凶眼の拳 -少年、獄底にて世界を殺伐す- #7 終
「プッ……くっ、はははははははははははっははははははははぁっはぁ!!」
眼の前のソレは、いきなり噴き出した。背を反らし、高々と笑い始める。
あぁ、今までのはすべて演技でしたって言いたいんだね。
わかったわかった。いいからはじめよう。
――おかしなことに気づいたのは、その時だ。
哄笑の音色が、変なのだ。
鈴の音を思わせる桐旗呉美の笑い声にかぶさるようにして、やや高い男の笑い声が同時に響いているのだ。
……何だ?
目の前にいるコレが、桐旗呉美なのは間違いない。異視覚であろうとも、見間違えるはずがない。
であるならば――
僕は後ろを振り返った。
宇津野説螺もまた、背を反らせて高笑いの真っ最中だったのだ。
奇妙なことに、二人の笑い声はタイミングがぴたりと一致していた。まるで一人の人間の声であるかのように、寸分違わず交響している。不気味なほどに。
……何だ、この状況。
『〝いいよ、来な〟?』
二人は同時に言った。
『〝遊んでやる〟?』
そして再び哄笑。
『ヒィ……ハハ……! カッコいいこと言ったつもりですか? カッコいいこと言ったつもりですか? あァ? カッコいいこと言ったつーもーりーでーすーかーァー?』
二人はまったく同じ動作で片目を掌で塞ぎ、うつむいた。
口の端が笑みに歪んでいる。
『アイタタタ……ホントねえ、もう、見てるこっちが辛くなってきます痛々しすぎて。あんまり笑かさないでくださいよ海坂さん』
「何だ、お前ら……?」
さすがに、事態についていけない。
事前に打ち合わせていたかのように、二人は一緒に肩をすくめた。
『ハァ……ま、突拍子もない話ですからね、わからないのもむべなるかな』
そして同時に脚を動かす。僕を囲む円の軌道で、二人はすべるように移動する。
視線は僕へと固定されている。
『私は海坂さんと同じように、この国の焦りが生み出した技術のひとつです。二人の人間の脳に埋め込まれた機械を介し、互いの思考を接続する――その相互的な繋がりの中で生じた意識こそが私の本質です』
二人の脚が、リズムを刻む。まったく同時に。
『要するに、あれです。一つの意識に二つの肉体を持つ存在なのです。驚いていいですよ? 驚いていいですよ?』
二つの甲高い笑い声が、僕の周りをぐるぐる回り始める。
『だからね、こういうこともできるんです』
ちょうど僕の正面に来ていた桐旗呉美の姿が掻き消える。
しかし、僕の異形の視覚は、彼女のわずかな予備動作をはっきりと視認し、その後の行動を読んでいた。
突進。その後、頭へ直蹴り。
わかりやすすぎる。
僕は薄笑いを浮かべて頭を傾
衝撃
そ はず 。
「かッ!?」
僕は頭を起こした。
なぜか、うつ伏せで寝転がっている状態だった。
後頭部が、重く、沈むような痛みを発している。
眼の前には、誰かの足。
危機感が這い上がってくる。
咄嗟に床を転がると、直前まで僕の頭があった位置に、踵が撃ち下ろされた。
かわしざまに身を起こす。
――今、何が起こった?
