冬至のころの凍えた夜に、ふたりはやってきた
太陽が南回帰線上をたどる日を、北半球では冬至と称する。ヨーロッパの言語の多くは南回帰線にCapricornという言葉をあてるが、これは西洋占星術における磨羯宮、すなわち山羊座が冬至点からはじまることによる。
この日の太陽は1年でもっとも低い位置にある。昼がもっとも短い日だ。それほど極端な時期ということで、いまいる位置から太陽はもっとも遠く離れている。
冬至の日は「死に一番近い日」とされ、むかしから厄払いのためにさまざまな祭りごとがなされてきた。いわば陰の世が極まったときといえる。この日を境にして陰陽転化がなされ、陽の時期がはじまることになる。つまり、夜の時間が長くなっていく陰の世界と、昼の時間が少しずつ長くなっていく陽の世界が入れ替わることになるのだ。それは生死の転換のときでもある。
とはいえ、季節感からすると、12月下旬といえば大地は冷えこんで、冬がその本領を発揮しはじめるころだ。景色も急速に冬めいてきて、本格的な寒さに備えるという気持ちが強くなる。それにあわせて、冬という抒情が胸にしみてくる。こうした感覚はいまよりも、もっと若いときのほうが鮮明だった。
たとえば学生のころだと、大学は冬休みにはいって授業がなくなり、僕は年末のアルバイトを探したりしていた。銀杏の並木は葉を落とし、下宿の近くを流れる川はいかにも冷たそうだった。そんな季節のことだ。
高校時代の同級生Uから、めずらしく電話がかかってきた。
「今夜、ひと晩、泊めてくれないか」
という。急にどうしんだ、という気持ちがわき起こる。いまででは住んでいる町もちがうため、Uとはそう頻繁に会っているわけではない。年に1度か2度という程度だ。とはいえ、高校時代はよく話をした友だちのひとりだ。僕としてもひとり暮らしの身なので、泊まるのはかまわなかった。
「いいよ」
「そうか、助かるよ」
なにか事情があるのだろう。
とにかく、そんな話もUがきてからのことだ。
その日が冬至だったかどうかは覚えていない。そもそも冬至の日すら意識はしていなかった。ただ、冷たい小雨の降る寒い夜だった。
1時間ばかりして、べニア板でつくられた部屋のドアを叩く音がした。ドアを開けると、Uが立っていた。よおっ、と声をかけると、彼も同じように声をだした。その拍子に、彼の濡れた黒い髪がパサリッとかその顔にかぶさるように落ちた。
そんな彼のうしろには、女の子がいた。僕たちよりもあきらかに若い感じで、どう見てもまだ二十歳にはなっていないようだった。
とにかく、ふたりを部屋のなかにいれて、僕はなにか温かい飲みものをだした。そのころ、部屋にコーヒーをおいていたかどうかは記憶にない。ティーバッグだったのか、あるいは缶コーヒーでも買ってきたのかもしれない。とにかく外は寒く、ふたりは雨に濡れていた。事情は聞かなくてもおよそはわかる。
ふたりは駆け落ちをしてきたのだそうだ。
「駆け落ち!」
時代錯誤に感じられる言葉にすこしあきれながらも、僕はなにか奇妙な憧憬を覚えた。駆け落ちをするという無謀さや資質にではなく、そういう環境におかれた彼への薄っすらとした嫉妬かもしれなかった。
高校時代の同級生であるUは当時大学生、彼女は高校3年生だという。卒業はどうするの、と彼女に尋ねても、わからないという。どうやら深い考えはないように見えた。というより、そんな情熱がほんとうに彼女のなかにあったのかどうか。ぼくにはどこか信じがたいものがあった。
「で、これからどうする?」
「まだ、決めてない。どこかで暮らすよ」
「あてはあるのか?」
「ない」
高校時代からすこしポイントのおきどころが変わったやつだった。それにしてもあまりの無計画さだ。
夜もふけてきて、部屋にストーブはあったが、かなり冷えてきた。外を見ると雨は雪に変わっている。僕たちはストーブを囲むようにして、布団をかぶって雑魚寝した。
翌朝、僕たちは近くの喫茶店にいってモーニングセットを食べた。地面には薄っすらと白い雪が残っていた。
Uといっしょにいる高校三年生の彼女は、あまりしゃべらなかった。緊張があったのか、人見知りなのかは、わからない。ただ、どこかぼんやりとしたところのある子だなぁ、という印象をもったのを覚えている。その彼女が喫茶店の窓から外を見ながら、
「あっ、ヒイラギ」
といって、ちょっと笑った。その顔がうれしそうだったので、僕はちょっとホッとした。
