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そこに在る

ふと今までの学生生活を振り返ってみました⏳

見つけた居場所


わたしが通った学校は
小学校×2、中学校、高校×2、大学 の全部で6つ

それぞれの学校に通う中で、教室とは違うところに居場所を見つけていた時期が…

今回はわたしが見つけた「居場所」についてのお話です。少し長くなりますがよければお付き合いください🧸

小学6年生

バレーボールのクラブチームを変えるために小学6年生で転校しました。6年生ともなれば仲良しグループはすでにできあがっていて、新たな環境に慣れることもできないまま不登校になりました。

そんな私に声をかけてくれたのが特別支援学級(障害を持つ子たちが通っているクラス)の先生でした。

はじめて特別支援学級の教室に足を踏み入れたとき、見慣れない顔のわたしのもとに2年生の男の子"げんちゃん"が「ノンタンの本を読んで」と駆け寄ってきてくれたことは今でも鮮明に覚えています。

同学年のまーくんとたつやくんは、少し様子を伺ってから「漢字や算数を教えてほしい」と照れくさそうに声をかけてくれました。

そして特別支援学級の先生方は「よく来たね、がんばったね」と微笑んでくれました。

このたった1日でわたしはここにいてもいいのだと、絶望だけの学校の中に小さな希望を見出すことができました。

この時期のわたしの居場所、それは自分が通うべき6年生の教室ではなく、特別支援学級でした。

社会見学でげんちゃんをおぶるのは私の役目で

怒りやすいまーくんをなだめるのはたつやくんの役目

わたしと同じ理由で途中からクラスにやってきたしまちゃんを抱き締めるのは先生の役目

そうやって過ごした1年間の最後の日

卒業式を終えたわたしの膝の上には
お別れの意味をしらないげんちゃんが座っていました。

げんちゃんから伝わる温もりに

何事もなくあのまま6年生の教室に通えていたら
不登校のまま学校へ行くことを諦めていたら
出会えることのなかったすべての優しさが詰まっていました🍃

高校3年生

傍から見たら平穏な学校生活を過ごせていたでしょう。おそらく。

ただ、今になって振り返ってみるとそうでもなかったなということに気が付きました。

あの頃を振り返って一番に思い浮かぶのは、自分の席から見ていた景色でも、クラスメイトとの楽しい思い出でも、聞き慣れた先生の声でもなく

教室の隣にあった小さな部屋。

特に授業で使っているわけでもないその小部屋
まさにここがわたしの居場所でした。

決していじめられてたわけではありません。
なんとなく、教室で過ごす時間がただの苦痛になっていただけで。興味のない会話、苦手な声のトーン、周りからの視線、そういう小さなストレスが詰め込まれた空間であることを認識した瞬間から、教室で過ごす時間に対する息苦しさが押し寄せてきたのです。

そこから徐々にお昼は小部屋で食べるようになり、放課後の受験勉強も小部屋に篭もってすることが増えました。

クラスメイトが机をくっつけてご飯を食べていた時間や、相談しながら進める受験勉強の時間には

わたしには見つけられない価値があったと思います。

それと同じように、

わたしが小部屋でひっそり過ごした時間には

他の誰にも見つけられない大きな価値がありました。

周りのすべてにアンテナを張り、
教室の隅で静かに疲れ続けるわたしに

ご飯がおいしい
この問題が難しい

それ以外のことを考えなくていい時間をあの部屋がくれました。

だからこそ

たまに聞こえるノックの音と、そこからはじまるちょっとの会話に感謝できたりもしたんです🦥

スイッチバック


通うべきはここなのだと
過ごすべきここなのだと

そう思っていても

同じ枠の中で少しズレた場所に立ってみると
意外としっくりくることがあります。

小学6年生のときの、高校3年生のときのわたしのように👐🏻

とりあえず立ち止まって
そしたら1歩だけ移動して
そこから方向転換するのもありですね🌿

最後に

こんなひとりごとがもし誰かに届くのなら…と
小さな祈りを込めて書きました✍🏻

「どうにもならない」と思った過去の全てが
「どうにかなった」結果が今
だから不安な明日も「どうにかなる」

わたしがよく自分に言い聞かせる言葉です。

いつでもここに置いておきますので、
ご自由にお持ちください🫴🏻

ここまで読んでくださった心優しいみなさんに
心地のいい風が吹きますように。

最後までお付き合いいただきありがとうございました🍂

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