いや、考えるまでもない。桐旗呉美の蹴りと同期して、後から宇津野説螺が僕の頭を蹴り砕いたのだ。
鼓動にあわせ、頭蓋の疼きが脈打つ。
首筋を伝って、どろりとした液体が流れてゆく。
「究極の連携」
宇津野が猫なで声で言った。
「リアルタイムの絆」
桐旗が猫なで声で言った。
『シニシズムを気取るヒキコモリのガキ風情に、私は倒せないィ……』
禍々しいハーモニー。込みあがってくる熱を抑えつけた口調。
――二人にして一人の存在。
ようやく、飲み込めてきた。
「ひとつ、聞かせてくれよ」
僕は立ち上がり、後頭部に手をやった。
ずきり、と、衝撃にも似た眩暈が意識を駆け抜け、手に粘つく感触が残る。
『どうして少女の方の身体で僕に近づいたのか――とかですかァ?』
きゃらきゃらと耳障りな笑い声。
「いや、それは別にいいや」
手を見ると、ふらつく視界の中で、にちゃにちゃしたゼリー状の血塊がこびりついていた。
「アレだろ? どうせ監視と嫌がらせを兼ねてたんだろ?」
そうだ、わかっているんだ。身に染みて。
胸を、甘い痛みが締め付けている。
「楽しかったか?」
恥ずかしがりやで、泣き虫で、小動物のように余裕がなくて、だけど笑顔は幸せそうで。
僕の後ろをいつもいつもついて歩いて。
僕の顔色を覗って。僕の笑顔を引き出そうとして。
突き放されても突き放されても、僕の元から去ろうとしなかった、女の子。
「頭の悪くて忠実なメス犬を演じて、楽しかったかい?」
――だけど。
そんな少女は、僕の中にしか存在せず。
すべては悪意ある偽装でしかなかった。
だから。
あぁ、だから。
今こそ認めよう。今だから認めよう。
僕は、桐旗呉美という少女が好きだった。
生まれてはじめて、心からその存在を認めることが出来た人こそ、彼女だった。
「僕も、楽しかったよ」
心ならず口元が綻んで、温かな微笑が花開く。
「一緒にいて、はじめて優しい心を胸に根付かせることができた」
好感か、恋か、友情か、感謝か、親近感か、安心感か。
名前の付けがたいこの想いを、僕は《愛》と意味づける。
愛の味を知り、愛が喪われる痛みをも知る。
「本当に、楽しかったよ」
締め付けられるような、叫び出したくなるような、この痛み。
腹の底に、虚無が広がってゆく焦燥感。
だから。
僕は。
今。
掴んだ。
愛の重み。愛の価値。
あぁ、これが。
――こんな程度なのか。
予想を大幅に下回る薄っぺらな痛みに、苛立ちを覚える。
なんだこれ。
オモチャを取られてわめくガキの心理と何が違うんだよ。
もっとこう、神聖なものじゃなかったのか。
奇跡を起こし、すべてを解決し、あらゆる人間のあらゆる人生のテーマとなるモノじゃなかったのか。
主義や善悪を超えた、至高の価値観じゃなかったのか。
「くだらねえ」
僕が桐旗呉美に対して抱いていた想いは、つまるところ優越感と欲情、そして恐怖。
それだけ。
ただ、それだけ。
「ホント、くだらねえ」
桐旗の回し蹴りがくる。振り抜いた後に、いつまでも軌跡が残っているかのような鋭さだ。
一歩退いてかわすと同時に飛来する宇津野の蹴りを払い落とし、すぐにのけぞる。顎のすぐ先を、桐旗の爪先が切り裂いてゆく。さらに膝関節を破壊せんと迫る宇津野のローキックを軽く跳んでかわし――動きようのない空中で桐旗の踵に撃ち落された。
鎖骨が、みしりと音を立てる。仰向けに落下する状態からバク転し、体勢を取り戻す。ヒビの入った鎖骨や、試合で撃たれた上腕が、熱い疼きを発する。
僕はこめかみを伝う血をぬぐい、犬どもを睨んだ。
――なるほど、ね。
完全なる連携。彼らを一人として見るなら、今までに暴力を交し合ったどんな相手よりも強い。
それも、圧倒的に。
サイボーグとやらを殺すには、ここまでする必要があるらしい。
蹴り割られた頭蓋が、ぐらりぐらりと揺れている。
「きめぇ」
宇津野が吐き捨てる。
「うぜぇ」
桐旗が哂う。
僕は肩をすくめ、素朴な疑問を吐き出す。
「なぁ、女の子の演技をやってるとき、自分でキモくなかったのか?」
『私は宇津野説螺と桐旗呉美が等しく溶け合って現れた存在。ジェンダーなど超越しています。――まぁ、あんな薄っぺらで知能の劣る人格のフリをしなければならなかった屈辱はありますけどねぇ……まんまと騙されていたお前の無様な姿が滅茶苦茶笑えたので帳消しとしておきましょう』
