蝶はあの河をわたったのか -多重夢から覚めて-
私鉄に乗って、大きな川にかかった鉄橋をわたっていた。二十歳のころだ。
都市圏を流れる川だが、河川敷には草の生えた土手があり、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。僕は電車の扉にもたれるように立って、川を見おろしていた。よく知っている風景だ。すると幼い少年がひとり、河原で石を積んでいるのが目にはいった。
「おやっ」
と思った。なんだか奇妙な感じだなぁ、という気持ちのまま見ていると、その少年の顔が見えた。心臓をつかまれたような衝撃が走った
その少年は、幼いころの自分自身なのである。
ああっ、と声がでそうになって目が覚めた。夢を見ていたのだ。
目が覚めると、実家のベッドのうえにいた。少年時代から十八歳で家を離れるまですごした二階建ての一軒家だ。
夢とはいえ、衝撃からまだ覚めやらないまま起きだし、二階にあった自分の部屋をでて、階段をおりる。階段のしたは廊下になっていて、左には玄関、右に進めばキッチンにつながっている。だれもいないのか、家のなかは薄暗い。キッチンのほうに、ポッとあかりがともっているので、歩いて見にいくと、大きな葬壇があった。
廊下から見えたあかりは、葬壇のロウソクだった。ゆらゆらと揺れる灯が祭壇に飾られた黒縁の写真を照らしている。見ると、自分自身の写真である。
祭壇が見えたあたりから、なんだか怪しいぞ、という気持ちはすでにあった。自身の写真を目にした段階で、
「あぁこれは夢か」
と思っていた。もうすこしここにいてみよう。そう思うのだが、それはかなわず、引きずりだされるように目が覚めた。
目が覚めた場所は、当時ひとり暮らしをしていた部屋だ。
やっと現実にもどってきた、という思いがあったが、それでもその現実を疑う気持ちが残っていたのを覚えている。
ポケットに小銭ががなかったのだ
二重夢の解釈には、いろいろな説がある。
不安な心理のあらわれ、自分自身を客観視したいという心理、願望と現状との乖離、あるいは階段の降下は深層心理への侵入。なるほどと思いつつも、いまひとつ納得感がえられない。
ためしにネット上のAIに分析をしてもらった。鉄橋や川、祭壇、写真などいくつかの象徴の意味を解説したあと、全体としては自己認識のテーマが強く感じられ、変化や成長の時期、あるいは人生の転換期にきていることが暗示される、というような分析だった。つまり、成長過程で失われたなにかへの「未練」もしくは「決別」をあらわしているらしい。
いくつかのAIで試したが、やはり似たような回答がかえってきた。どれも常識的な解釈で、興味をひかれるほどのものはなかった。
フロイトやユングなどの精神分析学者の理論にそって分析してほしいといえば、やはりそれらしい解釈がかえってくる。
当時の自分自身がどういう心理状態にあったか、夢が正確にどの時期のものかなどは、僕のなかではすでに曖昧で霧のなかにある。とはいえ、AIのこたえはどうも本質にふれた感じはなかった。これはAIの性能というよりは、AIの制御機能のせいかもしれない。もっと精度が高く、本質に触れるような回答をもちながら、あえて常識的な範疇にとどめているような気がする。
それにしても、夢のなかでは荒唐無稽なことが起こる。それはいいとしても、それをすんなりと受け入れているところがおもしろい。たとえば、街なかで人が浮かんでいるとすれば相当な衝撃だが、夢のなかだとなじんでしまう。
そんなことを思っていると、1か月ほど前に見た夢を思いだした。これもまた二重夢ではあった。
目を覚ますと、僕は実家のベッドのうえにいる。
ビルのなかにいるような夢を見ていたが、はっきりと思いだせない。もっといえば、その夢のまえにはまた別の夢を見ていた記憶もあるが、その内容はもう思いだせない
とにかく、実家で二階で目覚め、僕はやはり階段をおりてキッチンにいくと、そこに亡くなった父がいる。あれっ、と思うのだが、そこは大きな疑問もいだいていない。父は風呂からあがってきたようで、上半身は裸だ。しばらく話をしたあと、僕はひとりで外出することにした。
