残り続けるカタチ。 ~ Remainable Exist. ~


 窓の外から汽笛が聞こえた。
 電気機関車だろうか。

 電気機関車といっても、今はたいてい電車だから当たり前のことだが、鉄道マニアの人には非難されるかも知れない。
 私はあまり鉄道には興味がないので、御容赦いただきたい。
 要するに、モータも電気機関だ、という程度の認識である。

 汽笛が鳴るということから、通常の旅客車ではなく、観客車、あるいは観覧車であろうと考えられる。
 通常、鉄道といえば移動(運搬)が、その機能であり、サービスであり、目的である。

 私が電車に乗る場合は、移動が目的なのだが、目的と手段が入れ替わる時、人間はそれを趣味と呼ぶのだろう。
 上記の「観客車(観覧車)」という表記はそれを意識しての記述である。
 あるいは「客観車」と呼んでもいいだろう。

 多分メカニズムは旧式。
 それでもそのカタチが生き残っているということは、それなりの理由があるはずだ。
 少なくともそれに乗って移動することは主な目的としていないのだろう。

 それを見ること(より正確には、その存在があるということ)に価値がある、という指標にもとづいた方向性だと思う。

 おそらく、私のいる地方のような、ローカル路線だからこそ実現できるサービスだろう。
 本来の運搬ではない目的で運搬機械を動かすのだから、これは結構フトコロの広い、太っ腹なサービスではないだろうか。

 もちろん「環境負荷が」なんて言い方もできるんだけれど、そこにファンタジーがあるならば、多少の環境負荷はいいじゃないか、というのが現代社会が成熟した証であるともいえる。

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 たとえば花火大会なんてどうだろう。
 大量の火薬と、そこに集まる人間たちが費やす化石燃料。
 電気、渋滞、事故、マスコミ、人力、その他諸々。
 まさに目が回るほどの浪費ではないか。

 それが悪いというのではない。
 むしろ、歓迎している(私は出かけないが)。

 火薬で弾丸を飛ばし、燃料で戦闘兵器を動かすよりは、ずっといい。

 ただ、私は非凡なファンタジーよりも、平々凡々な日常をよりいっそう愛している。

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 日本人に限らず現代先進国人の好奇心の方向性として、ハレとケのうち、ハレを特に歓迎する風潮がある。
 これにマスメディアや商業が加速をつけ、人間は自分でも知らないうちにそれを特別視するようになったのではないだろうか。
 バレンタインデー、クリスマス、誕生日、子供の日、各種宴会、まぁ、その他諸々。

 今はわざわざ祝うまでもない。
 なぜなら普通は子供も大人も、そう簡単には死なないようになったからだ。
「年が越せない」なんていうのは冗談でも使われることが少なくなったし(昭和生まれならでは)実際に年貢の納めどきってやつで悪代官によって見せしめに処刑されることもない。

 七五三でお祝いをするのも、大晦日、お正月と祝うのも。
 人間が生きているということが、容易ではなく、特別であることを知っていたからこそ生まれたのではないだろうか。
 だから祝ったのだろうし、自然と神々に(あるいは人々に)感謝をしたくもなる。

 それだけ昔は人が生きるのが難儀だったということだろう。

 今は生きているのが当たり前だから、何を祝っているのか分からない人も多いのではないだろうか。
 少なくとも、私は分からない。
 祝ったって祝わなくたって、生きていられる。
 死ぬほど困れば祈りもするが、そんなに困らないようにと作られた社会ではないのか。
 だから分からなくても問題ないと思うし、分かる必要もないと思う。
 分からないことが幸せの証なのだ。

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 祈りが感謝に、感謝が祝いに、祝いが祭りになり、けれども昔は、それはあくまでも手段だった。
 神々に、豊作に、隣人に、人々に。
 自分が生きていること、大切な人がともに生きていること、その感謝を表現するための。

 感謝しないでは生きられなかったのだから、当然、命の重みも今とは違ったものだろう。

 今は豊かになったから、感謝しなくても生きていられる。
 徐々に手段は目的となり、本来の意味を失い形骸化していったのではないだろうか。

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 生きることも同様で、生きることが目的だった大昔と違って、生きることはただの手段になった。
 その手段を使って、何をするべきか。
 まぁ、そこまで考えが及ばないこともあるのは過渡期だからだろうと、都合よく考えたい。

 本当に感謝の気持ちが鐘のように鳴りやまない、ということも確かにごくごく稀にあるが。
 そういうことは一般に騒がれる「お祭り」とは関係なしにやってくる。

 思った時に感謝すればよいのである。
 コンビニエントな指向性が時代の先端だと私は思っているから、間違ってはいないだろう。

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 たとえば恋愛についても同様で、十分に豊かになったにもかかわらず、いまだに人間がハレとケの原理意識を捨てられない場合、ついつい好奇心や射幸心が先に立ってハレの部分に目が行ってしまう。
 要するに、いつでも浮気相手や愛人の方が可愛く見える、ということ。

