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気の合う友人の貴重さを噛み締めた
GW前半のとある日。
オシャレなカフェ目指して見知らぬ街に行こう!ということで久々に友人と会うことになった。
いろんな紹介サイトからお互い気になるものを選んで、あみだくじで決めた。
見出し画像のラテアートなるものがそのカフェの名物とのことだった。
はじめて目前にして、あまりのかわいさと綺麗さとオシャレさにそわそわした。
「この辺のオートロックマンションに住んでるマダムは毎日これ飲んでるんだろな〜リッチな生活してる〜!」
高校時代からの親友である彼女は、こういう「にんげんっていいな」的なことをサラッと言う。
だから年1程度のやりとりでもすぐ当時のように気さくに絡める。
とてもありがたい。
我々は都立高校で出会ったド庶民。
育った場所は全然違うが、家庭の環境や生活水準が似ていたからなのか、昔からものの見方が似通っていてやけに日常面での話が合っていた。
人間関係リセット癖が抜けない自分にとっては珍しく、泊まりがけの旅行に乗り気で行けるくらい関係を切りたくないと心から思う人のうちのひとり。
思えば、社会に出てから一緒に仕事をしたいと思う人はいれど、心からの友人だと言えるような人はできていない。
私自身が仕事とプライベートを分けてるタイプだからかもしれないが。
親友って自他共に言い合える仲って貴重な存在だなあ、と思った。
ちょっと非日常を追い求めてオシャレなところに行こうとしても、完璧でスマートな計画を立てるなんてことはせずに、お互い「着いてから考えればいいとおもってた」とのらりくらり動いてしまう。
オートロック完備の所得高そうな方々が住んでいる街並みに怯えて家賃を想像する。
初めて訪れた街の感想は地元のベッドタウンに例えるし、
会うたびにスタバみたいなお店はなぜか怖くて入りにくいという話をする。
サイゼリヤめっちゃ落ち着くよね。
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最初に出してくれるお水は、ほんのり風味がついていると無料で良いのか心配になるし、
食べ物は舌が肥えてないから味の詳細な例えや感想が出てこない。
「美味しかったよ!……なんかすごい、めっちゃ美味しかったね!」
みたいな。
本当にとても美味しかったです。野菜苦手な自分が全く抵抗なく完食するくらい。語彙なくて申し訳ないです……。
もう出会ってから10年以上経ってるのに。
ずっと変に見栄を張らない生活をしているからか、お互いいつまでも等身大なのがとても安心するなと思う。
2人してたくさん笑い合った日だった。