今、すれ違った人は癌に苦しんでいるかもしれない
1ヶ月前、母が癌との闘病の末に他界しまだ学生である自分は今まで通りの学校生活に戻そうとしていますが心の痛みや寂しさ、後悔は一向に消えません。
この数ヶ月で強く想ったことは、電車で隣に座っている人も、街ですれ違う人も、よく会話する友人も実は何かを抱えながら必死に平気なふりをしているかもしれないということ。またはそう想像すること。
2ヶ月前、癌の進行により抗ガン剤がもう使えないと治療はもうできないと母に伝えた日に私は20年と少しの人生の中で初めて辛くて消えたいという感情を知りました。まだ治療を諦めないと前向きな言葉を母から聞いた直後にそう伝えなくてはいけない残酷な状況に耐えられず何かを恨みたくて仕方なかった。
駅に行けば大勢人がいるけれど、全員が他人で誰にとっても”母が死に向かっている”ことなんて”立っているのがやっとなほど私が辛い”ことなんて関係なくてどうでもいいことなのだと思うと外に出るのが怖く感じました。
そんな時にすれ違ったおばあさんに他愛もないことで言われた”ありがとう”という言葉に私はとても救われました。あまりに他愛も無かったので何に対するお礼だったかも覚えていないのですが他人の優しさが見えて心がほっとして久しぶりに息ができた感覚でした。本当に孤独な時には知らない人のなんて事ない一言があまりに大きな影響を与えるのだとこの時感じました。
癌という病気と向き合うのは想像以上に難しく闘病していた本人はもっと行く宛のない気持ちを抱えていたと思うと、日本人の2人に1人が癌になるという数字を疑ってしまいました。こんなに辛い思いを本当にそんな多くの人がしているのかと…もしその数字が本当ならば癌という病気と闘いながらなんとか踏ん張って外に出れば平気なふりをしている人が沢山いるはずです。大人は人前に出ると大丈夫なふりをして必死にいつも通りの生活をするのが上手すぎてしまうように感じました。
癌に限らずとも”もしかしたらこの人も今本当に辛くて立っているのがやっとなのかもしれない”と一考してから人に接してみたら、その人を知らずに救えるのかも…また、知らずに傷つけてしまうこともないのかも…
何気ない一言がどんな影響を与えているかわからない世の中で、人の痛みを想像できる人間になりたいと思いました。母に恥じぬよう。