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ケニア探訪録② マサイ族との遭遇


マサイ族との出会い

サファリの後、マサイ族と会う機会に恵まれた。

マサイ族は、小さい頃からテレビで見た記憶があり、なぜかと言われるとよく分からないのだがいつのまにか憧れの対象になっていて、生きている間に一度は会ってみたいとなんとなく思っていたので、地味にテンションが上がった。

ちなみにマサイ族は観光客を受け入れており、通常30-35€程度のチップを払うことで、一通り村を案内してもらえるらしい。今回は、グループディスカウントで20€まで価格交渉が出来たらしい。

村に入ると赤い民族衣装に身を包んだマサイ族男性の歓迎のダンスが始まる。何やら低い声で、うなり声のような歌を歌いながら独特のダンスを踊る。

途中で前の方で見ていた観客は巻き込まれ、全員でうなり声を上げながらぐるぐるその辺を走りまわるというカオス。

後半になると、順番に男性が前に出てきて、待ち望んだマサイ族おなじみ(?)のジャンプが始まる。

少年時代に、何度マサイ族のモノマネと称して、垂直方向にジャンプをしたことだろうか。

刮目し、己の全集中力を注いで、マサイ族のジャンプを観る。

・・・思ったよりも高くない。
確かに普通の人よりは高く跳ぶのだが、正直思ったよりそんなに高くn(略

マサイ族による歓迎のダンス

その後、今度はマサイ族が踊りながら接近してきて手を取られ、そのまま一緒に踊りながら村の中へと連れさられた。

マサイ族の暮らし

村の中に入ると、マサイ族の簡単な説明をしてもらい、火を起こすところを見せてもらった。

その後、小グループに分かれて、マサイ族の家に招待してもらい、実際に家の中を見せてもらうことに。

家は、本当に質素なつくりで、電化製品らしきものは何もなく、家の中心に囲炉裏のようなものがあり、あとは部屋が幾つかに分かれているだけ、一部壁に換気用のスペースが空いていて、中はとても暗かった。

マサイ族の家の中で、家の持ち主の男性から、いろいろとマサイ族について話を聞いた。以下、ざっと聞いた話を箇条書きすると、、

  • マサイ族は一夫多妻制で、強い地縁・血縁社会

  • ソーラーパネルを使って一部発電をしているらしいが、文明の利器をほぼ使わない、スマホを持っているのは一部の人のみ。

  • 村の中で牛・羊・ヤギなどの家畜を飼っていて、特に牛は大切な家畜らしい。現在はあまり狩りはしないとのこと(自分たちの村が猛獣に襲われた時など)

  • 平均寿命は90歳とのこと(そんなお年寄りの人をほぼ見かけなかったので、若干怪しい気がする)

  • 視力が良いのは本当で、数キロ先の動物にたかるハエまでかなりはっきり見えるらしい

  • 赤い服を着るのは、ライオンなどの猛獣を遠くから威嚇するため

  • 成人の前に、男性はグループで森に連れていかれ、マサイの習慣や所作について叩き込まれるらしい

  • 成人の儀式として、ライオンを狩らねばならない(集団で)、たまに犠牲者も出る

火起こし
マサイ族の家
マサイ族の家の中、寝室でくつろぐ子供

家を出た後、村で作っているという土産もの(ネックレス、腕輪などの装飾品)を買わないかと言われる。

成人の儀式の話を聞いたばかりだったので、ライオンの牙で作ったというネックレスを35€で購入する。

正直、本物かどうか誠に怪しいが、こういうものは気持ちが大切だということで、あまり気にせず記念だと思って購入した。

その後、インド人の同級生が価格交渉ののち、同じネックレスを15€で購入したことを聞くが、聞かなかったことにした。

別の日に日本人の同級生に、「ぼられすぎでしょ?」「絶対に(本物の)ライオンの牙じゃないでしょ?」と心ないツッコミを受けたが、聞かなかったことにした。

そもそもマサイ族とは?

