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砂漠を背負った街と「大地の占い」

アフリカ北部にアルジェリアという国がある。地中海をはさんでフランスの対岸に位置し、国土の多くをサハラ砂漠が占めている。僕がはじめて滞在した外国が、このアルジェリアだ。正確にいえば、ストップオーバーでパリに1泊しているが、それは滞在とはいいがたい。
仕事でもなく観光というわけでもなく、ただぶらっといってみた。それがアルジェリアだというと、怪訝な顔をする人もいる。自分なりに理由があったとはいえ、いまとなってはやはり奇妙な感じもある。

サハラからの風とアルジェの港

滞在したのはおもに地中海に面した首都のアルジェだった。大きな港町で、僕は街はずれに海辺のホテルを見つけて、そこに滞在することに決めた。部屋はとても簡素だが、じゅうぶんな広さがあって、海をのぞむベランダがついていた。そこに、うっすらと砂が積もっている。広大なサハラ砂漠から砂まじりの風が吹いてくるのだ。
街の背後にはすぐに丘が迫っている。そこはカスバと呼ばれる旧市街で、毎日あかずにこの中世アラブの名残をとどめた一画をさまよい歩いた。広場ではスークと呼ばれる市が立ち、たくさんの人々がいきかっていたが、一歩裏通りにはいると、人がギリギリすれちがえるほどの狭い路地がめぐっていて、人けはなくあたりは静寂につつまれた。両側には建物が迫り、光ははるか上からさしてくる。そこに身をおくことは、眩暈のような感覚があった。

この街で10日間ほどすごしたが、僕はヨーロッパ側にもどるチケットをもっていなかった。自分で調達しなければならないが、アラビア語は話せない。この国はかつてフランスの植民地だったので、フランス語はつうじるが、それもほんの片言というレベルだった。
どうすればいいか困りはてて、港で船を見ていると、若いおにいちゃんが声をかけてきた。なんとか応じているうちに、
「賭けをしないか」
といってきた。護岸の堤防のうえで腕相撲をしようというのだ。

そのおにいちゃんはあまり上背はなかったが、がっしりとした体格で、もちろん最初から勝つ気満々だった。僕は退屈していたし、掛け金もそれほど大きくなかった。とりわけ腕っぷしに自信があるわけではなかったが、まぁ負けたとしても、ちょっとした遊びだと思いばいい。ところが、結果はなんと僕が勝ってしまった。
相手は困惑した顔をしている。払う金がないのだろう。
そこで僕はまた片言のフランス語で彼にいった。
「掛け金はいらないよ。そのかわり、手伝ってほしい。マルセイユまで船でいきたいんだ。でもチケットの買い方がわからない。だから、手伝ってくれないか」
なんとか通じたようだ。

こうして彼の助けをかり、なんとかチケットを手に入れた。お礼の意味もこめて。いっしょに食事をした。場末の簡易な食堂だ。なにを食べたのかは覚えていないし、そのあとどうしたのかも記憶にない。
ただそこにもまた、床のところどころに薄っすらと砂があって、なんだか知らず知らずのうちに見えない力に支配されているような気分がにじんだ。嫌な感情ではなく、かといって快いわけでもないが、背後にははかり知れないほど広大なサハラがあると思いが寄せてきて、夢幻的な気分ではあった。と同時に、まるで粘菌かなにかのように砂が町を侵食していているようで、その静かな力におののきもした。

ジオマンシーという大地の占い

静かな力ということで、ひとつ紹介したいものがある。

ジオマンシー(geomancy)と呼ばれる古い占いである。もともとは砂や土、ときには小石を手ににぎり、それを地面に投じると、散らばってある種の模様が浮かびあがる。そのパターンを解釈して占うというものだ。

いわゆる卜術と相術をあわせたような占いで、偶然性とシンクロニシティの考え方を利用するとともに、アラビア版の風水ともいえる。偶然を偶然を操るという点では、タロットなどと同じ手法を使いもする。いっぽうで、geoは「地理・地球」をあらわし、mancyは他の語と連結して「~占い」という語をつくる。つまりgeomancyyは大地の占い、大地の予言とでもいうような意味で、日本語では地相術とも呼ばれる。

歴史をたどれば古代バビロニアにさかのぼるというから、3500年以上もむかしのことだ。当時としてはきわめて高度な文明を発達させたシュメール人によって、ジオマンシーの原型的技法がなされていたかと思うと、なんだか感慨深いものがある。当然ながら、アルジェリアだけではなく、アラブ世界やギリシアあたりにも広がっているものだろう。

