この記憶の断片は何を意味しているのか?その続き
前記事、
の続きです。
前記事同様、以下、ネガティブかもしれない(あやふやなのです)内容を記しています。幼少期に性的な犯罪に遭われた方は、フラッシュバックなどを起こす可能性があります。読まない方がよいかもしれません。
今朝、母親に用事があったので電話をかけ、その時ついでにそれとなく僕の幼少時の生活について訊いてみた。
嘘だ。探りを入れるのが目的で、用事は電話をするための口実に過ぎない。
近くにあった銭湯は主に夫婦で経営しており、母親はその奥さんとは会えば挨拶する程度の関係でしかなかったこと。そして、その夫婦には僕の記憶に合致するような、中学生と高校生くらいの2人の息子がいたことがわかった。しかし、昔を懐かしむ明るい母親の口ぶりには、彼女が余程の演技力の持ち主でない限り、暗い過去があったようには感じられなかった。
やはり、何も無かったのか?
僕は軽い接触恐怖症だ。都市部で育ったので満員電車にも乗れるが、正直なところ音楽プレーヤーを使って意識を外界から隔離しなければ、かなり厳しい。どんなに暑い夏でも、外出時は長袖のシャツを着る。腕が他人の腕に触れて体温が伝わってくるのが我慢できない。他人の汗と自分の汗が混じることなど、想像しただけでも吐き気がしそうだ。
親しくしてくれる女性に対しても、その苦手意識は働いてしまう。せっかく良い雰囲気になっても、相手に慣れるため何回かの予行演習が無いと僕が機能しなかったことがほとんどだ。しばらく、また日を改めて、ということが続いたりした。プライドを傷付けてしまったのではないかと思う。幸い彼女たちは皆、寛容で我慢強くいてくれたので、僕は救われた。それでも部分を積極的に触れられるのには苦手意識がある。特段、外見的に何かコンプレックスがある訳では無いのだが、緊張して萎縮してしまう。単純に幾ばくかの恐怖を感じる。
僕に犯すことが出来ない罪があるとすれば、強姦罪だろう。精神的、肉体的にいい具合に去勢されているのだから。相手の女性の協力無しには、事を成し得ない。それはそれで平和的で良いことなのかも知れない、と思うようにしている。
強権的な態度を取る男性への謂れなき反発心。これは父親への嫌悪感が形を変えたものだと思っていたけれども、接触恐怖症や性的な遍歴を全て考え合わせると、何か原因となる事件があったのではないだろうかと、つい疑ってしまう。ちょっと考え過ぎなのかも知れない。ただ、僕には前回の記事に書いた映像よりも朧げだが、自分より身体の大きな男性に布団の中で抱きしめられている記憶がある。この記憶のピースはどこに当て嵌るのだろう。
これ以上、どうにも調べようがない。書いても仕方ないことを書いている自覚はある。一つ一つの事柄は相関なんてないのかも知れない。ただ、ずっと胸に閊えていたものを一度書き出してみたかった。
もう一度、丁寧に畳んで記憶の底に沈めて忘れる。自分のための逆説的な備忘録。
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