気がつくと、見慣れた郷里の町の商店街を歩いている。すると、小柄な年輩の男が男が近づいてきて、僕の名を呼ぶ。見知らぬ老人だが、ずいぶんと馴れ馴れしい態度で、自分は僕の祖父なのだという。こんな人だったかなぁ、と思いながらも、祖父だと名乗られればそんな気がしてくる。
しばらくいっしょに歩いていたが、ちょっと用があるといって祖父は姿を消した。
商店街から脇道にはいると、そのむこうに港があった。対岸の突堤には黒っぽい船が停泊している。大きな船だが、かなりボロボロでまるで幽霊船のようだ。その船から小型の船が近づいてくる。いつの間にか、なぜかあたりは暗くなっていた。
僕が立っているのは、埠頭の先でどうやら船着き場らしい。なんだかバス停のような感じでもある。そこに制服姿の中学生の男の子がふたり、なにかしゃべっりながら、小型船を待っているらしい。ふと気づくと、ぼくのかたらわらに、祖父だという男がいる。どうやら小型船に乗って、あの大きな黒い船までいくようだ。
「お金はあるか」
と祖父にいわれて、ポケットを探ってみるが、小銭がない。これではボートに乗れない、と焦っているうちに目が覚めた。
あれは死の国にむかう川だったのか
郷里の町に港はないが、いま暮らしている街には大きな港がある。夢のなかの港は、以前に見たこの港の貨物埠頭の夜景にどこか似ている。あのときも黒っぽい貨物船が停泊していた。古い記憶と、新しい記憶がいりまじって映像化されているのかもしれない。
僕はこの夢を、とりわけ意味あるものだとは考えていない。しかし印象は強く、どこか死のイメージをまとっている。なにしろ道具立てがそろっている。亡くなった父、水辺、小舟、老人、小銭である。どう見ても、カロンの渡し舟ではないか。
これは、よく知られた地獄への渡し守の話だ。
死者はステュクス川あるいはその支流アケローン川をわたるという。前者の川は憎悪、後者は悲嘆という意味をあらわす。そのさい、1オボルス硬貨を歯にはさみ、これを船賃としてボロ着姿の白髪の老人カロンに払わなければらなない。
では、僕のようにポケットを探っても小銭のない者はどうするのか。
一説によれば、乗船できずに置いてけぼりをくらうのかというと、そうではなく、服をはぎとられ素っ裸にされて船に乗せられるらしい。また別の説では、船には乗せてもらえずに、あの世とこの世の境にある川辺を、永遠にさまようことになるという。
洋の東西をかかわらず、古くから冥銭という風習があって、これは金銭またはそれを模した副葬品をさす。ある種の通貨儀礼として、死の国へとむかうときには、この冥銭を用いることになるようだ。
日本でも、黄泉へとつながる三途川の船賃として、六文が必要とされた。六文銭、六道銭といわれるものだ。6という数字は天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道をさし、それぞれの世界で一文ずつをさしだす必要があるらしい。
かつてはほんものの通貨を使用していたが、いまではこの通貨単位がなくなり、法律的にも通貨破損は罪に問われる。そのため、六文銭を模して紙や印刷物などがつかわれるようになった。
沖縄に長く住んでいた知りあいが、墓参りで「うちかび」と呼ばれる紙銭を燃やす風習を話してくれたことがあった。うちがびは、打ち紙ということだろう。
僕は夢のなかで三途の川をわたろうとしていたのだろうか。それは、考えたところでよくわからない。ただ二重夢や多重夢から覚めると、自分はずいぶんと深い場所にいたらしく、なんとか現実にもどってくることができたと、ホッとした気分になる。
と同時に、いまいる現実を疑わしさもって眺めている自分に気づく。思いだされるのは、荘子の残した「胡蝶の夢」という説話だ。蝶になった夢を見ていた男が、その夢から覚めて、はたして蝶であった自分こそがほんとうの自分ではなかったかと疑いをもつのである。
最近、鏡を見ていていて、ふとこれは自分なのかという疑いをもつことがふえた。年齢とともに現実の顔と自己イメージが乖離していくということも一因だろう。霊視や占いの世界では、なにかが憑依しているという人もいる。僕としては、胡蝶の夢説をとりたい。どうもなにかが疑わしい。しかし、その疑いに確信はもてないでいる。
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