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第十八回:追悼 マリー・クワント

堀口麻由美『カルチャー徒然日記』
Text & Photo:Mayumi Horiguchi

RIP Dame Mary Quant


「マリー・クワント展」フライヤーの中ページを筆者が撮影。

イギリス人ファッションデザイナーのマリー・クワントが、2023年4月13日に亡くなった。ロンドン南郊サリー州にある自宅で、安らかに息を引き取ったそうだ。93歳だった。

マリー・クワントと聞いて、日本人的にすぐ思い出すのは、駅ビルなんかに入っている、コスメや雑貨が並んだショップだろう。ブランドのアイコンである「黒いデイジー」がフィーチャーされたメイク・アイテムやポーチなどの雑貨が並び、そこにポツリとアパレルも加わっている感じ。なので、この「マリー・クワント」がそもそもは実在する人物名で、しかも "ファッションデザイナー" としてキャリアをスタートさせたことを知る人は、若い世代には少ないと想像できる。中年にとってすら、そのあたりの認識は曖昧な人が多いはずだ。

個人的にはスウィンギング・ロンドンとかモッズ・カルチャーとかが好きなので、ティーンの頃からマリー・クワントのことは知っていた。だから、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)の巡回展として日本初の回顧展が開催されると聞いたときは、ワクワクした。

「マリー・クワント展」にて。

東急百貨店本店の再開発に伴い、現在は長期休館期間に入っている渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで行われた「マリー・クワント展」は、昨年2022年11月26日から翌23年1月29日までの約2カ月間にわたり開催された。同展には、1955年から1975年までのクワントの活動を知ることができる約100点の衣服、小物や写真がV&Aから来日し展示されたのだが、その中には、全英中にちらばる「一般女性」たちから寄贈、あるいは貸し出されたものも一部含まれていた。そのことが、この展覧会に深みを与えていたことは言うまでもない。

「マリー・クワント展」会場入り口はこんな感じ。

V&Aは英国で展覧会を開催するにあたり、SNSとメディアを通じ『#WeWantQuant(クワントを求む)』と銘打ったキャンペーンを実施し、クワントがデザインした洋服と、それらにまつわる思い出を公募した。その結果、上流階級ではない「普通」の女性たちが数多く応じ、自分がキープしていた服や写真を提供したのだという。

この事実が、クワントというデザイナーの「本質」を顕在化させている。クワントは革新的だった。その服を着ることは、親の世代では「よし」とされていた美的概念を拒否し、そこから解放され自由になることを意味した。上流階級の女性用ではないファッションをクリエイトし、社会一般に広め、女性を解放し、時代そのものを変えたのだ。

筆者が展覧会で購入したポストカードからも、そんな新時代の雰囲気を読み取ることができる。労働者階級出身のモデルであるパティ・ボイドが、マリー・クワントの服を着てローリング・ストーンズと一緒に写っているものは、1964年に写真家ジョン・フレンチによりロンドンにて撮影されたものだ。この被写体の組み合わせ方には「新しさ」が現れている。ちなみにボイドはビートルズのジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの初妻。ハリスンの「サムシング」および「フォー・ユー・ブルー」、クラプトンの「いとしのレイラ」、「ワンダフル・トゥナイト」 や「ベル・ボトム・ブルース」にインスピレーションを与えた存在とされている。近年では写真家としても活動しているのだが、今年5月31日から6月14日にかけてタワーレコード渋谷店のみで開催される写真展「『Pattie Boyd: My Life in Pictures』~パティ・ボイド写真展~」に合わせて来日し、トークショーやサイン会が実施される予定だという(詳細:https://towershibuya.jp/news/2023/04/26/181392 )。

「マリー・クワント展」にて購入したポストカードと入場券。

また勲章をつけた制服姿の老人たちの前に立つ、新素材の服を着た若いショートカットのモデルの姿からは、「既成概念の破壊と、それと共に訪れた自由と緊張感」を感じずにはいられない。

展覧会に並んだ品々にも、明白にその「軌跡」が刻まれていた。当時の保守的だった英社会への皮肉を込めまくったネーミングセンス、ジャズに合わせて踊り狂うファッションショーの映像なども、その前進性を反映していた。

そんなクワントの「デザイン」を象徴するものといえばミニスカートだが、正確には考案者というわけではないし、いまだに「誰が発明したのか」については、論争が繰り広げられているという。だが、当時丈が短くなっていたスカートを「60年代を象徴するアイテム」にしたことは、クワントの功績だったと言われている。また、なぜ「ショートスカート」ではなく「ミニ」なのかと言うと、クワントの愛車が「ローバー・ミニ」だったので、そこから由来しているという説が根強い。なんにせよ、クワントがスウィンギング・シックスティーズを盛り上げた重要人物であることは、紛れもない事実だ。

マリー・クワントを着たツイッギー。
全世界でミニスカートとショートカットを流行させた伝説のモデル。

加えて興味深いのは、クワントが「起業家」だったという事実だ。デイジーマークを商標登録し、現地企業に生産・販売を任せるライセンス・ビジネスを拡大させ、ファッションデザイナーの枠から飛び出す存在となった。そして「マリー・クワント」というブランドは、新陳代謝の激しい業界から消えることなく、いまだに存在している。余談だが、現在メインで展開しているのは上記したように化粧品なのだが、日本の株式会社マリークヮントコスメチックスが販売権を保有して、全世界展開を行なっているそうだ。

階級社会であるイギリスが生んだ稀有な女性ファッションデザイナーのマリー・クワントに感謝の言葉を捧げて、この文章を締めることにする。女性を解放してくれて、ありがとうございます。あなたがいたからこそ、ヴィヴィアン・ウエストウッドは「パンクファッションの女王」となり、女性の社会進出も進み、ついては#MeToo運動にまでつながる女性解放の流れもできました。あなたの革新性に満ちたスピリッツは、永遠に色褪せることはないでしょう。どうか安らかにおやすみください。

映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』のフライヤーを筆者が撮影。

マリー・クワント(Mary Quant, CH DBE FCSD RDI/1930年2月11日 - 2023年4月13日):英のファッションデザイナー。1950年代後半のロンドンでミニスカートを発表し、世界にセンセーションを巻き起こした。ブランドの「MARY QUANT」はデザイナーのクワントと後の夫アレキサンダー・プランケット・グリーンが、友人とともにロンドンに開店したブティック「バザー」からスタートし、クワントの自由な発想から生まれる服が、多くの若者やセレブを魅了した。

公式サイト:https://www.maryquant.co.jp



堀口麻由美
ほりぐち・まゆみ。
Jill of all Trades 〈Producer / Editor / Writer / PR / Translator etc. 〉『IN THE CITY』編集長。
雑誌『米国音楽』共同創刊&発行人。The Drops初代Vo.







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