同居人にはしない話
以下、ゲイの話が出てきますが、特にゲイの人を差別するつもりはありません。ただ、僕は過去に色々あって苦手なだけです。先に断っておきます。
一昨日の晩だったか、『きのう何食べた?』をTVで放送していたようである。同居人は腐女子ではないようだが、この作品はコミックを全巻持っているくらいには好きらしいので、眺めていたようである。「ようである」のは僕は苦手なので別室に避難していたから。ご存じない方もいるかと思うから書いておくと、『きのう何食べた?』は、よしながふみ原作の、同居しているアラフォーくらいのゲイカップルがご飯を作って食べる話である。たぶん合っていないけど、それ以上はよく知らない。
昨日(10/2)はジャニーズ事務所の会見の日であった。Eテレとテレ東以外の局はライヴ中継をしていた。時事問題だし、怖いもの見たさもあり、ひとまず見てみる。質疑応答での東山紀之の苦しげな答弁を聞いているのが辛くなり、そこでやめる。少し吐き気を感じる。やはり、あの記憶が呼び覚まされる。
実を言えば、『きのう何食べた?』とジャニーズ問題には決定的な相違があるし、それは僕自身も理解はしている。片や同意があるし、他方には同意がない。それでも苦手なものは苦手なのだ。
同居人には、この幼少時の記憶については話をしていない。残念ながら、話したら同居人は今後『きのう何食べた?』を楽しめなくなってしまう、という善意に満ちた理由ではない。大体に、そんな深い話をする関係でもない。
もし話したら、彼女はすぐに「気がつかなくて、ごめんね」と言うだろう。言ってないのだから気がつかなくて当たり前であるにも関わらずに、だ。彼女の「ごめんなさい」は処世術である。明かに「ありがとう」と言うべき場面においても、「ごめんなさい」や「すみません」が反射的に出る。それはどうやら相手が僕でなくても同じらしい。相手より下の立場にいることを見せることで、それ以上の攻撃を控えてくれと訴えているのかもしれない。
残念ながら納得しての謝罪では無いので、熱りが冷めると同じことを繰り返す。指摘すると、謝る。また忘れた頃に繰り返す。いつまでも解決することがない。彼女は(比較的最近に診断された)特性上「やんわり」言っても理解できないので、一般の人に対するよりも「はっきり」言わなければならない。これは何回も、何回も繰り返していると、言っているこちら側にボディブローのようにダメージが蓄積してくる。自分の了見が狭いのか? これは世間で言うところのモラハラなのではないか? そんな思いが頭の中を巡る。それに較べて向こうは、その瞬間だけ謝ればいい。なんか不公平に思えてくる。
おそらく彼女の特性は僕の双極性障害が発症する原因にもなっているので、正直なところ逃げ出したい気持ちはあるのだが、どんな形であれ同居している人間がいるのは現在の福祉レベルを維持するのに有利に働いているのは事実なので、致し方ない。客観的に見て、よっぽど理解のある大家を見つけない限り今の自分では住居を確保することさえ難しいだろう。ただ、かつて調べた限りではUR賃貸住宅は何年分か先払いすると居住条件をクリアーできた気がする。興味がある方は問い合わせてみてください。
話を戻すと、たとえ僕が過去の出来事が原因でゲイ関係の作品を苦手としていると伝えても、しばらくすれば元に戻るのは想像に難くない。せいぜい、「ゲイ関係の作品を見せたこと」に加えて、「苦手にしていたのを忘れていた」と言う「謝罪ネタ」が加わるだけである。まだ僕も同じことを繰り返すほど知能は落ちていない。
「『分かってもらえるはず』と期待するから、裏切られるのだ」と言う台詞はよく聞く。それとは少し違う気がするのだが、どうなのだろう? ありふれた話のような気もする。