コロナ休校中に気付いたこと/学校を作ろう!に至るまで②
学校が休みになった。
学校に疲れていた息子は、みるみるうちに、元気になった。
私は、フリーランスで赤ちゃんとパパママを対象にした仕事をしていたので、全てを延期や中止にした。
子どもたちの予定とパズルを組むように動き回っていたのが、突然全部なくなった。
朝昼晩、エンドレスのご飯作り。ケンカの仲裁に家事。
急激な生活の変化に早々にストレスフルになりかけたけれど、子どもたちとこんなにゆったり過ごせることは、ざっくりいえば幸せだった。
長くなりそうな自粛期間。
この先働き方を変えていく必要は目に見えていた。
新しい仕事の展開として、コロナが流行する前から、子どもを対象にしたことを始めたいと思っていたこともあり、
ステイホーム中にオンラインで学べる シュタイナー算数教育 教師養成講座 の受講を決めた。
シュタイナー教育。
的確に言葉にできるほど深く学べていないけれど
シュタイナー教育の根底に、深く大きな愛を感じる。
子どもたちひとりひとりの発達や心に丁寧に寄り添いながら、
大きな愛の中で人間力の根っこが深く育まれる感覚。
体感から育む学びの本質、
教科を超えて、学年という枠を超えて、長く広い視点の中で育む人間力。
一言で言えば、魅了されたんだ。
そんな教育が世界にはあるんだ。それが公教育として認められている国があるんだ。
私の中に新しい視点が芽生えていった。
息子は、3年生になった。
休校期間中に、学年が変わった。実感は当然ない。
クラスも担任も変わったけれど
先生の顔は、そのほとんどがマスクで覆われていてわからない。
(今も現在進行形で顔はわからないままだ... 写真ですら見たことなし)
クラスメイトは誰なのか、名前が配られることもなかった。
そして学校からもらってくるたくさんのプリント課題たち。
虫眼鏡の使い方 を、虫眼鏡を使うことなく、プリント学習の穴埋め問題のみで知る。
地図記号の意味を考えることもなく、ネット上で簡単に行き当たるプリントを印刷したものが配られ、テストをするので覚えてくるように、と一言。
ここで私が言いたいのは、学校への文句ではない。
ただ、気付いたんだ。
これまで、私は全てを学校に”丸投げ”していたこと。
学力も、人間力も、社会とのつながりも、全て。
親が責任を持つ範囲と、学校が子どもたちに与えるもの。
いかに深く考えず、ただただ毎日学校に送り出していたかということ。
息子の学習に関わってみると、息子は勉強自体はできるけれど、
それ以外の要素に多くの時間を割かなければいけないこともわかった。
鉛筆と消しゴム、必要な教材を準備すること
文字の角度などが気になりだすとプチパニックして、そこで学習はストップしてしまうこと
学習内容は頭では理解しているので、次へ次へと進みたくなること
よく理解しているけれど、ノートに書き記すことは極端に苦手なこと
納得しないと、やりたくないこと
周囲とペースを合わせるのが好きじゃないこと
息子自身が「自分専用の先生がいたらいいのに」と言っていた意味。
一斉指導と、机上の思考優位の学習が、いかに息子に合っていないかということ。
休校期間中に息子と向き合い、シュタイナー算数教育の学びによって広がった視点から、気付くことが本当にたくさんあった。
これまでどれだけ、私は息子を見ているようで、見ていなかったんだろう。
息子の”今”に本当に心を寄せて、ちゃんと関わっていこうと、そう決めた。
これがコロナ休校中の私の気付きと気持ちの変化だった。
③ 小さな決意 につづく
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これから書いていきたいこと予告
⚫︎休校中のおうち授業をご紹介〜♪ (アートワークマガジンにて随時更新)
⚫︎マガジン『母さん、学校つくるってよ』
今後の予定(タイトルや内容は変更するかもしれません)
<3>小さな決意 (コロナが終わっても、元には戻らない。絶対に。)
<4>分散登校はお休みします 本登校に備えて学校と面談
<5>本登校のはじまり 登校し始めました
<6>息子の背中を見送った日
<7>学校は嘘つきだ!
<8>ようやく電話がかかってきた日が最後の1日になりました
<9>適応指導学級の扉をたたく
<10>臨床心理士面談
<11>100%付き添いありありで。
<12>とある体育にて。
<13>息子にそもそもが”合っていない”説
<最終話>母さん、学校作るってよ。