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アスペルガーばあちゃん2

祖母との最初の記憶は20年以上前、多分ポケモンのイベントに行ったときだと思う。

会場前には長蛇の列ができていて、最後尾の看板を持ったスタッフはかなり遠くの方に立ってた。
だけど俺の手は違う方向に引かれて行き、祖母は迷わず長い列の真ん中あたりに割り込んだ。「入れてくださいねぇ」と言った祖母とまだ背の小さい俺が割り込んだ人の間から出てきて、会場のガラス張りの側面に映ったのを今でもすごい覚えてる。

普段誰とどこに行ってもそんなことする人はいなかった。だけど子どもは素直だから自分の手を引いている人間がすることに、「何でいつもと違うんだろう」くらいは思っても無垢すぎて罪悪感とかを感じるのはまだ難しい。

でもラッキーだった。後ろの男性が勇気を出してくれた。「みんな最後尾から並んでるんですよ」よく覚えてないけど祖母は「あーそうですか」とか適当なこと言ってたと思う。結局最後尾から並び直したけど、あの男性が言ってくれなかったら「やっぱりそうだよね、横入りは悪いことだよね、僕間違ってなかった」を心の中で確認できなかった。

🇹🇭の島

一緒に出かけるだけまだありがたいと思えばまぁ話は終わり。孫と出かけるなんてマシな方だろ、とかいろんな意見あると思う。

話は変わるけど大事なのは
祖母が「おれ」ではなく「孫という存在」を可愛がっているだけという点。説明はちょっと難しい。

例えばおれは物心ついた頃から祖母に「お前は1番孫だから1番可愛い」と言われ続けてきた。俺は祖母の長男の長男。男の子という点もあり、祖母にとっては1番可愛い存在に位置付けられる。ここまではきっと昔の世代ならよくある話かもしれません。もう少し説明を加えます。

次に可愛いのは誰でしょうか?

祖母の子供は3人、長男→長女→次男です。長男の長男(ぼく)が1番なのは確定。2番は直接言われたことがないので憶測ですが、態度を見る限りおそらく次男の長男(男のいとこ)でしょう。後続は女の子が続いてくわけですが、とにかく優先順位は①「男であること」②「生まれた順番」で決まっていきます。
というかまぁ1番が断トツで、後は明確ではないものの後続に上記の順番でふわっと並んでいく感じだと思います。

ここでグロいのは、
①家族に順位をつけている
②その基準が本人には変えられない要素
だということです。

そんな祖母は俺がどんな性格で、どんな人間かなんて分かりません。気になった事もないと思います。自分の長男の孫、それ以上はそれほど興味ないし、何か聞いてきても自慢の材料にするくらい。
つまり「お気に入りの飾り」ネックレスです。

「おれ」と「男のいとこ」の生まれが逆だった場合、いとこを今のおれのように可愛がっていることになります。

もちろん後天的にお気に入りの順序が変わることもあります。でもそれは人格や行動が理由ではなく、学校の成績など目に見える数値によってです。
だから祖母はよく通信簿を見たがりました。
そして、「誰々が悪かった、誰々はダメだ」など
平気で他の人間に言います。俺はたまたま成績が悪くなかったので特に何もありませんでしたが、男のいとこはこの被害を受けたように思います。

生まれた”順番や男女”、目に見える”数値”で”家族”という存在に”順位”を付ける等は、ASDなどの発達障害に帰結する可能性はあると思います。この際そんなのどうだっていいですが。

当然の如く、孫だけではなく自分の子供達にも
同等の接し方をしてきたはずです。でも私の父含め本人たちは気づいてないしそれでいいと思います。1番最初に書いた横入りもそうですが、小さすぎる頃から当たり前にされていたことは、自分にとっても疑いのない当たり前になります。灯台下暗しみたいなもん。よその家庭は分析できても自分のとこは案外難しい。

あと父は”される”のは当たり前でも、俺と妹に”する”ことはありませんでした。
普通に心から平等に大事にしてくれてます。てかなにより孫の俺も気づくまで四半世紀かかった上に、伝えても何の解決にもならないし、何より人の母親をとやかく言う事に気が向きません。本当無理すぎてギリギリで耐えてますが

🇰🇷のやつ


あと一見うまくいってる家族に見えます。
なぜなら、
「自分と血が繋がってる人間は、順位こそあるもののそもそも一律でみんなかわいい」からです。
これを読んで下さっている方が俺の(父方の)家庭を見たとき違和感は感じても、言語化できるほど問題を初見で見抜くのは相当難しいほどには普通に見えるとは思います。ややこしい文ですね、

ただこれには落とし穴があります。
「血の繋がってない人間は大事じゃない」
ということです。

そしてこの被害を数十年にわたり1番受けてきたのが言うまでもなく俺の母親です。
これは俺に大きな影響を与えました。

長くなりましたがエピソードを足しておきます。

10年ほど前、祖母の次男が心臓発作で運ばれ
ICU内で数日間意識が戻らなかった事があります。
祖母は病院に駆けつけ、泣きながら言いました。
「まだ小さい孫3人残してあなたに死なれたら私どうすればいいんだ」

少なくとも叔父の妻はその場にいたはずです。
その人から聞いたんですからね。

まとめると、祖母は自分が1番なのです。
自分とそれ以外。家族の死すら
”自分が可哀想だから死なないでほしい”程度。
重点はあくまでも自分の”利害”です。
その人の事を思って悲しんでいるのではないのです。誰だって”大事なアクセサリー”を無くすのは嫌ですから。

決めつけすぎかもしれませんが、多分そうです。
性格が悪いというより、そういう”素”なのです。
あまりにも罪悪感なく当たり前にそういった言動・行動をこなすので、気づくのは相当難しいですが。

叔父のとき、祖父が死んだとき、父の進行した癌が見つかったときだって顔を合わせるたびに
「早く治せ、早く治せ」と父が頭を抱える程言い聞かせていました。

「(私が悲しいから)早く治せ(私より)長生きしろ」だと言う事に父は薄々気が付いています。
気が付かないように努力してるようにも見えます。
だから俺がわざわざ父に伝える必要ないのです。
それにあくまで俺の予想なんですから。
(多分本当だと思いますが)

そうまでしても父方の家族内で祖母が蔑ろにされないのには、俺が生まれるよりずっと前から積み重なっている家族の歴史みたいなものに関係があります。俺や母含め嫁にあたる人、妹などには知ったこっちゃない事ですが皆んなでその尻拭いという名の介護をしているのです。

積み重なった家族のものとかは
また今度思い立ったら書きます。

各家庭、様々な問題を抱えていると思います。
同じような家庭、世の中にはどれくらいあるんですか?みなさんどうですか?

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