そういえばマサイ族に謎の憧れをもってはいたものの、マサイ族そのものについては良く知らなかったので、移動時間でマサイ族に関する本を手に取ってみることにした。

Kindle unlimitedで無料で読めたので、『アフリカ マサイ族に学ぶ「リーダーシップの原点」』という本をざっと読んだ。以下の情報は、概ね本書を参考にした情報となる。

マサイ族は、ケニア南部からタンザニア北部に広がるサバンナ地帯に住んでいる部族であり、ケニアにある42の部族の中で、独自の文化と伝統的な価値観を重視する部族として有名とのこと。

1963年のケニア独立以前は、完全な遊牧民として生活をしていた。

ケニア独立後は、ケニア政府から定住化を義務づけられたため(徴税のため)、従来の遊牧民としての生活を手放し、現在のような定住生活を送るようになったらしい。

ちなみにこの本の著者が訪れた村の平均寿命は61歳とのこと。(こちらの方がリアリティがある。。)

伝統と文明の狭間で

上記のように、マサイ族は、おそらく他の部族以上に際立って伝統的な生活を固持しつつも、外部環境に柔軟に対応することを求められた場面が何度かあった。

その中で、一つの大きな転機が、2008年の干ばつだった。

従来の通り遊牧民生活をしていれば、干ばつがあっても別の土地に移動することである程度対応することも出来たが、土地を固定されてしまうと、干ばつのような自然災害を受けたと途端にコミュニティとしての脆弱性が顕在化してしまうことになる。

このような危機を経て、エマニュエル・マンクラ氏によって、マサイ族の共通の課題を解決するためにエイエウノト・ナバヤ・コミュニティという自助組織を、7つの村の19のマサイ長老と共に設立し、2009年にケニア政府に登録されたらしい。

2008年の干ばつの後、コミュニティ集会を開き、部族が死に絶えてしまう危機感を共有して、このような自助組織の設立に至ったそうですが、その際にリーダーに選ばれたエマニュエル・マンクラ氏は30代半ばの若き長老だったとのこと。この決断一つとっても、マサイ族の柔軟性と、部族としての危機感を垣間見るような気がした。

自助組織の立ち上げ後、文化の維持に加え、環境との共生や教育、女性のエンパワーメントのようなフォーカスエリアを定め、部族の生き残りのために集団的に活動している。

特に、以前までは西洋教育を拒否していたマサイ族が、今では教育は当然の権利だと話しながら、子供が普通に学校に通っているあたりに、自分の持っているマサイ族とのイメージのギャップや、いかに部族の伝統を守りながら現代社会で共生していくことが難しいかを考えさせられた。

また、欧米諸国の先住民とかと比較すると、幸いケニアは42もの多数の部族が共存している国で、マサイ族はあくまでその中の一部族という位置づけだから、ある程度純粋に文化を守れている部分があるのかなとも思った。

マサイ族の人に、失礼を承知の上、「都市部の生活に憧れて、部族を離れたいと願うような若者がいた場合はどうするのか?」という質問をしてみた。

回答は「みなマサイ族の文化や生活に誇りを持っているから、基本的に部族を離れたいという人はいない」という話でした。確かに、あれだけ”俗世”から隔絶されていて、かつ都市部に出て行ったとしても仕事が見つかる保証もない中で、部族を離れようと実際に行動を起こす人は、限りなく少ないんだろうなと思った。

と同時に、我々のように観光で一定外部の人間と接する機会もあったりする中で、特に若い世代の人たちの中で、部族を離れたいと思うような場面はないのか、そうだった場合にコミュニティとしてどのように向き合うのか、そのあたりのリアルな話ももう少し踏み込んで聞いてみたかったなというのも正直なところだった。

何はともあれ、子供の頃から夢見たマサイ族と対面するという夢が思わぬ形で実現し、個人的には非常に思い出深いイベントとなった。


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