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Led Zeppelin/Physical Graffitiについて①

このnoteでは音楽だけではなく、面白いなと思ったものは何でも時間が許す限り率直に書いていきたいなと思って立ち上げたものである。これまであんまり触れてこなかったバンドなんかをしっかり聞いて取り上げたり、もちろん音楽以外についても触れられたら面白いかなと思っていたのだが、最初はやはり馴染みのあるものがよいのではと思い直した。

というわけで、Led Zeppelinである。

Led Zeppelinについて

Led Zeppelinについて説明をする必要はないと思うが、1969年にデビューした英国出身のロックバンドである。アメリカ由来のブルースを激しい音でかき鳴らすスタイルはCream、Jimi Hendrix、Jeff Beck Groupによって確立されつつあったが、この路線を一番わかりやすく派手にこなしたのがLed Zeppelinである。彼らのルーツがブルースであることは間違いないが、今日ではブルースの上に彼らが重ねた要素がロックないしはハードロックの基礎となっている(大抵の場合、ブルースの要素は失われている)。デビューから50年以上がたつ今日でもカバーやCMなどへの起用が絶えないのは彼らの楽曲がなせる業だ。

そして、Immigrant Song、Whole Lotta Loveなどのキャッチ―な魅力に魅かれて、安易にアルバムに手を出すと火傷するのがLed Zeppelinである。
例えばLed Zeppelin Ⅳはセールス的にも評価的に大傑作とされており、名作Black Dog、Rock and Roll、Stairway To Heavenを擁することから最も手を出しやすいアルバムの一つだと思うが、多くの人は前述の3曲のみで満足して他の曲には疑問符がつくのではないだろうか(少なくとも自分はそうだった)。Going To Californiaの穏やかな響きやMisty Mountain Hopの愉快なリフには理解を示せても、When the Levee Breaksの咽ぶようなハードブルースとなると耳に音楽は入っても、そのまま逆側の耳に抜けていくことだろう。

そもそも彼らや彼らの時代の若者が下地として聞いていた音楽が違うので、これは仕方がない。特に歌謡曲文化が根付いており、メロディーを重視しがちな日本人の耳にブルースの再解釈を理解するのは難しいんじゃないかと思う。

このLed Zeppelin、作品を重ねるごとに難解さを増していくのだが、その極みにいるのが二枚組の大作、Physical Graffitiじゃないかと思う。次作以降はブルースからの脱却が図られたこともあり、好みはさておき音楽としては分かりやすいのだが、本作はそのジャケットさながらにそびえ立つ建築物のような存在感である。この作品について改めて聞き返しながら感想を書き連ねていきたい。

Physical Graffitiの思い出

上遠野浩平のライトノベルで、ブギーポップは笑わないという著名なシリーズがある。
今は分からないが、自分が学生の時分には少し古いながらもライトノベルを読むならこのシリーズを読むべきという風潮があった。作者はジョジョの奇妙な冒険をこよなく愛しており、そのオマージュとして、洋楽をモチーフにした能力等がたくさん出てくる。上遠野浩平のお気に入りの一つがLed Zeppelinであり、その曲名が頻繁に引用されている(一方のジョジョはツェペリという苗字には使用されたが、特徴であるスタンド名にはStariway To Heavenくらいしか出てこない)。

シリーズ5作目の歪曲王では、登場人物の一人がLed Zeppelin好きであるとして、物語全体でLed ZeppelinをBGMとして進んでいく。タイトルからも分かるように、Stairway To Heavenの最後に現れる劇的なフレーズ「And as we wind on down the road...」が大事な役割を占めるが、実際に劇中で流れるのが本作Physical GraffitiのCustard PieとKashmirである。

頭のリフが流れただけで登場人物がCustard Pieを認識するのは、今考えると不思議な話だが、当時の自分はLed Zeppelinを聞こうと思ったときに真っ先に思い浮かんだのが、Physical Graffitiだった。CD二枚組の大作は洋楽と言えども、正直学生には値の張る買い物だが、こうした「後押し」もあり、購入に至り、めでたくアルバムを聞くことに挫折した。Trampled Under Footのキャッチーさはピンときたものの、Kashmirはリフの壮大さ以外はさっぱりだったし、その他の曲もそこまで響かなかった記憶がある。その後Led ZeppelinⅡを手に取ったことで、Led Zeppelin自体は好きになれたものの、Physical Graffitiは膨大なCDの棚の中の一つに埋もれることとなった。

