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この記憶の断片は何を意味しているのか?


以下、ネガティブかもしれない(あやふやなのです)内容を記しています。幼少期に性的な犯罪に遭われた方は、フラッシュバックなどを起こす可能性があります。読まない方がよいかもしれません。







子供の頃から、ずっと長いあいだ気になっていることがある。

50年近く前のことである。僕は幼稚園に通っていたか、それより前の年齢のはずだ。小学校に上がるときに引っ越したので、その時期であることは間違いない。

今でこそ立派におっさんだが、僕は中学2年生まで「女の子?、男の子?(順番重要)」と訊かれるくらいの女性的な容姿をしていた。色白、まつ毛長い、髪もスポーツ刈り(←死語?)全盛の当時としては長め、というのもあったと思う。体格も華奢だった。同じく中学2年生の時、秋葉原駅のトイレで用を足していた際、横から覗き込んできて卑猥な言葉を投げかけてきたおっさんもいた。何が言いたいかというと、さらに幼い幼稚園児の頃は、見た目はほぼ女の子だったということ。そして、そちらの趣向の方々*にはおそらく人気があったこと(因みに、40代の頃にも一度お誘いを受けた事がある)。思春期、その外見に悩むこともあったが、今回の話とは関係ないので置いておく。

その頃、僕は両親と弟の4人でアパートに住んでいた。アパートに風呂は無く、銭湯通いだった。幸い、向かいが銭湯だったので、その点では好立地だったと言える。

ここからはあくまでも幼児期の記憶なので、そこはさっ引いて読んで欲しい。

その銭湯の上の階には居住スペースがあったように思う。僕にはなぜか、その一室の窓から銭湯の前の通りを見下ろした記憶がある。窓の手前はベッドだったので、その上からということになる。その部屋には弟も、いつも遊ぶ子達もいなかった。低い位置にある小さな窓から差し込む陽の光は明るく、相対的に部屋の中は暗く見えた。

その部屋の住人は若い男性だった。中学生か高校生?大学生かもしれない。なにぶんにも幼稚園児なので、年齢の推測は曖昧だ。部屋の印象は天井はあまり高くなく、窓から以外の光はほぼ入らない。物は多いが壁際の棚によく整頓されていたように思う。畳ではなく、絨毯が敷いてあった。気がつくとその住人は窓の反対側にある扉を背にして、少し離れたところに立っていた。顔はよく見えない。

ただ、それだけの話である。しかし、よくよく考えてみると些か不自然さを感じなくもない。確かに一家でその銭湯を利用してはいたものの、アパートの隣人と仲が良かったので、それを差し置いて母親が僕を銭湯の人に預けるのはおかしい。そして僕には、その人物との記憶はその時のものしか残っていない。普段から遊んでもらっていた訳ではないのだ。

そもそも、それくらいの歳の男子(男性)が近所の幼稚園児を自室に招き入れるだろうか?面倒を見るように言いつけられたのだとしても、普通なら外で遊ばせるのではないだろうか。なぜなら、その日は晴れていたのだから。女の子なら分からないでもない。小さい子供の面倒を見てみたい年頃というのはあるようだからだ。

想像力を逞しくすればするほど、気分の良いところには辿り着かないので、考えないようにしている。しかし、やはり時々気になってしまう。何があったのだろう?特に何か嫌な思いをした記憶は残っていないので、何も無かったのだと思いたいが、状況から考えて個人的にはかなり黒に近いグレーだと思っている。

人間関係が上手くいかない。特に男性に対する強い不信感から友人関係を築けない事に、双極性障害だけで無くこの一件が関わっているのなら、何らかの修復を試みた方が良いのかも知れない。信憑性はともあれ、精神療法などで抑圧されていた古い記憶を蘇らせる、という話を聞かないでもない。これを試そうか?それとも、このまま掘り返さず墓場まで持っていった方が自分のためなのか?

半世紀(!)近く前のことである。今更感は否めない。結論が出ないまま生涯を終えそう。

10-02-2023 補足
読み返してみたら、重要なことが書いてなかった。ベッドの上でズボンを履いていなかった。下着をつけていたかは曖昧。

*) 同性愛者の方々に偏見はありません。好きな方々同志で自由にお付き合いされたら良いと思います。ただ、その好意を自分に向けられるのには恐怖感があります。


続編あります。







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