20210112
多分社会的に死んでしまうことが怖いから僕は頑張るんだろーな。とか。思いかけてきてる。
誰にも必要とされなかったり、残念な目で見られることがいちばんの恐怖になってる。生きてる上でいちばん怖いのがそれ。
自分が必死になってることとか、打ち込んでることに対して興味を示されなかったり変だとか言われたりしたことが人生の中で人より多すぎたのかしら。確かに僕は物事に出会ってから夢中になるまでのスピードが人より早くて、それに深くまでのめり込もうとする。結構それってみんなそうなのかと思ってたけど意外とそうじゃないみたいだ。あー意外と個性的なとこなのねって、最近気づいた。
多分人によっては、そういうことが珍しい人もいるから、変に見えたりおかしく見えたりするんだろーな。逆に羨ましくおもわれたりもするのかな?凄いねって言われることもあるから。嘲笑の裏返しなのかもしれないけど。
これさー考えると高校時代苦手な女の子のこと思い出しちゃうからやだな。ここに書いて発散しとこ。
僕が好きなこととかノートのペンの色の選び方まで凄い否定してくる女の子いて。特にさ、テスト勉強用のノート開いてやってたら、色見にくくない?センスないねって言われて、その隣にいた違う頭いい子が助け舟出してくれて、私はこの色と、あと自分だったらあれも使うな〜って話に切り替えてくれたとき、わかる〜って寝返られたの凄い怖かった。自分が世界で一人ぼっちみたいに思えた。そして同時に、海がひらけて見えたんだよね。学校の最寄りに間も無く着くとき、電車の車窓から海の景色が目の前に広がるのが見えるんだけど、その瞬間と会話の絶望感が被ったの。凄いやだな。すごい、嫌なんですよね。今でも思い出す。楽しいはずのことも全部楽しくなくなっちゃうみたいで、そのあと何話したらいいかわかんなくなっちゃったのはっきり覚えてる。
最後の年同じクラスになって選択授業一緒で、会話する機会多かったしまあまあコミュニケーションできてたと思うけど、内心嫌いとか馬鹿だって思われない様に一生懸命考えながら振る舞っててすごい辛かったな。今だから思える。些細なことだし、好き嫌いを言うか言わないかその基準は人それぞれだから、まあしゃーないよねっておもうけど、自分にとっては恐怖だったな。自分と関わる人には、こんな思いさせたくないなって思った。
だから多分それトラウマ、今大切な人が自分にとってたくさんできて、ありがとうって伝えたい人もたくさんできて、それが自分の未熟さで断ち消えてしまったらどうしよう、失敗したらどうしようって気持ちが、そこら中に滞留している。
とにかく安心しろって言い聞かせてる。
自分は自分でいいんだよってことと、とにかく積み上げていくしか、自分がよし!って思いながら進める道はないんだよって。
あと、高校時代の「青春しなきゃ!」みたいに、誰かの理想郷を体現して羨ましく思われようとしたり、いかに満たされるかを照準にして人生を急がなくてもいいんだよっていうことも。
今んとこ、どんな状況でもそばにいてくれるのは自分しかいなくて、ウンウン唸ってるけど、みんなそうなんだよな〜孤独と闘って自分のこと見つめ直したりとか誰かといることを選んだりとか自由に選択してる。
がんばる
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