なお、こうしたことはPhysical GraffitiないしはLed Zeppelinに限った話ではない。The Rolling Stonesなんかはほとんど聞きもせずに仕舞われていたし、Eric ClaptonのFrom the Cradleも理解できないままだった。ブルースを聞く耳がなかったのと、バンドの奏でる音だとかに気付きがなかったのだ(年齢相応、人それぞれの音楽の楽しみ方があるので悪いことだとは思わない)。

Physical Graffiti

前置きが長くなったのだけれど、Physical Graffitiである。新曲とLed ZeppelinⅢ~House of the Holyまでのアウトテイクで構成されるLed Zeppelin唯一の二枚組である。アウトテイクを採用したのは新曲の分量が多すぎてレコード1枚では収まらないので、いっそアウトテイクを詰めて2枚組にしてしまえというポジティブな理由による。実際本作に収録された楽曲はコンパクトさからはかけ離れている。

Custard Pie

本作は先に挙げたCustard Pieで幕を開ける。先の歪曲王という作品でもこの曲のリフが「ジャージャッジャッジャ」というような擬音で表され、頻出する。1曲目にはパンチのある楽曲を配しているLed Zeppelinだが、Custard Pieはその他のアルバムに比べるとやや弱い。その他のアルバムの1曲目が悉くベストアルバム等に選曲されているのに、Custard Pieはそうではないということにも、それは表れている。タイトルとは裏腹にサウンドは全体的に硬質なイメージで、ロバート・プラントのざらついた嗄れ声とジミー・ペイジの無機質なギターのリフがさらに硬いイメージを加速させている。元ネタは歌詞含めて様々なブルースの組み合わせなのだが、あまりそれを感じさせない珍しい楽曲。ただ後半になるとハーモニカの音なんかも加わりLed Zeppelin本来の味を見せてくれる。

The Rover

2017年にGreta Van Fleetという奇妙な名前のバンドがアメリカでデビューした。少年を抜け出したばかりの彼らのデビュー曲Highway Tuneとそれに続くSafari Songは同世代以上に中高年の世代(と、その世代の音楽を好むもの達)から熱い視線を浴びることになった。色気のあるハイトーンボーカル、ブルースを基盤としつつも暑苦しい熱のこもった若々しい演奏がデビュー当初のLed Zeppelinそのものだったからだ。小柄で短髪のジョシュ・キスカから長身長髪のプラントと同じような声が出るギャップも面白かったのだが、元々目指していた方向が違うのか、Led Zeppelinとの比較にうんざりしたのか、先の2曲を含むEPはさておき、その後の作品はLed Zeppelinとは異なる独自の音楽性を築いている。

何故唐突にGreta Van Fleetの話題を出したかというと、Physical Graffitiの2曲目The RoverはそのHighway Tuneの元ネタともいうべき楽曲だからである。Highway Tuneのフレーズに聞き覚えはあったのだが、The Roverがあんまり目立つ楽曲でもないので、類似性に気付くのにかなり時間がかかった。エネルギッシュなHighway Tuneに比べるとThe Roverはテンポもそこまで早くないし、ありていに言って地味だが、ペイジのリフメイキングは冴えわたっており、プラントもリフにユニゾンするような調子でボーカルを重ねている。

In My Time of Dying

1枚目のハイライトは華やかなTrampled Under FootからKashmirへの流れなのだが、個人的な推しは3曲目に位置するIn My Time of Dyingである。何と10分以上にも及ぶLed Zeppelin最長の楽曲だが、複雑な構成というわけではなくシンプルにテンポも展開も遅いだけである。正直この曲は長いこと好きでもないし、何なら曲の存在さえ忘れていた時期も長かったが、今となってはベストソングの一つ。欠伸でもするかのような気怠いスライドギターから始まり、プラントが酷く暗い歌詞を歌う。

