2022年末日記 1204-1210
1204
雑用ばかりで何もかもがごちゃごちゃになってきたので、寝る前に開高健の釣りエッセーのアンソロジー「魚心あれば: 釣りエッセイ傑作選 (河出文庫)」を読んだら頭と胸のあたりの塵が洗われたようにスッキリした。
考えてみるとまったく釣りをしない私でも「オーパ!」「フィッシュ・オン」「私の釣魚大全」など、けっこう読んでいる。このアンソロジーは代表的な本とのダブりがあまりない。
1205
アドベント・カレンダーは同じ人が二回以上書いてもよいということなので、追加でもう一回、別の日に参加することになった。「クリスマス喫茶」という空想的なエッセーで、25日にもまた別の話を書く。
1206
クロアチア戦を見ながら本の整理をしていて、買ったまま積んでいた「なめらかな社会とその敵 ―― PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 (ちくま学芸文庫)」を手に取って読み始めたら止まらなくなった。赤線を引きながら読みたいくらい、難しいことがコンパクトに、平易に書かれている。「世の中で最も頭のいい人たちは、どんなことを考えているんだろう?」という興味に応えてくれる感じ。
1207
慶應大学のイベント「加藤和彦と大貫妙子 ふたつの『ヨーロッパ三部作』」は行くつもり満々でチケットを取ったのに行けなくなってしまったので、牧村さんを介して「発言集成」を大貫妙子様に渡していただくことになった。まさか自分の編集した本があの方に届くとは。
1208
今日は「ベレー帽とカメラと引用」01-05号セットと、「発言集成」+06号のセットを同時に買われた方がいらした(合計でいっぺんに七冊)。これまでの最高新記録かもしれない。
本文のページ数で言うと、
01-05号セット=518ページ
発言集成=188ページ
06号=94ページ
これらを足すとぴったり800ページなのであった。
いま編集中の吉田仁さんの本がおよそ200ページほどなので、これも加えるとおよそ1000ページになる。その内訳は、自分の書いた文章が500ページ、他の人の文章やインタビューや講演録が500ページくらい。
1209
文章を真剣に書きすぎると、なぜか腰が重くなってくる。無理にまた文章を書いていると、腰が鉛のように硬くなる。今そういう状態なので、ほどほどにセーブする。
1210
「好きなだけ恋の夢を見て/勝手にキスして泣いて」というその行為の主は「僕」なのか、その相手なのか。好意の向きは「僕→君」なのか「僕←君」なのか。明確に決められない上質の曖昧さが漂っていて、耳で聴くと尚更はっきりしない。
雪舟えまの「フライ追うように走って しあわせだ、しあわせだって退路を断って」という短歌の「て」の使い方を見て急にそのことを思い出した。
全集の端本を買って読んでいた吉田健一の文芸時評が、平凡社ライブラリーから出ていた。若い頃の小松左京や池波正太郎や司馬遼太郎が出てくるので、きっと広く読まれる……ことはないだろう。