自己とは何か(あるいは素敵な猫との付き合い方)。 What is self (or how to associate with a lovely cat).
『村上春樹 雑文集』(村上春樹著・新潮社刊)の中に「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」があります。「牡蠣フライについて語る、故に僕はここにある」とのこと。それを模倣する形で今回の記事を書きたいと思います(1,600字(400字×4)以内で)。
物心ついたとき猫がいた。雌猫マミー(同名の飲み物が名前の由来。飲み物の色と猫の毛色が似ていた)。炬燵の中やテレビの上で丸くなっていた(当時は猫が眠れるほど奥行きがあった)。床柱で爪を研いでいた。床下で子猫を産んだ。子猫はいつの間にか消えている。室内飼いは昭和30年代にはなかった(イメージは磯野タマ)。抱こうとすると「シャー」と怒った。鼠を捕るのに忙しく幼児の相手などしていられない。いつの間にかマミーは消えて戻ってこなかった。少年になるころ、叔母が「旅行に行くので雌猫を預かって」と連れてきた。名前は忘れたが三毛猫だった。雌猫は私の部屋で寝食を共にすることになった。すぐに私に懐いた。膝の上で「グルルクルルクルル」と喉を鳴らした。「ミュア」と鳴き、何かを伝えようとした。馴れ馴れしさに慣れないうちに叔母が旅行から帰ってきた。饅頭か何かと引き換えに雌猫を連れ帰った。少し落胆した(失恋みたい)。それから猫と縁遠くなる。大学の近くで一人暮らしをする私の部屋に、友人が「猫を拾ったから一晩頼む」と5匹の子猫とミルクを置いて消えた。一晩中、ミルクをあげて、毛布で温めたが、翌朝、全滅。友人が亡骸を引き取りどこかに埋めた。名もなき子猫の霊魂が狭い部屋に漂っている気がした。実際には子猫を失った蚤が私の生き血を吸った。それからまた猫と縁遠くなる。中年サラリーマンのころ同僚の新婚家庭を訪問した。雄の雉猫がいた。駅の近くで拾ったそうだ。抱かせてもらう。命とは柔らかくて温かいものだと実感した。そのときの羨望は新婚か猫か。同僚は転職して引っ越したから彼らも猫も、今となっては何もわからない。
私は彼女と10年間付き合って結婚した。彼女は実家で雄の黒猫を飼っていた。その名は黒吉(くろきち。名は体を表す)。野良猫から彼女の母(現在の義母)に拾われ飼い猫になる。野良時代、義母の勤める食品工場に住み付いていた。守衛のおじさんに餌付けされていた。衛生面を重視した工場責任者が猫の駆除をにおわせたため、義母が率先して飼い主を探すが見つからない。結局、自ら飼うことに。社宅のマンションを退去し、猫が飼えるマンションを購入(「賃貸」ではなく「購入」に覚悟を感じる)。黒吉は野良時代の過酷な生活のため、慢性的な鼻炎で青洟を出し、歯もすべて抜け落ちた。義母は歯のない黒吉のため、白身魚を焼いてほぐして与え、ささ身を湯がいて裂いて与えた。最晩年は癌を患い、高度医療を施したが(義母が宝くじで当てた50万円を全てつぎ込んだが)亡くなった。享年15歳。ひょっとしたら黒吉は野良猫界の伝説になっているかもしれない(成り上がった猫として)。私は黒吉が元気だったころ(義母が仕事で留守のときマンションにお邪魔して)黒吉を抱いて日当たりの良い部屋で、何度も何度もウトウトした。艶やかな黒い毛衣がゆっくり上下する。温かな重さ。命とか幸福とか、そのとき確かに感じた。それとは逆に、黒吉が亡くなり、亡骸を抱いたとき、私は死を抱いた。重くて冷たい静寂は死そのものだ。「友よ、また会おう」と黒吉に弔辞を述べた。自分の飼い猫でもないのだからこんなことを思うのは間違っているかもしれない。でも黒吉があちらの世界で待ってくれていると思うと、あの夜を境に、私にとって死は何も怖くなくなった。
義母が黒吉を飼う前、私と妻(当時は彼女)はデートのとき、野良猫を見付け、名前を付けた。白猫母さん(白い雌。子猫連れ)。黒丸(黒くて丸い。専用のハウスがあった)。カシミヤ(そういう感触がしそうで。外国人夫婦に拾われたのを妻が目撃)。王子ちゃん(黒吉の友達。黒吉より先に拾われた。しばらく黒吉は王子ちゃんを探したという)。
私たちは結婚したあとも(黒吉が生きているときも亡くなったあとも)、たくさんの野良猫を見付け、名前を付けた。私たち夫婦が猫を飼うのは、黒吉が亡くなってから2年後の秋。
追伸
たった1600字では、今、私の目の前で眠る愛猫までたどり着けませんでした。愛猫については、別の記事でもいろいろ書いていますので、そちらをご一読ください。