「ふぅん、そうなんだ」
『何余裕かましてんだクズ。さっさと私になれ』
二匹は同時に殺到する。
鋭絶な二条の蹴撃が、僕の頭の位置で交差する。
僕は床にへばりつきながらその×字をかいくぐり、床を蹴る。
低い弾道で、疾走する。
眼の前に、二本の脚が再び現れる。唸りを上げて迫ってくる。
二匹の犬は、最初の蹴りの動きを殺さずに一回転し、再び猛襲をかけてきたのだ。
一方は床すれすれを薙ぎ払い、一方は中空を斬り裂く――絶妙な軌道。
回避不可――
カスが。
それで殺ったつもりか。
「がァ!」
前のめりの姿勢で、僕は肘を突き出す。衝角のように。
ごりっ
と。
みりっ
と。
膝蓋骨、関節軟骨、半月板、内外の側副靭帯、十字靭帯、大腿四頭腱、膝蓋腱――その他もろもろ膝関節のあらゆる構造を、尖った肘が砕き割く。真横から、強引に。
『ぎっ!?』
同時に跳躍。
爪先を掠めて、凄まじい速度で宇津野の脚が下を通過してゆく。
ありえない方向に曲がった桐旗の膝を振り払い、両手から着地。前転しつつ包囲を抜ける。
そして、ソレを手に取る。握り締め、掌の中に隠す。
「海ィィ坂ァア!」
背後からの怒号に対し、勢いよく旋回。同時に爪先を跳ね上げ、回転に乗せる。
僕と宇津野の右脚が、鍔迫り合いのように激突。
貫くような衝撃が、腿を伝ってくる。
互いが弾かれるように逆回転し、今度は左脚で激突――相殺。
さらに逆回転。再度右脚が激突
――しない。
僕は途中で旋回を止め、膝を胸に付ける。奴の回し蹴りが僕を吹き飛ばす直前、爪先を跳ね上げた。
宇津野の脹脛を爪先で引っ掛け、持ち上げたのだ。
跳ね上げた脚で踏み込み、奴がバランスを崩している一瞬の間隙に滑り込む。
奴の懐へ。
そして脇をすり抜け、先へ。突き上がってくる宇津野の膝をかいくぐり、その向こうへ。
膝を破壊され、ぐにゃりと横たわる桐旗呉美の方へ。
力の限り、床を蹴りつける。
『バァカが……』
宇津野/桐旗が嘲る。
あぁ、お前の考えていることはよくわかる。膝を破壊された桐旗の方がやりやすいと見て、まっしぐらに走っていったバカを、隙だらけの背後からブチのめすつもりなんだろう。
正しい判断だ。僕でもそうする。
だが――惜しむるべきはその前提から間違っていたことか。
僕は掌の中に握り込んでいたソレを、クルリと回して逆手に持ち替える。
『貴様、それは……ッ』
しどけなく横になっていた少女は、目を見開いて立ち上がろうともがく。
頬が、勝手に吊り上がる。
――さよならだ。二つにして一つの人格よ。
僕はソレ――注射器を威圧的に振りかざし、少女の首へ振り下ろした。即座にピストン部を親指で押し込む。
注射器とは、無論、僕の異視を抑える薬が入っていた代物だ。
この薬は、眼球の中の光受容体に対する干渉を引き起こす。
対して異視刑は、脳の中でも色や明暗を認識する部分をいじくることで、異様な視覚を強要するものだ。
結果、マイナスとマイナスの積がプラスになるように、異視を抑える効果があったわけだが――
もともと正常な視覚の人間がこの薬を打たれた場合、どうなるか。
『う……ッ……ぎ!?』
踏みつけられたような呻きが、前後から。
『ぎ……ぎ……あっ、がッ?』
断続的に、閉め忘れた蛇口のごとく。
僕は力を込めて注射器を引き抜く。瞬間、桐旗の白い首筋が痙攣する。
『ひっ、ひっ、ひぎああっ、あっ、あぁぁぁぁあぁぁっ!?』
思ったとおりだ。薬の効果で、宇津野/桐旗の視界がどのような変貌を遂げたのかは想像するしかないが、恐らく僕のこの視覚と似たり寄ったりのおぞましい世界が見えることだろう。
薬が回っているのは桐旗の方だけだが、思考、記憶、認識を共有している宇津野もまたその視覚から逃げられない。誰よりも何よりも固い絆ゆえに、共倒れ。
ステレオ音源のごとく響いてくる、男女の悲鳴の二重奏。何かが崩壊してゆく軋み。魂が引き裂かれてゆく音色。その中で僕は立ち上がり、ゆっくりと宇津野を振り返った。
背を曲げ、頭を抱え、眼を血走らせ、ほつれた前髪が顔に垂れ下がっている。
「だらしないな。僕はソレに半年以上耐えたよ」
歩み寄る。
一歩の間合いで停止。
奴のせわしなく動く眼球が、僕を捉えた。
『ひ、ひぁっ! 寄るな……くるな……ッ! 俺の視界に入るなァッ!』
