旅、酒、音楽
今日は午前中は自宅で作業。
本当はカフェに行きたかったのだが、少しやることが溜まっているので、モニターのある自宅で効率よく作業をしてしまおうと思い、泣く泣く引きこもりろりん。
午後からは、1年生向けにClub紹介のイベントのようなものがあり、自分が所属するClubの紹介に駆り出されるので、学校に行かなければならない。
今日はなるべく家に引きこもっていたかったので無念。
先週の土曜~月曜にかけて、ポルトガルへ旅行してきた。
朝7時前の便でバルセロナを発ち、8時頃にはPortoに到着している算段だったのだが、途中いろいろありまして、到着したのは14時過ぎ。
まず、朝Cabifyというスペイン版Uberみたいなアプリで空港までの配車を手配していたのだが、車に行ってみるとドライバーがいない。
しばらくあたりを見回してみると、コーヒー片手に笑顔で向かってくるおじさんを発見。
車まで戻ってきたかと思えば、車の外でのんびりとコーヒーを飲み干してから、やっと車に戻ってくる始末である。
スペインのこういうマイペースでのんびりしているところは大好きなのだが、急いでいる時にやられると頭からコーヒーをぶっかけてやりたくなる。
無事にフライトに間に合い、飛び立ってすぐに爆睡したのだが、気づいたら着陸の衝撃で目が覚めた。
窓からやたら自然が多い街なんだななんて思っていたら、なんと天候不順でPortoに着陸できず、スペイン内のサンティアゴの空港に着陸したとのこと。
どうやってPortoに行けば良いのやらと思っていたら、不幸中の幸いでバスを手配してくれるとのことで、2時間バスに揺られながら無事Portに到着した。
空港からUberを使って市内に移動したのだが、ドライバーがまた強烈で、ブラジルからポルトガルに移住してきたというお爺さんで、めちゃくちゃフレンドリーかつ素敵な人だったのだが、まあよく喋る。
運転しながら後ろ向いて話すし、ボディランゲージが大きすぎて運転中の3分の1くらいハンドルから手が離れていて、若干命の危険を感じた。
市内に到着して、腹が減っていたのでポルト名物と言われるFrancesinhaなるサンドイッチのようなものを食した。
まあ美味しいのだが、見た目の通りカロリーの塊みたいな食べ物で、段々後半に行くにつ入れて、フードファイトの様相を呈してきた。
隣のカップルは、女性の方がペロリとこの塊をたいらげていた横で、男性の方が本当に苦しそうにしながら、女性を待たせまいと苦悶の表情を浮かべながら必死に食べていたのが気の毒だった。
その後、市内を観光して、夕方くらいに宿(アパートメント)にチェックインしようとしたら、鍵が開かない。
どうやら鍵がぶっ壊れていたらしく、高校生くらいの少年が修理にやってきて懸命に奮闘してくれたのだが、1時間くらい経っても修復する気配がなかったので、仕方なくキャンセルし、その場で他のホテルを予約する羽目に。
なかなか一日にこんなにトラブルに見舞われることも珍しいなと思いつつ、予想外のことが起きるのも旅の醍醐味だし、いい土産話が出来たくらいに思いながら、どうやってレビューでこきおろしてやろうか全力で考えていた。(結局書いてない)
そんなこんなでいろいろとトラブルに見舞われた旅ではあったのだが、ポルトガルという国はとても良いところだった。
街は美しいし、天気は良いし、ご飯は美味しいし、人は温かい。
街の建築も、地中海特有の柔和な色使いと、あまり気取らない素朴さが美味いこと調和していて、美しいだけでなく、一つの街として心地の良い空間を創り出しているような趣きだった。
意外だったのは、ポルトは街のあちこちにストリートで演奏したり歌っている人がいて、しかも見かけた人は全員かなりレベルが高かったと感じた。
ヘッダーの写真のお爺さんは、小学校100年生の少年が夏休みの自由研究をやったらこうなるんだろうなというような、独特の創作楽器を演奏していた。
旅先で演奏をして旅を彩ってくれるミュージシャンを、個人的にとても尊敬しているので、なるべく良いと思った人には投げ銭をするようにしているのだが、今回は出会う人みんなかなりクオリティが高く、小銭が尽きてしまったのが本当に悔やまれる。
2日目はリスボンに移動したのだが、ディナーをしたレストランが料理が美味しかったに加え、弾き語りのライブ付きで、そのシンガーがまたいい声で、とても思い出深いディナーになった。
旅先で、美味い酒を飲みながら、いい音楽に浸る、というのは人生において最も幸福な瞬間の一つかもしれない。
新卒くらいの頃、元ライフネットの出口治明さんの講演を聞く機会があって、人生において「本・人・旅」が重要だ、というような趣旨のことを話していたのを、ふと思い出した。
学生に戻って、以前より旅行をしたり、仕事に直接関係ないような本を読む余裕が生まれたおかげで、人生が豊かになっているような実感がある。
人生において、忙しく何かに打ち込む時期と同じくらい、余白を持って、何の役に立つか分からないようなことに没頭する時間も大切なのだということを再認識する。