目/深い皺/厳冬に佇つ老オークの樹の風情=揺るぎなく/動じない。

 とか。

 最小限の文字数で、喋り方や物腰はおろかプライベートの過ごし方や過去まで想像させる、鮮烈なイメージに満ちた人物描写だと思う。

 そして特筆すべきことに、これらの描写は、その人物がある程度の期間を置いて再登場するたびに名刺めいて差し挟まれるのである。

 まったく同じ記述が。

 再登場するたびに。

 手抜きでは? と考えるのはちょっと待ってほしい。これは極めて思い切りのいい効率化である。普通であれば、同じ人物の描写でも文面は変更するものであるが、冲方先生はそのような自己満足文章力の発露よりも「一発で誰だか強烈にわからせる利便性」を優先させている。労力を払うのは手段であって、目的になってはいけない。だいたい『シュピーゲル』シリーズは、ちょっと冲方先生それはいくらなんでもちょっとこう何と言いますか手心と言いますか、ティピカルラノベ読者層も見てるんですよ!? ねえ!? と圧倒されるレベルの労作であり、今さら二行程度の人物描写をケチるわけがないのである。

 わざとやっているのだ。

 当然、これはマネできる。あらかじめ人物ごとに「名刺」を用意しておき、ちょっとひさびさに出てくるたびに提示しておけば、まず「こいつ誰だっけ」は予防できるはずだ。

未来へ

 えっとまぁ、なんかそうゆうあのー、あれやから。

 各自頑張ってなんかいい感じにアレしましょう。

 ごはんおいしい!!!!!!!!!!!1

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