「俺が死にかけのとき、誰も悲しみになんて暮れてほしくない
お前にはしてほしいことと言えば俺の体をお家に運ぶことだけ
ああ、うん、そうしたら俺は安心して死ねるってもんだ…」

Led Zeppelin/In My Time of Dying

この歌いっぷりも情緒たっぷりというよりかは死に際の譫言のような調子で、冒頭の2分も経たないうちに「勘弁してくれ」と次の曲へスキップしたくなるかもしれないが、もう少し待ってほしい。死にかけの鬱々とした雰囲気は2コーラス目が終わると、賑やかなギターの音とプラントの掛け声で一変して、Led Zeppelinのレコード中でも最もドラマチックなセッションへと様変わりする。引き金を引いたのはペイジのギターだが、ジョン・ボーナムのドラムは落雷・大砲の如き勢いで奏でられ聞き手を圧倒する。冒頭の展開がお気に召さないなら一度途中からでもよいから彼のドラムを聞いておくべきだろう。その内、前半もこのドラミングを聞くための壮大な序曲として受け入れられるようになる。

なお、本曲は古典的な聖歌を大幅にアレンジしたものである。とは言え、歌詞のフレーズくらいしか原形はとどめていない。ボブ・ディランも先んじてIn My Time of Dyin'という曲名で取り上げている。Led Zeppelinとは異なりアコギによる弾き語りだが、歌詞やメロディーの基本は全く同じであることが分かると思う。

大変遺憾ではあるが、In My Time of Dyingは彼らの代表的なベストアルバムMothershipには収録されていない(収録時間の兼ね合いだとは思うが)。しかし、ライブ音源については2種類聞くことができる。一つは1975年のアールズコートでの演奏で、こちらはLed Zeppelin DVDでその模様を確認できる。音源よりも大分ルーズな感じで弾きこなすペイジをジョン・ポール・ジョーンズのベースがしっかり繋ぎとめているのが分かる。プラントの声の調子は若干陰りがさし始めた時期とはいえ、まだまだパワフルそのもの。中盤にかけて盛り上がっていったところで、ペイジが腰を落として決め顔で演奏を停止させ、プラントがアドリブたっぷりに歌い上げる様を見れるのは映像ならではの楽しみだが、映像撮影がそこまで一般的ではなかった時代のため、ボーナムやジョーンズの絵が少ないのが難点。

もう一つが2007年のO2アリーナでの再結成時の演奏がCelebration Dayにて映像でも音源でも楽しめる。リリースから30年以上を経たマニアックな曲であるが、イントロが流れると同時に観客からは歓声が上がり、この曲調で合唱が起きるくらいに盛り上がっている。さすがはプラチナムチケットを勝ち取った猛者の集まりである。1975年の演奏に比べると、きっちり練習を重ねたことが分かる演奏で遊びは少ないが、プラントのメリハリの利いたボーカルのおかげもありかなり良質な演奏となっている。ジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムが演奏するドラムは父親に比べると重量感が足りない分、テクニック・手数でカバーといった具合。後半の爆発的な演奏はやはり聞きごたえがある。

Houses of the Holy

Houses of the Holyは文字通り、前作からのアウトテイク。タイトル曲をアウトテイクにするのは今日の感覚では理解しがたいが、元々Led Zeppelinは4作目までは特にタイトルもなくナンバリングのみ(Ⅳに至ってはナンバリングさえも正式名称ではない)。前作でHouses of the Holyというタイトルがついたが、言葉の響きが気に入っただけで、同名の曲がアルバムの方向性とか意気込みを象徴しているわけでもなかったのだろう。実際この曲はライブで演奏されたことがない。

