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自分への甘さは自由への入口か

自分自身に対して適切に甘くなれる、というのが、自分との闘いへの勝利である。

千葉雅也

唐突ですが、年始に今年の目標を立てましたか?

わたしは立てました。いくつかあるうちの一つが「安心感を与える人になる」でした。理不尽なことにも動じず冷静に対処して、周りの人から頼りにされる人、そんなイメージです。

安心感を与える人になれるように、毎朝「平常心」「柔軟心」「和敬清寂」と禅語を唱えていました。目標を達成するには、目標を覚えていることが大事ですからね。

でも、この目標を中止しました。

不合理な環境に、自分を丸くすることで適応することがいいのかどうか、わからなくなったからです

たとえば、ズルして楽をする同僚に、本当はイラッとしてるのに、平常心で冷静さを保ち、柔軟心でオモンパカリ、和敬清寂の精神で苦情を申し立てることも愚痴ることもなく、仲良くしてみせる。

これでは「安心感を与える人」ではなく「都合のいい人」でしかありません。精神力の使い方を間違っているとしか思えません。

ふと立ち止まって考えてみると、「安心感を与える人」ってどこからきたんだろうか。今の職場で暗に求められてる役割を察して、それを演じることで居場所を確保しようとしてるだけなのではないだろうか?

自分の意志で選んでいると思っていることでも、実はそうではないことの方が多いことは、フロイト先生の精神分析を始め、よく知られています。

自分自身に対して適切に甘くなれる、というのが、自分との闘いへの勝利である。

千葉雅也 

というのはつまり、自分の意志で選んでいると思っていることが、自分の全てではないのだから、あんまりガチガチにこうせねば!と自分を縛らず適切に甘くなるほうが、自由ですよ。ということではないかと思います。

ついこの間、同僚に「今日はどうしたの?イライラしているみたい」と言われました。「ああ、生理前だから」とさらっと答えている自分に、感動しました。(ああ、イライラしちゃった。自己管理できないなんてみっともない)と自分を責めなかったことに、少し自由になった自分を感じたのでした。

誤解している可能性もあるけれど、今日はこんなところです。

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