瘋癲老人日記

谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」を読むために、周辺情報の下調べをしています。「瘋癲」は「ふうてん」と読みます。山田洋次は「フーテン」という表現をします。

オーディオブックを作る時は録音の前に、一度じっくり読み込みます。疑問点や歴史、事件、風俗背景で分からないことがあれば資料に当たります。ほとんどの場合ネットで調べますが、時には関連本を購入して調べます。「瘋癲老人日記」ではこれに嵌ってしまい抜け出せません。

「瘋癲老人日記」は「日記」という体裁をとった創作物です。しかし谷崎潤一郎の晩年がほぼ忠実に描かれています。谷崎潤一郎研究には超一等の資料です。
私はこのどーしょーもない大文豪の谷崎潤ちゃんが大好きなのですが、大好きなためにどんどん深入りしてしまいました。

この「瘋癲老人日記」にはモデルが居るとされています。そのモデルは谷崎の三番目の妻の連れ子の嫁です。そのモデルとされる義理の娘(甥の妻)と谷崎は夥しい数の手紙をやり取りしています。それをモデルとされる義理の娘=渡邊千萬子さんは書籍として出版してしまったのです。出版社に唆されたのと結構な印税が見込まれたのでしょう。

これはどーよ。
手紙というのは日記と同様、プライベートなものではないのか?しかも「瘋癲老人日記」は日記形式をとったある程度において創作物だが、手紙は相手だけに読まれる事を想定して書いたものではないのか?それを衆目に晒すという行為はどーよ。ヒトの行いとしてどーよ。

さらにどーよが千萬子の娘の、さをりさん。
祖父である(戸籍上の)文豪谷崎潤一郎のプライベートを、文豪谷崎潤一郎の(戸籍上の)孫としてベロベロに書籍で曝け出しています。これについて詳しく書くとどんどん長くなるので辞めますが、まー、谷崎潤一郎という人は私にとって、愛すべきどーしよーもない人です。大いに共感し、限りなく羨ましい生き方をしています。でも、(義理の)娘や血の繋がりは無いとはいえ、最愛の孫にまでプライベートを暴露されて、散々利用されて可哀想でもあります。
才能には恵まれましたが、身内には恵まれなかったような気がします。

そんな事を踏まえた上で、さあ、「瘋癲老人日記」。
おーっとこれは何だ!漢字とカタカナで書かれているいるではないか。
なぜあえてカタカナで書いたかについてはいずれ、、、。

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