In My Time of Dyingとは打って変わってジャラジャラと陽気なリフにドンッドンッと合いの手を入れるドラムが気持ちはよいが、曲のインパクトは確かにもう一つ。「君を映画に連れて行かせてくれ」と誘うボーカルも何だか妙になよっとしている。後半になると調子を上げてきて、プラントらしいハイトーンが炸裂するのだが、冒頭のフレーズを連呼するのみで曲のイメージがわきづらいのが正直なところ。レコード時代はB面の1曲目に据えられていたが、CD化によりIn My Time of DyingとTrampled Under Footを良くも悪くも繋ぐ曲になった。

Trampled Under Foot

1枚目の締めはジョーンズのベースプレイヤー以外の側面が光るTrampled Under Foot、Kashmirの2曲。
まず、Trampled Under Footは足蹴にされる、踏みにじられるという意味。前作の方向性を受け継ぐ曲であり、次々作のIn Through the Out Doorの方向性を予見させる曲でもある。ダンサンブルな演奏に、The Doobie BrothersのLong Train Runnin'のメロディーを巧みに拝借することでキャッチーな印象の楽曲に仕上がっている。およそ14年後にその路線をさらに強化して出来上がったのがB'zのBAD COMMUNICATIONであるというのはB'zファンであれば良く知るエピソードかと思う。しかし、もう少し掘り起こすと歌詞はブルースの大家Robert JohnsonのTerraplane Bluesという楽曲に着想を得ている。いくらなんでもこじつけではないかとも思ったのだが、2007年の再結成ライブでプラントがTrampled Under Footの演奏前のMCでこう述べているのだから間違いなく影響は受けているのだろう。

「1935年、ロバート・ジョンソンがTerraplane Bluesという曲をレコーディングしたんだけど、これは言わばLed Zeppelin版のTerraplane Bluesだよ」

Ahmet Ertegun Tribute ConcertでのプラントのMC

曲を印象付けるクラビネットのフレーズはStevie WonderのSuperstition(迷信)からの借用。この辺はちょっとマニアックな話かと思って再度調べたらWikipediaにもこのくだりはしっかり書かれていた。付け加えておくとSuperstitionはJeff BeckのバンドBeck, Bogert & Appiceへの提供曲なのだが、クラビネットがないこともあり、さすがにこの曲からはTrampled Under Footとの関連性までは見抜けない。以前ならば聞き比べるのにもお金が必要だったが、ストリーミングのご時世なので是非出てきた曲を調べて聞き比べてみてほしい。人によってどの曲が一番刺さるか、あるいはどれも刺さらないか、違いが出ることだろう。

1980年代が近づくとダンスミュージックが音楽シーンを席巻するようになるが、それを早い段階で先取りしたThe Rolling Stonesの大ヒット曲Miss Youのリリースが1978年。Trampled Under Footがダンスミュージックかと言われると微妙なところだが、オールドスタイルのロックの代表とも言えるLed Zeppelinが時代を先取りした楽曲をしれっと発表したのは面白い。先に紹介した通り、2007年のO2アリーナでも演奏しているが、ファンクよりはロック寄りにアレンジしなおされ、歌い方も原曲からだいぶ崩したものになっている。

残念ながらO2アリーナの公式の映像はないのだが、Rare Film Seriesと名付けられた映像の中に1975年のロサンゼルスの映像がある。原曲よりも主張の激しい後半のプラントのボーカルに耳を傾けてほしい。

先に挙げたTrampled Under Footの系譜に連なる楽曲もほとんどないので、The Rolling StonesのMiss Youを添えておく(これも好きな曲だ)。

Kashmir

カシミールカレーという日本発の辛みの強いカレーでなじみ深いカシミールという地名だが、カシミール地方がどこにあるどういう地域かご存知だろうか。インド北部、パキスタン北東部、そして中国に跨る地方の名前で、山岳地帯である。カラコルム山脈という標高8,000m級の山脈を擁するほか、世界で二番目に高い山であるK2もこの地方の山である。プラントはサハラ砂漠をドライブ中にKashmirの歌詞の着想がわいたというが、アフリカ大陸のサハラ砂漠とカシミール地方には特に接点がない。

https://www.youtube.com/watch?v=uD0ww8E0Za8

しかし、結果的にKashmirというタイトルとサハラ砂漠の広大さを思わせる歌詞のちぐはぐさがこの曲にはよくあっている。ペイジが好んで使った中東風の響きのコードはインドをダイレクトに連想させるし、雷鳴の如き鮮烈さで現れる冒頭のリフはカシミールの山岳地帯の険しさを連想させる。したがって、曲の第一印象から得られるイメージとしてはKashmirというタイトルがぴったりと合う。

