海外MBA留学に行く意味①
今日は授業が夕方からなので、午前中はカフェでまったり。
店内の3方をスペイン人のおばさま方に囲まれながらスペイン語を浴びているので、少しはリスニング能力の向上につながるかと思ったが、"Si"以外何も聞き取れない。
そんな中で店内から突然日本語の曲が聴こえてきて、頭が一瞬マヒした。かろうじて聞き取れた歌詞から曲を調べてみたら、フライデーチャイナタウンという曲らしい。
このカフェは店員さんは若いスペイン人のようなのだが、店のコンセプトに中国か日本か分からない絶妙なアジアテイストが入っていて、なんとも不思議な感覚と謎の安心感がある。
先週末、日帰りでFigueresというところにある、ダリ美術館に行ってきた。
バルセロナから電車で1~2時間くらいで行ける小さな町で、ダリ美術館以外特に見るものもない町だった。
シュルレアリスムというのはあまり触れる機会がなかったので、なんのこっちゃ行くまでよくわからなかったのだが、美術館を回りながらChatGPT先生に確認してみたところ、「夢や無意識の世界を表現し、現実を超えた自由な表現力を追求する芸術運動」とのこと。
要は、フロイトの精神分析に影響を受けて、現実の世界を、無意識下での感情や欲望を基に、既存の枠組みで見えている現実を再解釈する、というようなニュアンスらしい。
モダンアートで勝手に連想するぶっとんだインスタレーションとかみたいなものよりはとっつきやすく、シュルレアリスムが何なのかとか、ChatGPTでところどころ解説してもらいながら鑑賞すると、割と興味深く楽しめたかな、という感じ。
昨日、たまたまアプリカントの方と久しぶりにCoffee Chatをする機会があった。
こっちにきてからCoffee Chatという表現にも慣れ、何度か自身もCoffee Chatをしてもらった機会があるが、いまだかつてCoffee ChatでCoffee片手にお喋りしたことは一度もない。
いつも通り、なんでMBAを目指したのかみたいな話になり、とりあえず「経営学を体系的に学びなおしたかった」「グローバルな環境でリーダーシップを磨く機会が欲しかった」などなど、量産型MBA生のテンプレみたいなことをお伝えした。
大抵の場合、そのあとに本音部分もお伝えするようにしていて、「仕事に疲れたので、学生という口実を得ながら2年間バケーションを楽しみつつ、のんびり将来のこととか考えたかった」「どうせならご飯が美味しくて、天気がよさそうなバルセロナが良かった」ということをぶっちゃけてみた。
その話をした途端、アプリカントの方の顔がぱっと笑顔になって、ご自身も将来のキャリアについて考える時間が欲しいというのも実は大きな理由なんです、というようなことをおっしゃっていた。
その方は前職が相当にお忙しい業界で、私もまあそこまでではないが割と忙しい業界にいたので、やたら共感して、割とそこからくだけた雰囲気でお話出来ていたような気がする。
こればっかりは個人の価値観に拠るとしか言いようがないが、金銭的になんとか学費・生活費を調達出来そうで、海外MBAに挑戦できる可能性があるなら、無責任かもしれないが、とりあえず行ってみてしまえばよいと思う。
特に高い投資なので、あれこれ費用対効果とか、本当に意味があるのかとか心配になる気持ちも分からなくはないのだが、長い人生において、このタイミングで様々な国の人と一緒に学生生活を過ごせるというだけでも、十分高い学費を正当化できると思う。
正直授業で勉強したことなんて今ですらほとんど覚えていないし、普通に勉強したいなら日本語でグロービスの参考書を読みこんだ方が効率的だし、給料がそこまで上がるかも分からない。
これは本当に偏った意見だし、言葉にしてしまうとバカみたいだが、海外MBAの利点は「罪悪感を持たずに学生に戻ることが正当化され、人生が豊かになる」の一言に尽きる気がする。
まあ使い古された言葉だが、大前研一氏は、人生を変えるには「時間配分」「住む場所」「付き合う人」のどれかを変えるしかない、と言っている。
海外MBAは、これら3つの要素を、ある意味強制的にガラガラポンしてくれるので、誰にとっても、多かれ少なかれ、何かしらの転機にはなりうるだろう、という割と分かりやすい構図なのだろう。
仕事もせずにぬるぬる学生をやって、何か口実を見つけては酒を飲み、クラブで騒ぎ、爆増する休日を利用して旅行しまくっているだけでも、世間的には「キャリアップのために努力をしていて偉い」というお褒めの言葉まで頂ける始末である。
自分が今リアルタイムで留学しているからバイアスが入りまくっていることはあえて承知して言うが、海外MBAに挑戦する機会がある人は、とりあえず挑戦してみる価値はあると思う。