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美人を優遇したり収入をみたり身長を見たり恋愛遍歴をみたりインスタに投稿してる写真を見たり。
付与されたものや持っているものに何か意味を見出して、自身存在の意味を求めてる。そうじゃないと、自分の存在がつまらなくてやるせなくて、悲しいまま死んじゃうから。
でも結局ただ生きているだけなんだ。
人に言われるこうしたほうがいいああしたほうがいい、ああそうすればよかったって人生で死ぬほど直面してきたけどもうやめようと思った。そう思うなら今からでもやればいい。別にやりたくなければやらないで違う方法で発散すればいい。
世の中の大きな潮流、そして両親の期待する普通に乗ろうとしてみたけどできなかったからだ。
ちょっと落ち込んだ。単純にみんなができてることができなくて、そしてその渦中や望みを持つ人たち、その波に乗る気持ちに共感できなくて残念だったからだ。僕は人の見えないものに共感できることがうれしいと感じるから、色々そのために自分を肥やしたいと思ってるけど、こればかりは何年経っても全く分からなくて残念だった。
常識。それは誰かにとって安心や救いだから、悪いことじゃないけど、でも守らないと悪い、なんてことなど何もない。結局自分が残念に思うかどうか。悲しいことも起こらない。自分が悲しむかどうか。それに付随する出来事に悲しんだり喜んだりしてるだけなんだなーって。
それぞれの場所にそれぞれの普通や、善が存在しているだけ。その中で居座れる、気持ちよく息ができる場所を見つける。その連鎖。
いる環境のなかでみんなと同じは、実はちょっと怖いって感じるのかなとも思った。
結局なりたい自分に人間はなっていくし、なんかだいたいみんな知らない間に演じてる。みな心の中に小さい怪物を飼っていて、そいつの機嫌を取るためにああでもない、こうでもないと試行錯誤する。
欲深くて良い。偉そうなこと言ったり大口叩いたり耐えて黙ってる人も団結する人も、みんな各々の怪物の機嫌をとってる。欲が表れてる。くだらなくて、不器用ででもとてもかわいい。いいじゃん欲張り。私もそうだよ。それは恐ろしいことでも遠ざけるべきことでもない。アウトプットの源流。その怪物を美しく飼い慣らせたら人生はバラ色って言われるみたい。やってみたいね。今頑張ってる。
僕は今日もでかい声で笑ってそのまま眠って、また新しい日々を更新していく。
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