41歳の春、プロコーチになるまでのあれこれ③ 〜無価値感にもがく日々〜
こんにちは。
ドイツ、ハンブルク在住
リーダーシップコーチ/メンターコーチの
ホイスラーアルビ 愛 (めぐみ) です。
前回の記事で
ドイツ移住でゼロリセットして
自分に自信が持てなくなった、
という話を書いたのですが
今日はその少し先にどんなことがあったのか
書いてきますね。
ちなみにタイトルが41歳の春、と書いてますが
それは今から8年くらい前のことです。
時間が経つのは早い、、。
ゼロリセット
して人生を再出発する人って多いと思います。
いわゆる人生の節目とか転換。
結婚、出産、転職、引っ越し、離婚
などなど
色々あると思いますが、
私にとっては移住のリセットは
今までの人生で一番インパクトがあったかな。
国も言語も違うから
当たり前だけど
昨日まで普通に出来ていたことが
全くできなくなる不便、不都合。
もがいてももがいても
前に進めないような感覚。
前向きな気持ちで日本を出発したから余計の
現地で自分を待ち構えていた現実は辛いものでした。
ドイツ生活の前半は
ちょっと引きこもり気味になって
子供が幼稚園に通っている間は
キッチンのカウンターに座って
日本の情報を見たり
友人にメールしたり、
そんな風に過ごしていたんです。
ある日、その様子を窓から見かけた
ご近所さんが
(今ではとても素敵な友人)
「めぐみは、いい人生だよね。
ずっとインターネットしていられるから。」
的なことを言ってると
彼女の旦那さんからチラッと聞いて
もうね、
その時は落ち込みました。。
当時彼女は幼い子供を3人も育てていて
本当に余裕がなくて
そんなときにチラッと私のゆったりモードをきて
思わず口にしちゃった言葉だったと思うのです。
でもその時の私は
とても落ち込み、
周りにもそんな風に見られている、
ドイツ語もろくに話せない、
役に立たない人、的な解釈をしちゃって
本当に無価値感にズドーンと突き落とされました。
時折そんな気持ちで鬱々として
でも子育てしている以上外出は避けられず
無理矢理元気なふりして
幼稚園の送り迎えとかしていた気がします。
ドイツ語教室にも通い、
少しずつですがドイツ語での会話にも慣れてきた
最初の数年。
そのうちに次男が生まれ、
2人の子供の子育てに専念する日々。
子供たちは無邪気だからね、
それはそれで癒されました。
次男が2歳になり、
もうすぐ幼稚園に通い始めるというタイミングに
自分の中の
「もう一度仕事をしてみたい」
という気持ちが湧きあがりました。
同時に中途半端なドイツ語で
外国人ママとして
どこで仕事が見つかるのか
まったく見当がつきませんでした。
当時知り合った日本人友人に
仕事をどうやって探したか聞いたら
商工会議所に履歴書を送ったら?
と言われたので
なるほど! そんな手があったか、と
すぐに過去の履歴書をアップデートして
コンタクトしてみました。
そこからの展開はすごく早くて
確かひと月もたたないうちに
とある日系企業から直接連絡が来ました。
しばらく自宅にこもったままだったので
「〇〇本部の△△と申しますが、、」
という電話に
全然ピンとこないで、
面接にお誘いの電話とわかって
驚きました。
久々の面接。
20代の頃は、何度か転職もしたので
面接にはある程度慣れていましたが
久しぶりの展開に
とてもドキドキしたのを覚えています。
しばらく着ていなかったスーツを引っ張り出して
車で渋滞に引っかかっても大丈夫なくらい
時間をたっぷりと見越して
面接場所に向かった、
あの日が懐かしいですね。
最初の面接からどのように展開していったのか、
また書いてみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。