無視。腰を落とす。右脚を前へ、左脚を後へやる。
同時に左肘を引き、拳を装填する。張り詰めた弓のごとく、全身が軋む。
『やめろ! 死ぬぞ! 宇津野説螺を殺せば、お前のお気に入りの桐旗呉美も死ぬぞ! 死ぬんだぞォ!』
それが、絆か。反吐が出そうだ。
もういいよ。お前は死ね。他人がどこまでも他人であることに耐えられなかったお前は、ここで、死ね。
――引き絞った拳が、解き放たれる。
弧を描いて、骨肉の弾丸が突撃する。
大気の抵抗が、重い。
重い。
煩わしい。
腕が熱を帯び、唸る。物理の制約がもどかしくて、哭く。
肩の旋回に拳のスピードが追いつかない。
まだだ。
まだだ。
まだいける。まだ足りない。まだ疾れるはず。
――その時、腕の先端で、熱の弾けた感覚が襲い掛かってくる。
途端、抵抗が失せる。拳が前へ引きずり込まれる。空気にトンネルでも開いたかのように、先へ先へと吸引されてゆく。
拳撃。極限の指向性。灼熱して。
命中。予定調和のように。
激発した衝撃が、骨を伝ってくる。
そのまま腕を振り抜いた。吹き飛んでゆく、宇津野の身体。百八十度以上回転した、奴の首。
障害を砕き、意志を貫いた快楽が、脳を犯す。
奴の首の骨が、ごきりとねじ折れた感触が、遅れて腕を這い登ってくる。
シェァ……
熱い呼気を吐き、僕は体内の濁った昂ぶりを落ち着かせる。
腕を下ろし、うっそりと背後を振り返る。
そこには、虚無が横たわっていた。
僕と同い年くらいの、少女の姿をした虚無だ。
右肩が床に押し付けられた姿勢。ぐにゃりと曲がった首の上で、細い顎が僕に切っ先を向けている。壊れた笛のような息遣いが、眠たくなるほどゆっくりと繰り返される。
吸い寄せられるように、ソレのそばへと歩み寄った。
膝を付き、間近でソレの顔を覗き込む。
半開きの口や目の端から、透明な液体が筋を曳いている。
僕はその眼に惹き付けられる。
顔を近づけた。自分の眼を真円に見開き、ソレの眼球と触れ合わんばかりに近づけた。
視界いっぱいに、その眼が広がる。
潤み、煮えたぎり、凍りつき、鋭く、やわらかく、冬の星空のように澄み渡り、糞尿の海のごとく濁り切り、遠くを見、近くを見る、その眼。
今までとは明らかに違う、その眼。
「そうか……」
宇津野/桐旗の人格は、二つの肉体の相互的なやりとりの中から発生した意識だ。
片方の肉体が死んだだけで、そのやりとりは途絶え、二つの肉体を操っていた意識存在は消滅する。
つまりは、そういうことのようだ。
今、僕の眼の前で転がっている肉は、何のプログラムも入っていないコンピュータのようなもの。
からっぽの器。虚にして空。
桐旗呉美ではない何か。
「綺麗、だな」
底なしの、虚無。
僕は顔をやや引き、両手で頬を包み込む。掌に付着していた血が、ソレの頬へ朱をあしらう。
はじめて、他者を美しいと感じた。この肉と骨の構造物は、もう二度と笑うことも怒ることも泣くこともしゃべることもなく、ただただ在りつづける。人間の形作ったあらゆる理屈から離れたところで、ここではないどこかを見つめつづける。
心の中で、ひそかに守りつづけてきた、理想の体現。
決して叶わぬ夢であると、無意識のうちに切り捨ててきた、偶像。
それが今、目の前にある。
他人を理解などしたくなかった。他人に理解などされたくなかった。
どのような関係も、持ちたくはなかった。
「人はひとりでは生きていけない」などと、クズどもは雁首そろえてがなりたてる。
その無神経な言葉が、一体どれだけの人間を傷つけているのか、想像すらしないで。
――カスどもが。
いかにお前らが大きな声で喚き立てようが、今僕の目の前で横たわるこの虚無の、気高い有様を貶めることはできない。これはもはや、誰も必要としない。このまま放っておけば、表情一つ変えぬまま、誰に助けを求めることもなく、黙って朽ち果ててゆくことだろう。だからこそ美しい。だからこそ、守る価値があるんだ。
そうして、ようやく気づいた。
自分が、血の色を赤いと認識していることに。
それだけではなく、以前まではあれほどおぞましいと感じていた人間の顔が、今ではごく普通に直視できている。何の違和感もなく。
おかしな話だ。異視状態は解除されていない。解除されていたら、そもそも宇津野/桐旗を殺すことはできなかっただろう。
では、何故?