 もちろんそれはそれで結構なことだと思う。
 物質的にも、精神的にも(それ以外に知識や経験も)豊かでなければ、そういうことは不可能だろう。

 ただ恋愛に限らず、人間関係や仕事、趣味など人間の持つすべての活動において、好奇心や目新しさだけに目が行ってしまうと、それはそれで何かを見失うような気がする。

「女房と畳は新しい方がいい」なんて、タチの悪い冗談もあったものだ。
 同類の方向性に「女性は若い方がいい」とか「女性に年齢を尋ねるのは失礼」という考え方がある。

 私にはそれらの概念がさっぱり理解できない。
 まぁ畳は新しい方がいいが、奥様は畳ではない。
 それを自身の片割れとして認識する場合には、古くても、馴染んでいることが大切である。

 これは工具などでも一緒で、高くていいものほど、馴染むのに時間がかかるぶん、馴染めば手放せなくなり、また長持ちする。
 電化製品が高級品であった頃のものは、だいたいが丈夫にできている。
 使い続けて飽きない雰囲気を持っている。

 最近のものにはそうした「残ろうとするテクノロジのカタチ」があまり感じられない。
 来年になったら飽きられて捨てられそうなモノ。
 来月に登場するものに負けそうなテクノロジがほとんどである。
(利口な人なら、そのほとんどが上塗りだけいじって、名前を付け替えただけのモノだとすぐに分かるだろうが)

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 女性と話すことが年齢しかないというのも、かなりつまらない状況だけれど、そもそも「年齢を口外したくない」なんて本気で言っている女性というのは「若い女性ほど価値がある」という、バカな男性の理論を認めていることになる。
(それ以前に「年齢に何の価値がある」と言えるようになれば、それが正しい)

 若い方が価値があるとしたら、赤ん坊が(より厳密には受精したばかりの胚が)もっとも価値があるということになる。

 そこにあるのは可能性であって、より正確な意味での価値ではない。
 可能性とはつまりギャンブルであって、当たればいいけれど、そのぶん当たることは少ないといっていい。
 受精しない卵子と精子の数を考えれば、すぐに分かりそうなものである。

 ムダに年齢だけを重ねてしまった場合は、確かに難しいかもしれないが、それでも取り返しがつかないわけではあるまい。

 若さと引き換えに手に入れられる「価値」があるはずで、それはただ「若さ」を持っているだけではどうやっても手に入らないものである。

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 これはテクノロジと同様の問題である。
 現在は未来よりも可能性に満ちている。
(「未来は可能性に満ちている」というのは視点が現在にあるからで、所有している可能性は未来よりも現在の方が大きい)
 しかし未来に至るまでにはその時間を消費して、今は実現していないものを実現できているかもしれない。
 価値とはそのように、可能性よりも確固とした機能ではないか。

 昔、人間の価値はそうやってはかられていた。
 今だって、基準が少しズレているだけで、本来の価値は変わらないと私は思う。

 よって「ガキはひっこんでろ」というのは常に正しい大人のあり方だ。
 現代は「ガキ」の定義を年齢で判断したりするが、これだけ多様化が進んでいるのだから、それは絶対ではない。
 10代で「ガキ」を脱ぐ者もいるし、いくつになっても「ガキ」が脱げない者もいる。

「自分に価値があるか自信がない」なんて、いい大人になったら口にするべきではないだろう。
 自分が、持てるすべてを削って、時に痛めつけられて、そうやって傷跡のようにカラダに刻み込まれたものが、時に価値となる。

 いわば宝石のようなもので、その価値は外部からしか観察できないかもしれない。

 けれども自分以外の人がどう感じるかをきちんと知っていることが優しさであるとするならば、
 優しい人はすべて、自分の価値をきちんと知っているものである。
 そしてその価値は、謙遜するでも誇示するでもなく、そこにある小さな光としてきちんと認められるべきものだろう。

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 私は日常を、平凡さを愛している。
 特別である必要を感じないし、特別でありたいとも思わない。

 日々が平穏無事に過ぎ去ってくれることが、どれほど喜ばしいかを忘れたくないし、時折振り返って、それがどれほど奇跡的であるかを感謝せずにはいられない。

 そんな、ありきたりを大切に過ごして。
 削られながらも生き残れる、
 そんなカタチでありたい。



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青猫工場 〜 Bluecat Engineering 〜
猫に小判と申しまして、巨額の借金の返済に充てても焼け石に水になってしまうので、パイプ煙草の葉っぱを買おうと思います。 それかマタタビ、あるいはキャットフード。