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41歳の春、プロコーチになるまでのあれこれ④ 〜日本人のアイデンティティ〜


こんにちは。

ドイツ、ハンブルク在住
リーダーシップコーチ/メンターコーチの

ホイスラーアルビ 愛 (めぐみ) です。


前回の記事で

ドイツで
再就職のための面接に向かった、
という話を書きました。

しばらく着ていなかったスーツを引っ張り出して
ヒールを履いたとき
自分が少し違う人間になったような違和感がありましたが

同時に嬉しい、という感覚もありました。

古い記憶をたどっていくと・・

日本にいた頃、育休期間に
夫の会社のメンバーで
プライベートでも仲良くさせてもらっていた
同世代の女の子たちとご飯を食べに行った時の事。

はじめての子育てで
毎日おむつ替えや母乳をあげるのに精いっぱいで
髪も振り乱し
メイクもゆっくりする余裕がなく過ごしている期間でした。

鏡で自分の顔を見るたびに
自信が少しずつ下がってきたような時期。

そんなときに
久々に同世代の彼女たちが
仕事後おしゃれをしてレストランにやってくる姿をみて

わあ、綺麗・・
みんな輝いてる・・
私、いけてない・・

って心の声が疼きました。

なんだか
とっても自分が小さくなったような
自分だけが疲れているような
そんな感覚になり
悲しかったんですね。

面接に行くためにスーツを着て
鏡の前に立った時に
あの時の記憶が
フラッシュバックのようによみがえりました。

きっと私は、
仕事をしている自分とか
外出のためにお洒落をする自分のことを
自己肯定する気持ちが強かったのですね。

さて、話を面接に戻すと

辿り着いた先で
私を待ってくれていたのは
日本人の男性3人でした。

その日を境に
駐在員の日本人、現地採用の日本人、ドイツ人と
同じ部で仕事をすることになりました。

日本で働いていたときとは
全く違う業界。

海外にいて日系企業、
という特殊な環境の中で

やっぱり日本人の人達と触れ合い
楽しく仕事をできた部分と

日本人、というアイデンティティを
強く意識せざるを得なかった部分がありました。

当たり前だけど
見かけが日本人だから
100%の日本人の女性らしさを
期待されている、というのを肌で感じました。

自分が勝手にそう思い込んで
余計に意識した部分もあったと思いますが。

日本にいるときは
外資系企業で働くことが多く
ドイツ人夫と結婚して
しばらく経っていた私には

海外にいながら
懐かしい、昔の自分に戻るような感覚もありました。

最初はそんな自分を楽しんでいたのですが
それがデフォルトになると
窮屈さを肌で感じました。

どこかで窮屈さを感じているのに

日本人としての自分を
意識する時間が多くなったのもあり

徐々に昔から心の奥底に住み着いていた

苦しくても頑張る
ちゃんとやりぬく
自分の気持ちは言わず我慢する

といった癖が表層に出てきて
自分で自分の首を絞めているようでした。

自分らしさを全く発揮できていないので
帰宅してから不満をもらすことが増えました。

仕事をスタートすると決めたのも自分だし
残業を断らなかったのも自分だし
周りに合わせて取り繕っているのも自分だし

全部全部
自作自演なのに

心のどこかで

こんなはずじゃない。

どうして誰も私の気持ちに
気づいてくれないんだろう。

などと思っていました。


犠牲者意識が強くなると

色々な場面でトラブルが起きて
上司や同僚との関係性が悪化し

また犠牲者意識が強くなる、

という悪循環でした。


仕事上のストレスを抱えながら

帰宅すると

遅くまで学童や保育園に預けていた子供に対して
罪悪感が強くなって

夫も当時月の半分くらい国外出張で不在だったので
ワンオペでこなす日も多く

心身ともに疲労困憊。


自分ではじめたゲームを
なかなか終わらせられない人。

まさにそんな状態の自分がいました。

でも、当時は自分を俯瞰することもできず

ただただ周りの環境や状況のせいにして
悶々としていました。


次回は
そんな日々を過ごす中
自分の中で次第に目覚めていった気持ち、
そしてそこからの行動について
書いていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。





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