――かすかに、笑いがこぼれた。
なんのことはない。僕ののろまな脳みそが、ようやく異視覚を受け入れただけだ。
自分の見る赤と、他人の見る赤が、同じ色であるという保障はどこにもない。
しかし、自分の中でその色を赤と命名すれば、どんな色であろうがそれは赤になる。
僕の場合は、あまりにも変化が急過ぎた上に、ちょくちょく薬で元の色認識に戻っていた。
だから今までこの視界を受け入れられなかったのだ。
わかってみれば他愛もない。
最初からこんな茶番に付き合う必要もなかったということか。
――警報が鳴り出したのは、その時だ。
けたたましい繰り返しが、室内を満たしている。
「やれやれ……くだらない」
僕はソレの腕を取り、背中から密着。煮えすぎた長ネギみたいな両腕を首の前で組ませ、ぐんにゃりとした両脚を腰のあたりで抱えた。
「よいしょっと」
立ち上がる。僕のうなじに、ソレの頬がぺたりと当たっている。
幽霊の呻きにも似た空虚な息遣いが、顎や頬をくすぐってゆく。
不思議に満ち足りた気分で、僕は眼を細める。
「ねえ」
背負った人型の虚無に、声をかける。
多数の足音が、壁越しにかすかに漂ってくる。
次の瞬間、ドアが開け放たれた。同時に突き出された数丁の機関銃が、品のない交響曲をがなりたてる。
すでにドアの脇に飛び込んでいた僕は、虚無を背負ったまま床を蹴り、空中で旋回。銃を撃ちまくるバカ二匹の前に飛び出しながら足刀を薙ぎ払った。陥没した頭蓋が一挙に吹っ飛んでゆく。同時に後から飛んできた銃弾が、僕の脚と腹に喰い付く。
「もしも、万が一」
敵の数を確認しつつ着地。T字路。左右にそれぞれ五匹。機関銃を持っている奴は二匹。意外と少ない。後は全員拳銃。廊下の幅が広いのも好条件。
奴らの銃を持つ腕が色相変化。銃声が激発する前に跳躍する。鉛の礫が咆哮を上げる。
しかし、お荷物を背負った状態で、どこまでやれるものか。
どうでもいい。やることに変わりはない。こいつらが警官なのか刑務官なのか自衛隊なのか公安なのか、そんなこともどうでもいい。
「ここから生きて抜け出せるようなことがあれば」
着地。即座に駆け出す。腕の方向や筋肉の収縮具合から、こいつらがどこを狙っているのかはわかっている。あとは同士討ちを恐れるような位置に移動できれば――
踵が唸りを上げて機関銃野郎の顎を抉り飛ばす。そのまま壁を蹴り方向転換。銃声銃声銃声。跳躍。疾駆。
重要なのはただひとつ。
心血注ぐべきはただひとつ。
あぁ、今こそ伝えよう、僕の始めての想いを。
とうとうこの身に愛は根付かなかったけれど。
少なくとも気づくことは出来た。
「そのときは」
たとえ、すべての愛が自己愛の裏返しだったとしても。
それでも、他者に対して何の含みもなく成してやれることはある。
自分とは異なる方向を目指す者の存在を許すこと。
自分の先にいる者を尊敬すること。
地獄の底でただひとり。血臭の坩堝の中でただひとり。死が飛び交う処刑場の中でただひとり。孤独を必死に覆い隠そうとする世界の中でただひとり。
「あなたの、絵が描きたいな」
僕だけは、あなたを尊敬するから。
想いを噛み締め、疾駆する。
【完】