8世紀ごろにかたちを整え、その後12世紀になってアラビア語の文献をつうじてスペインから、さらにヨーロッパ全土にも伝わったらしい。占い師が杖を手にして砂や土のうえに点を描き、その数が偶数か奇数かによって吉凶を占うというものだ。偶然にできあがった模様を陰と陽の組み合わせからなる16種類のパターンに分類し、占星術的解釈とからめながら占うというのが、広く流布していった手法だ。16という数字は特別な意味をもつもので、偶数か奇数というのは、アラビア世界では昼と夜、あるいはプラスとマイナスを示し、と東洋的にいえば陰陽となる。

中世ヨーロッパでは魔術や錬金術とのつながりを深くし、ルネサンス期にはかなり流行したともいう。この時期に近代科学が芽吹いたわけだが、いっぽうで占星術などが一定の影響力をもち、それらが科学とのあいだで明確な線引きができていない時代でもあった。17世紀ごろまではジオマンシーに関するテキストが数多く書かれ、本も出版されたが、それ以降は実証科学が広がるなかで、研究は下火になり文献も途絶えていった。

ところが、ここ最近はふたたびジオマンシーが復活しているという。アメリカのスピリチャル系の作家ジョン・マイケル・グリアがその作品のなかでジオマンシーをとりあげたことで再注目さえるようになったというが、読んだことはない。
いまではノートや紙のうえに鉛筆やボールペンで点を打つなど、原初に比べるとかなり技法がシンプルになったが、ユニークネスをもった占いとして研究者や実践者が増えているという。

アッラーの響きがカスバの丘に

僕はジオマンシーの技術をもたない。しかし、古い時代からあの砂の地でなされてきたであろう人々の営みのイメージは、いくらかもつことができる。
急な坂道と階段のある迷宮のようなカスバ。砂漠からの乾燥した熱い風がときおり吹いてきて、町を薄っすらとおおう。そこに1日に5回、コーランの響きが入り組んだ通りをはうように響いてきた。この地で暮らすイスラム教の人々が、自分の未来をどのようにとらえているのか。もちろん夢や希望もあるだろが、それでいて唯一絶対神に身も心も委ねているところろがあるようだ。

彼らはしばしばこの言葉を口にする。
「イン・シャー・アッラー」」
すなわち、アラーの神のおぼしめすままに、と。
スークでは、ものの値段は不可解な謎につつまれている。「いくら?(combien)」と尋ねれば、最初の値段が告げられる。それがなにを意味するのか、売り手の商人にさえわからない。相手によって、時間によって、気分によって異なり、たんに長々と続く交渉の始まりにしかすぎない。なじみのないアラビア語につつまれ、僕は唯一覚えた1から10までのアラビア語の数字を組み替えながらメモに記し、それを商人のまえにさしだす。そのやりとりが複雑であればあるほど彼らは喜ぶ。もはやそれは、たんなる値切り交渉ではないなにかだ。あるいは言葉を介した、数字を媒介とした不思議な呼応であることは、うすうすわかってくる。
こうしていつしか最後の値段にたどり着くのだ。

それが正しいものかどうかも、わからない。そもそも正しさとはなにか。損得ではない洞察やこれはお金を媒介としているが、ものを超えたものの交換であり贈与であり、商業に属するというよりむしろ神学に関わるもののような気さえしてくる。
最後に告げられそれをうけいれる言葉は、神託でありその受容であるかのようだ。

あのころからずいぶん時間がすぎて、いま思えば砂漠を背負ったアルジェの街の体験そのものが、ふと古来のジオマンシーと二重写しになってきたりもする。占術師が運命を読みとろうとした大地のひび割れはカスバの迷路のようであり、彼らが大地にふりまいたひと握りの砂はスークで聞く人々のざわめきのようだ。偶然が織りなす大地の模様は、声となってなにかを告げる。やがてそれもあの砂漠からの熱い風に吹き消されていくのだ。

しかし、おぼろげになった記憶のなかで、不思議と「アッラー」という言葉の響きは消え残り、カスバの丘をすり抜けていく。
僕は滞在を切りあげて、アルジェの港から大きな白い船に乗りこんだ。ところどころに錆の浮いたその船は、老いた白い巨象のようだった。デッキに立ってあらためて眺めたカスバの丘もまた、アフリカの太陽を浴びて白っぽく輝いていた。


*記事に関する本
生命の木―ゴールデン・ドーンの伝統の中のカ
     (ジョン・マイケル・グリア )
アルジェリアを知るための62章 (私市 正年)


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