曲は冒頭の印象的なリフと摩訶不思議なブリッジパートを緩やかに行き来しながら進んでいく。そこから湧くイメージは星空のもとで荒涼としている砂漠の大地ではなかろうか。プラントはこのイメージを的確にとらえ、良い意味で抽象的な歌詞を書いている。歌詞から物語のようなものは何も読み取れないが、曲が織りなすイメージを的確に言葉に表している。冒頭の歌詞は以下のようなものだ。

「おお、太陽よ私の頭上で脈打ってくれ 星々で私の夢を満たすために
私は時間と空間を行き来する旅人 いつか訪れた場所にいるために」

Led Zeppelin/Kashmir

こんな調子で続いていくこれはもはや歌詞というよりは詩や祈りと呼ぶべきだろう。中盤には申し話程度にカシミールという単語が出てくるが、個人的に連想されるのは千夜一夜物語のような広大な砂漠を背にした世界観である。この楽曲の存在感と出来栄えにはバンドもリスナーも大いに満足するところで、後期Led Zeppelinの重要なレパートリーとなったほか、解散後に結成されたJimmy Page & Robert Plantもこの世界観を推し進めたような音楽づくりがなされている。

このように書くと未聴の人はワクワクするかもしれないが、冒頭のリフ以外はそこまで刺さらない人も多いのではないかと思う。リフの鮮烈さに対して歌メロは余りに地味で、後半にプラントがスキャットを交えて声のボリュームを上げるまでは耳に残らない人も多いかもしれないし、自分も長いことそうだった。ただ演奏に合わせて、カシミールの険しい山岳でもサハラ砂漠の広大な地でもよいのだが、その中で佇む人間のようねイメージが湧いた途端に曲の印象が反転する。この感覚はプログレがピンとくる瞬間に近いが、プログレよりはLed Zeppelinの方がずっと分かりやすいと思う。

In My Time of Dying同様に2007年の再結成ライブで演奏されており、映像・音声共に楽しめる。ライブの終盤に演奏されたKashmirのパフォーマンスは間違いなくこのライブにおける白眉である。せっかくベースを捨ててジョーンズがキーボードに回った割にはキーボードの音量が小さい気がするが、迫力は十分。ジェイソン・ボーナムのドラミングも正確で淀みがない。この圧巻の演奏はプラントに負う部分が大きいのではないか。かつての美男子は深い皺と豊かな髭を蓄え老翁と呼ぶべき風貌に変わっているが、鋭い眼光とマイク捌きで観客を惹きつけるばかりでなく、後半では顔を顰めつつも鋭いシャウトを繰り出し、この曲の世界観を盛り上げた(その横で涼しい顔をしているペイジとの落差がすごい)。

1979年のネブワース公演におけるKashmirもベストパフォーマンスの一つだが、2007年のパフォーマンスは個人的にはこれに匹敵する。
1979年のプラントは高音が出しづらい時期に差し掛かってはいるものの、さすがに若々しくともすれば変化に乏しいこの楽曲にフェイクやシャウトを多用して彩りを加えている。またオリジナルの特権としてボーナムが遠慮なくアドリブを入れてくる。曲の雄大さとはかけ離れているが、これに呼応してプラントもボーカルのテンションを上げていくのがLed Zeppelinというバンドの醍醐味かもしれない。Led Zeppelin DVDのみならずYouTubeでもこの模様は見られるのだが、少し赤みがかった古い色合いの映像が曲の摩訶不思議な印象を強めている。映像も曲も解像度の高い2007年のライブ、幻想の彼方で熱に浮かされたような1979年のライブ、甲乙つけがたいパフォーマンスである。

思った以上に文章が長くなってしまったので、2枚目についてはまた今度。


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