連載 第十回:みんな大切÷きみが特別
最果タヒ『MANGA ÷ POEM』
Text:Tahi Saihate / Illustration:Haruna Kawai
ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY でも大好評だった詩人・最果タヒの新連載が登場。好きな「漫画」を、詩人の言葉で見渡すエッセイ
心の美しさと、心の醜さは、似ている。というより、実は同じであることすらあるのかもしれない。何が純粋だと思うのかや、何が悪質だと思うのかが、本当は全くわかっていないのではないか、と気付かされるのは、いつも物語を読むときだ。物語の中にいる誰かが、別の誰かについて「お前は冷酷だ」と言う。その瞬間に、言われたその人物が冷酷であった気が私もしてきて一瞬、真実に辿り着いたような錯覚に襲われる。物語の中にいる「誰か」は、作品の外にいる私たちより他の登場人物がきっとよく見えているはずで、だから彼らがその人について語る言葉はいつも、私が見ているものよりずっと正しい気がしてしまう。
けれど、「冷酷だ」は本当は、発言者にとってそう見える、というだけのはず。この現実にあてはめて考えればそんなのは当たり前だと思うことができる。神様にとって、犯罪者は本当に忌むべきものだろうか、と思う。全ての人間が同じに見えるのではとも思う。それと同じで、読者である私が見たものは、(真実とは言えないがそれでも)物語世界の住人でさえも覆らせることができない。
むしろ誰も、真実としてその人がどういう人なのか、ということを理解できるわけもなく、その理解のできなさに「理解しようとする」姿勢で抗い続けることはできるけれど、でもどこかでそれは諦めることにも近しいのかもしれない。理解しきれないとわかってはいて、そのできなさに絶望しないなら、それはわからなさを受け入れているということでもあるはずだ。同じ世界に生きていて、別の体と心を持っていて、互いに全てを理解することは難しく、だから何もかもを救ってはやれず、心の性質が違うからこそ、恵まれた人もそうでない人も強い人も弱い人も欲が大きい人も小さい人もいるからこそ、心が脆く、それでいて承認欲求が強く、頑なで、そんな人が純粋さを裏返すように悪夢のようなことを言い出したとき、孤立することは時に「仕方のないこと」となるのかもしれない。
私たちはそれぞれ別の人間だから。全ての人が完璧に満たされることはない、みんなどこかしら間違っているし、幸福だと思う条件も異なっている、だから、仕方がない、全てを救うことはできない、間違ってしまった人が孤立をするのは仕方がないって。
人間はそういうとき、近しい人、愛した人だけでも幸福になってほしいと序列をつけ、そして救おうとする、近しい人が「間違ってしまった人」であるとき、その人が大切だからという理由でその間違いを許したり、その間違いによって傷つく誰かのことをあえて見ないようにしたりもする。けれど、すべての人を愛して、できる限り多くの人を救おうとしたとき、もっとも「救い」から遠い誰かが、その遠さを理由に諦められることもあるのだろうか。『宝石の国』を読んでいると、フォスのことを多くの仲間の宝石たちが諦めていくが、諦めていくときのその感覚は慈愛と公平に満ちている。
できる限り多くの人を救おうとするとき、その人の性質が理由となって後回しにされることは、人間にとっては残酷で、でも、近しい人だからとその人の性質を許し、目を瞑ることの方がずっと導き出す結末は醜く、地獄を生む。最初から自分達には差異があり、硬度が異なるからこそ触れ合うことすら十分にできない宝石たちにとって、内面の性質によって差がつき、選択に違いが出て、そしてそれを理由に地獄に選ばれてしまう「誰か」がいることは仕方がない、となることなのかもしれない。彼らにとっては全てが最初から唯一無二でだから「特別」に憧れないのだろうか。「公平」にこそ、夢を見るのかな。(自らの性質から抜け出し、花に触れられるようになったシンシャが、置き去りにされたフォスのことを思い返すシーンが私は好きです。)
フォスのやってきたこと全てを許して、どんな宝石よりフォスが特別だからと思う仲間はいるだろうか。すべての宝石たちが互いを思い合っているからこそ、それは叶わないんだろうか。
はじまりで見たフォスは純粋だった、そしてそれが変わったようには私には思えなかった。外見は別として、内面の変容はさほど変容として描かれず、それなのに最新話(2022年6月当時)のころにはフォスが全く違う状況に置かれている。どこまでも純粋であるはずのフォスが、いつのまにか狂気として描かれ、冷酷と言われ、孤独となっていく。物語の中で、承認欲求が強い、特別になりたがっている、とフォスは言われるけれど、人間である私にはフォスのそれらの程度は特殊なものには見えなかった。(あとでわかるがそれは人間の性質そのものだからだ)彼はその性質のまますくすくと育ち、たまに周りに人望がない、と指摘され、それでもその性質を変えなければなんて焦ることもなく、物語の序盤では多くの仲間に心配され愛されていた。いや、愛されていたからそれらを変える必要はなかった、(硬度や色など)変えられない性質を多く持つ彼らは、他者の全てを受け入れる優しさを持っているのかもしれない。公平と言っても、宝石もまた特定の誰かに執着をすることはある。でも、それ以外の存在をだからどうでもいいと思うことがない。全てのものを犠牲にして選ぶほどの特別を彼らは(優しすぎて)持てないのかもしれない。
