180520::ルールを破って生きていたい

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TITLE:
ルールを破って生きていたい

SUBTITLE:
~ Breakout from my matrix. ~

Written by Bluecat

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 書式があれば、当然それはルールだ。
 けれども一番大事なのは、そのルールを誰が定めたかだ。
 と、ひねくれた性格の僕などはついつい思ってしまう。

 もとより家族が家族としての機能をしない環境に育ったからだろうか。
 暗黙の了解であるとかが、ニガテなのだ。
 当然、どんな組織にいても空気も読まない。
 そのとき合理を感じることを大切にしたい。

 しきたりとか、暗黙の了解とか、伝統というのは過去に根ざしている。
 根ざしている根拠は形骸化して、意味を失っていることも少なからずある。
 合理性など、どこに見つけられるだろう。(もちろん見つかれば率先して従うが)

 自分が合理を見つけたルールは、そこから考えると気持ちがいい。
 もちろん、それを他者に押しつけるのは、ちょっとした犯罪のようにさえ思えるからしない。
 注意深く、相手が独自のルールを持っていないか観察して、自分のルールを隠して、やりすごす。
 なぜってそんなイデオロギィの衝突に、互いの時間を使うことは無駄だから。
 人生ってそんなに長いものではないはず。

 もちろん「イデオロギィの衝突ごっこ」をゲームとして愉しめるタイプのオトナもいるから、そういう人とお互いの独自ルールを開陳しあうのはとても楽しい。

 その一線を引けない人間は、自分のルールで他人を支配する。
 自分の持っているルールはすべての人間を支配するに足るものだと根拠もなく信じている。

 一歩間違えば、かなり危険な思想だと思えるそれに、だから私は近づかない。

 たとえば極度の嫌煙思想。
 たとえば極度の健康志向。
 ときどき極度の成功指向。

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 たとえば一本の直線の上に僕が生きているとして。
 一次元的な時間を表現したその線は人生と呼ばれるものかもしれない。
 その一端が誕生で、一端が死で。

 なぜ誕生が相対的に喜ばれ、秀でて優れたものだとされるのか、僕には理解できない。
 生まれること、生きることは、そんなに簡単じゃないなんて説教を垂れるオトナたちがそれを喜んだりするのはなぜだろう。
 死は、そんなに悲しいのだろうか。
 そんなに忌み嫌われるべきものなのだろうか。

 僕が思うに、生まれることは両親が関わっているからともかく、生きることはむつかしくはない。
 ただむつかしくないからといって楽しいとは限らない。
 少なくとも、自分以外の誰かが楽しさを与えてくれたりするものなどではない。
 自分で作るしかない。
 自分しか分からない楽しさがあっていいし、それを探していいと思う。
 誰かと同じである必要はないし、誰かと共有できない楽しさもあっていいと思う。

 苦しいこともおなじで、だからたいていは自分がそれを作っている。
 誰かに苦痛を作られているのだと本当に感じるのなら、そこから逃げればいい。
 それは自分で作ることができる。
 社会的落伍者といわれようが馬鹿にされようが後ろめたさがあろうが、厭なものは厭だと言い切ればいい。
 孤独になる度胸があれば、だいたいのことは思い通りになる。
 味方なんていないし要らないと言い切ってしまえば、あとは自分で自分を味方すればいいのでとても簡単である。

 いずれにしても、両端の一方を良いものとして、もう一方が無条件に悪いモノだと考えるのはどうなのだろうかと思う。
 特にそれがひとつながりのものであった場合はなおさら。

 たとえば自分の感情や考え。
 自分の独自ルールだっていい。

 どうしてそれらに優劣をつける必要があるだろう。

 他人のそれと比較して優劣をつけたがるのだろう。

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 僕には両親もいないし、会社には同僚もいない。
 家族を持つには不適な人格であると思うので、近年は恋人も作らない。
 友達は何人かいるが、何年も会わないのが普通だ。
 なにせ彼らのほとんどは家庭があって、子が成人していない。
 用がなければメールも電話もしない。
 SNSで繋がるなんて気持ちが悪いからしていない。

 それでも会えばちゃんと話が通じる。友達だから。当然である。
 会いたいとか、ただ話をしたいとかだって、立派な用である。
 だからもし、僕がどうしても孤独に耐えられなくなって、話をしたくなったら僕はとりあえず電話くらいはするかもしれない。

 ただ、寂しいと感じることはほとんどないのでそういう用事がない。

 人はひとりでは生きていけない、という言葉があるが、まぁ、それほどでもないかな、と思うことが多い。
 社会は成熟しているのである。少なくともそれなりには。

 ひとりで仕事をして、ひとりで洗濯と掃除と料理をして、ひとりで楽器を弾いてひとりで歌って、ひとりでお酒を飲んでひとりで考える。

 優劣を自分で決めて他人には決めさせず、その一方で他人の晒す優劣論については(自信に対する批判も含めて)真面目な顔で話半分で聞き流しつつ、自分の意見は基本的に言わない(優劣至上主義者は思った以上にたくさんいるのだ)。

 他人の介在しない世界は、存外、平和である。

 それとて格別のルールがあるわけではないから、気が変わったら変えてしまえばいい。
 誰かと交わりたくなったら、独自ルールは破棄してしまえばいい。

 主たるはルールではなく自分自身であり、従たるものがルールなのだから。
 一般に、広く見た限り、そういう人ばかりがこぞってルールのなすり合いをしているようにも見えるのだけれど。

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 おそらくこんなことを書き連ねていると「寂しい人」「変人」と思う人もいるとは思う。
 それはそれで仕方がない。
 僕はそれを否定する材料を集めるつもりもない。

 少数派、という意味においては確かに寂しい人で変人かもしれない。
 誰とも繋がらないことで出来上がる大量のひとりの時間を、ギターの練習であるとか、新しい料理への挑戦であるとか、葉巻やパイプ煙草を愉しむ時間であるとか、そういう不毛なことに使っているのだから。

 ああ。そんなことより数年ぶりに陶芸したい。

 知っているか。

 陶芸もそうとう孤独な趣味だ。



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[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Life-Link-Love-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Style-

[Module]
  -Condencer-Connector-Reactor-Transistor-

[Object]
  -Friend-Human-Poison-
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[Cat-Ego-Lies]
-いのちあるものたち-:-夢見の猫の額の奥に-


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青猫工場 〜 Bluecat Engineering 〜
猫に小判と申しまして、巨額の借金の返済に充てても焼け石に水になってしまうので、パイプ煙草の葉っぱを買おうと思います。 それかマタタビ、あるいはキャットフード。