喫茶店で時間をつぶしたあと、僕は銀行のATMでなけなしの2万円をおろして、Uにわたした。彼はカネを借りにきたのだ。しかし、僕の口座にはそれくらいしかなかった。
若い時代の情熱というか無軌道さは、なにか憑きものでも憑いているのかと思うときがある。まともに考えれば合点のいかないことに邁進したり、夢中になったりする。人生のなかの祭りのような時期だ。踊り狂い、蕩尽することにこそ意味がある。無意味であるほうがむしろ有意義なのだ。
冬至には、夜の闇の時間が長くなっていく陰の世界と、昼の光の時間が少しずつ長くなる陽のが入れ替わる。
そもそも祭りの起源は、このアンバランスな時期にあるという。というのも、精霊たちはバランスを崩した時空間のひずみをたどるようにして、あの世からこの世にやってくる。祭りというのは、こんな精霊たちを迎え、もてなし、送りだすという儀式であり宴である。
それは昼の時間のもっとも長い夏至にもいえることだが、冬の祭りはとくに、ケの期間を過ごすうちに勢いを失ってしまった精霊に、力をあたえるという意味がある。それには、閉ざされた空間なかで、男たちが裸になって組みあったり、駆け回ったり、あるいは大地を足で踏み鳴らしたりという儀式をともなった。冷え衰えた精霊に生命の息吹をもたらそうとしたのである。そこには精霊たちが自分たちともに存在することを確信し、彼らを畏怖し、なだめすかそうとする並々ならぬ意志を感じる。精霊たちのなかには奇怪な姿をした怪しげなもの、邪悪なものも混じっていた。
冬は「ひゆ」から派生した言葉で、冷たさを意味する。と同時に、「ふゆ」すなわち増殖をも案じした言葉だとされる。
僕はのちに、こうした冬至の物語を知り、そのときに若かったころの冬を思った。
あの年の冬、僕は風邪をこじらせ、いつまでも咳がとまらなかった。からだが熱っぽくて、重だるいような日々がつづいた。
それでも体力のある年齢だったので、マフラーをグルグル巻きにしてアルバイトにでかけたり、熱でぼんやりとした頭のまま徹夜麻雀をしたりもした。年が明けてしばらくすると、大学は後期試験の時期になり、専門書を広げて読んだ。部屋にいると寒さがしみたが、食欲だけは不思議と落ちるということがなく、それゆえに体力は維持できた。
僕はあの駆け落ち話を思いだしながら、ふとUがつれてきた彼女のことを占ってみる気になった。あのころの彼女の気持ちや状況を見てみようと思ったのだ。
もう顔も名前も覚えてはいない。ただ、彼女のもっていた、やや霞のかかったような不思議な雰囲気は記憶にある。そこには情熱があったのか。それとも流されただけなのか。少なくともUには、なにか新しい出発をしようという気持ちがあったことだろう。
占ってみると、強く暗示されたものがあった。
彼女の気持ちから感じられるのは行き詰まりだ。Uたちの恋愛はすでに、行き場を失っていたのだろう。はたして駆け落ちという言葉が適切だったのかどうかすらわからない。たとえそこに先の見えない暗い情熱があったとしても、彼女のなかではすでになにかが、おわろうとしていたのではないか。僕が見るかぎり、彼女から新鮮味や刺激は伝わってこなかった。
みんなで雑魚寝をした翌日、
「あっ、ヒイラギ」
と彼女が口にしたのは、彼女自身でさえよくわからないなにかが、そういわせたようにも思える。彼女はすでにあのとき、大地を踏み鳴らすようにして、夏至の踊りを踊っていたのかもしれない。そうやって、魂をふるい起こしたのだ。
やがて冬が去り、早春の気配が漂いはじめたころに、電話がかかってきた。同級生のUからだった。あの日からもう2か月あまりが過ぎている。
「駆け落ちは失敗した」
そう話すUの声は、明るくもなく暗くもなかった。
Uから電話がかかってきたあと、しばらくしてあのときのように彼が僕の部屋にやってきた。貸していたカネを返しにきたのだ。僕たちは外にでて、広々とした運動場のような公園にいった。
冬の時期をどこでどう暮らしたのか、彼女がどうなったのか、僕はなにも聞かなかった。Uもなにもいわなかった。陽ざしは春めいてきたとはいえ、まだ冷たい外気のなかで、映画の話をしたことを覚えている。
公園のポプラは、その裸の枝をひんやりとした空気にさらし、空にむかってそびえていた。あのころを思いだすと、壊れやすいガラス細工にでもふれたときのように、なんだかその扱いに困ってしまうところがある。僕はそのころ22歳になった。