第十九回:農場の動物だと知ること
川崎大助『スタイルなのかカウンシル』
Text & Photo : Daisuke Kawasaki
ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。「音楽誌には絶対に載らない」音楽の話、その周辺の話など
昨年から準備していたあれやこれやが山を越えて、ようやく、その一部を発表できることになった。光文社新書の note にて(https://shinsho.kobunsha.com/m/mc6097c127658)「教養としてのパンク・ロック」</a>と題した連載を、僕は始めた。音楽ジャンルとしての、そして「文化現象」としてのパンク・ロックを、初心者のかたにも「わかりやすく」知っていただけるようなハンドブックとなることを目指している。週に一度、木曜日の午後5時半に更新され続ける予定だ。完結は来年の――たぶん、春ぐらいになるだろうか。ぜひよろしくお付き合いいただきたい。
21世紀の現在、ふたたびパンク・ロックに注目が集まっている。ひとつは若い世代のアーティストにポップ・パンクの影響が大きい人が目立っている、という点から。もうひとつは、やはり世相だろうか。戦争と疫病。インフレと社会不安。そんななかでの、英エリザベス女王の「ジュビリー」……こんなことは全部、むかし一度あったことだ。しかも、いまよりもずっときつく、激しく、荒々しく、曇天の空の下で。そして、それらへの精神的・文化的対抗措置が、かつてポップ音楽のなかにあった。「パンクの時代」である、70年代の後半に。
上部に挙げた画像は、セックス・ピストルズと並ぶロンドン・パンクの雄、ザ・クラッシュの7枚目の7インチ・シングルだ。サイドAが「イングリッシュ・シヴィル・ウォー」で、カップリングが「プレッシャー・ドロップ」。後者はトゥーツ&ザ・メイタルズによる69年のレゲエ・ヒットのカヴァーなのだが、当時、こちらのほうを僕はより好んだ。とまれこの1枚は、「内戦」と「抑圧」についてのシングルだということだ。
そんなシングルのジャケットに使用されているイメージが、こうだったところが面白い。『動物農場』のアニメーション映画版(1954年)からのものだ。映画の原作となったのは、もちろん、ジョージ・オーウェルの同名の寓話的中編小説だ。『1984』とは違ったやりかたで、子供にもわかる素描のようなタッチで「全体主義の悪夢」を戯画化した一編だった。
『動物農場』とは、こんなストーリーだ。とある農場で、動物たちの反乱が起きて、持ち主だった人間が追い出される。それからは動物たちの自治が始まる。指導的立場をとったのは比較的知能が高い豚の集団で、そのほかの動物は彼らに従う。しかしいつの間にか「指導者たち」は手前勝手にルールをねじ曲げ、富を独占し、(護衛の犬による威嚇などで)恐怖政治すらおこなうようになる。ついには、豚は人間と取引まで……同小説は発表当時の45年には、ソヴィエト連邦に代表される共産主義の失敗についての寓話と見られていた。革命によって生まれたプロレタリアート政権が腐敗する、という戯画だとして。しかしもちろん、それだけのストーリーではなかった。なぜならば「革命があろうが、なかろうが」支配層に抑えられきった社会には、希望などあるわけないからだ。
ゆえに『動物農場』は、ソ連崩壊後も読み継がれる、長距離射程の名作としての地位を得た。いつの時代も人間は容易に愚かで醜くなって、そしていつもいつも、いとも簡単に全体主義化していく……という「政治的悲劇」を描いた苦みの一作として、愛読されている。いまの日本の状況に当てはまる点も、じつに多いかもしれない。ネットフリックスで新ヴァージョンのドラマが配信される予定もあるそうだ。
というような知識も、全部僕は、パンクから最初に学んだ。オーウェルといえば普通まず『1984』なのだが、そっちは『動物農場』のあとに知った。クラッシュのシングルが先で、デヴィッド・ボウイの(『1984』がネタのひとつである)『ダイアモンドの犬たち』を聴いたのが、あとだったからだ。前者はリアルタイムで受信して、後者は、さかのぼっていろいろなロックを聴き始めてから、知った。
パンクを知ることによって、ティーンエイジャーになるころの僕は「ロック音楽の聴きかた」を学んだ。あとから考えてみると、その先の人生のほとんどすべては、そのときに決していた。いまここでこうして書いているのも、あのころ、パンク・ロックを聴いたせいだ。だから連載では「自分にとってのパンク・ロック」について、振り返ってみる部分も出てくるだろう。そんな連載が、願わくば、読者のみなさんがパンク・ロックといい関係を取り結ぶ際に「役に立つ」ものとなったなら、筆者としてそれ以上のことはない。
次回もお楽しみに!
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