ドス黒く透明な感情について
裏切られたことに気づく。しかし、状況証拠しかない。もちろん自分に、相手を問い詰める勇気はない。
肯定的、否定的、両側面から他の証拠を掻き集めはじめる。想像力を膨らませる。これでも、かつてはそこそこの研究者だったのだ。心理的なバイアスが掛からないように細心の注意を払う。
残念ながら、直感が外れることはまずない。
結局は相手にとって、自分はその程度の価値しか無かっただけの話。全ては自分のせい。それでもドス黒い感情は沸き起こる。
そんな感情を持ち続けるのは、苦痛だ。そんな感情を抱き続ける自分自身が許せなくなる。見たくない。見えなくなって欲しい。自分は、いい人、でいたいからだ。ドス黒さは薄れ、見えなくなる。意識の奥底に押し込めることが出来る。ただ、どれも消えてなくなる訳ではない。
しかし、この処理と維持には相応のリソースを必要とする。精神的に弱ってくると、うまく機能しなくなる。そうすると不可視化し、押し込めておいた感情は再び意識の表層に現れてくる。思考の囚われや、連日の悪夢は、これらが姿形を変えたものではないかと思う。
忘れる、という永久的な処理方法があるらしいが、残念ながら自分には備わっていないようだ。どんな事であれ、忘れてしまうのは相手に対して失礼ではないのか、という疑問もあるので、今後も追加装備する予定もない。
僕の他人との付き合い方は、自然と減点法になりがちだ。無関心こそが長い付き合いの秘訣だと言うのは、少し寂しく思うが仕方ない。
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