フォスも愛されていたし認められていた。けれどそれは、フォスだから愛されていたのではなく、基本的にすべてを愛するのが宝石たちだから。フォスに、強い愛着を見せる宝石はおらず、誰の「一番」でもなかった。彼らはフォスの性質を許しているのではない、全てを愛するから、一人の性質は見過ごされていく。
物語の終盤でのフォスは、仲間たちにとってはもはや罪人であるのかもしれない。もちろんそこから「許す」ことはあるだろう、でもフォスが欲しているのは許しではないし、全てが思い合う世界で特別になることを彼は最初から望んでいた。間違ってはいない、宝石たちもそれを否定はしない。そして私は今でも、フォスがいつ罪を犯しただろうと考えてしまう。彼はいつ、自分の純粋さや優しさを手放したのだろう。フォスは、自分にとって「近しい存在」を救おうとしていたし、それはずっと変わらなかった。彼が不幸になってもいいと私にはどうしても思えないんだ。けれど、特別になりたがることが宝石たちにとっては特殊で、私にはそこまで変に見えないのと同じように、全てを壊しても特別な誰かだけを救いたいと願うことも、宝石たちにとっては特殊で変なことなのかもしれない。宝石たちにある純粋さは、もしかしたら人が持つ純粋さとは違って、邪悪な何かに変容することのない永遠のものなのかもしれない。だから永遠ではない純粋さを持つフォスは、置き去りにされたのかもしれないんだ。
フォスは、自分の欲のために動いたのではなかった、彼は終盤明らかに変わったように見えるのに、読んでいるとふしぎと、何も変わらないと感じてしまう、彼は見た目も大きく変わり積極性や決断力も変わり、それなのに、彼が仲間たちにとって「冷酷」であると後半で指摘される瞬間、彼の変わらない純粋さが世界と時間の変容によって、カードを裏返すようにして、悪質なものに変わるのを感じた。彼ではなく彼の世界が変わったと思ったのだ。それに驚かされるのは、私たちが人間で、フォスに近い側であるがために彼の変化に鈍感すぎるだけ、なのかもしれない。けれど、そんな視点を持つ人間が作品の中に存在しないこと、そして外にはきっと多くいることはとても重く、深く突き刺さる事実です。フォスは脆くて、特別になりたがって、大切な人を特別に思って、そしてだから、大きな犠牲を選択し、仲間たちにとって罪人となってしまった。
人の心は汚れていくものだし、知識が増えずるくなっていき捨てられていく純粋さがあると思っていた。それが人間の変化で、「失われるもの」だと思い込んでいた。けれど、何一つあなたは失っていませんと、汚れた自分を指差した誰かに言われるとしたら、それはどんな汚れへの指摘より恐ろしいだろうと思う。あなたは昔と変わらず純粋なままです、と罪を犯した時に言われたとしたら、私は耐えられない。失われたと思う方がずっと楽なことは多い。自分の心には完璧にきれいだった時があると思いたいのだ。
(でも、フォスはきれいだった。今だってきれいだ。人間の美しいところを持っているのはもしかしたらフォスかもしれないって思う。)
宝石の国はフォスの心が汚れていく過程などひとつも描かなかった。ただ彼が真っ直ぐに願いを叶えようと、仲間のために動こうとし続けた結果、彼は執着をし、狂気的になり、それが明確に彼を孤独にした。彼が何をしたかとか、彼がどういう心を持っているか、とかではなく、フォスはフォスだから、という理由だけで、彼を孤独から救おうとする存在はいないのだろうか。宝石たちはフォスの性格や考え方や行動を「フォス」と捉えている。でも、それらがどんなものであろうと、生まれてきたという尊さそれだけで、特別になり得るのが「存在」であると思う。それは、人が持つことのできる唯一の愛情で、少しも永遠ではなく少しも公平ではないが、たぶん、最後までフォスが持っていた愛情でもある。あなたが何をしようが何を考えようが許したいと思うこと、他の何もかもを破壊してもあなたを救いたいと思うことが、優しくて公平で永遠に純粋な宝石にはきっとわからない。それでも、宝石は美しい。フォスはどんどん恐ろしい姿になっていく、宝石たちは美しく、彼らが幸福に過ごしているのを見られて私だって嬉しかった。彼らが、あんなにも公平で優しかったのは、きっと絶望的なほどの個体差があったからだ。それを失った今、彼らもまた人に近づいていくのかもしれない。彼らに、特別になりたいと言っていたフォスが、ただ、愛されたいと言っていただけだと伝わる日は来るのだろうか。私はフォスが、まだ今も、きれいだと思う。少しも汚れていないと思う。いつか彼らに、フォスが救われてほしいって思う。
・『宝石の国』(市川春子・著)アフタヌーン公式サイト