シュルレアリストたちの骨牌 続・トランプの来歴
マルセイユという響きには、どことなく懐かしさがある。
ここを訪れたのは2度、滞在期間にすれば1か月足らずだけれど、地中海に面したこのフランス第2の都市に不思議な親しみを覚えている。ここには大都市の喧騒はなく、多くのヨットが停泊する旧港付近はむしろ人情深い下町の感じと、港町らしい荒くれた気配が相まってぞわぞわした。
ずいぶん前になるが、ある夏の日、このマルセイユの路上で、彫金などの飾りや手編みの手工芸品を打っている一群を見かけた。そのなかに、トランプ占いのようなことをしている老女もいた。占ってもらったわけではないが、彼らのもつ独特の雰囲気に興味を覚えた。そこには親密さと粗野な感じがいりまじっている。
安宿の女主人に聞くと、
「マヌーシュよ」
という。
マヌーシュあるいはジタンと呼ばれるフランスのジプシーたちは、かつては移動生活を送っているが多く、おもに南フランスをその生活圏としていた。いまでは正規で一般的な職業に就く人も増え、レストランや雑貨店などを経営している人たちもいるようだ。
僕が泊まっていたホテルは、旧港から緩やかな坂を5,6分ばかりのぼった路地にあって、1つ星か2つ星の古い安宿だった。とはいえ、隠れ家的な雰囲気があって、居心地はとてもよかった。
このマルセイユの町で、逃亡生活を送っていたシュルレアリストたちがいる。第2次世界大戦中のことで、ナチスから逃れてアメリカに亡命しようとしていた芸術家たちだ。1940年6月にナチスがフランス侵攻し、フランスは北部をドイツの占領下におかれ、南部はヴィシー政権として存続することとなった。そのころのことである。
この逃亡者たちのなかにフランスの作家アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896-1966)がいた。
ブルトンは1940年から41年の冬にかけ、マルセイユでアメリアによる知識人救済委員会の保護をうけて、トロツキー派の革命家やシュルレアリストらとともに広大な別荘に身を寄せていた。
彼らは米国へ渡る船を待つあいだ、暇をもてあまして、集団デッサンなどある種の遊戯に耽ったりしたという。そんな遊びのひとつとして、ブルトンはマルセイユの図書館でカードに関する記述を見つけ、その歴史が戦闘の敗北に関係があることを知った。
これをきっかっけに、シュルレアリストたちがデザイン画を起こした。参加したのはブルトンのほかヴィクトル・ブローネル、オスカー・ドミンゲス、マックス・エルンスト、ジャック・エロルド、ウィフレード・ラム、ジャクリーン・ランバ、アンドレ・マッソンの計8人。彼らの創作はたんなる遊びというより、自分たちの境遇をカードの来歴に重ねあわせたからにほかならない。こうして新しいトランプ・カード(ジュ・ド・マルセーユ Le Jeu de Marseille)が考案された。
炎、黒い星、血のしたたる車輪、鍵穴を4つのスートとし、それぞれ独自の意味が付された。愛(炎)、夢(星)、革命(車輪)、知識(鍵穴)である。これらがブルトンらの思想や理想、心情を反映したものであることは間違いない。
絵柄もキングの代わりに精霊、クイーンの代わりに人魚セイレーン、ジャックの代わりに魔術師、ジョーカーにはアルフレッド・ジャリ (Alfred Jarry, 1873-1907) の描いたユビュ (Ubu) の肖像画が使われた。さらに12枚の絵札の顔は、シュルレアリストと関係の深い、人物が描かれている。ボードレールやロートレアモン、マルキ・ド・サド、ヘーゲル、フロイトといった人物のほか、スタンダールの小説に登場するラミエルなど架空の人物も含まれていた。
詩人のジャン・コクトーが描いたデッサンを想わせるような、エッジのきいたデザイン。それを見ていると、20世紀前半から中葉にかけて、フランスの美術界が放ったコンテンポラリーな斬新さに打たれる。そこには魔術的な不思議な世界がある。戦乱のなかにあった時代の、独特の感性なのかもしれない。
僕はこのマルセイユ・カードがとても好きだ。同時に、マルセイユという謎めいた港町に心惹かれ続けている。