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4泊7日で小笠原一周の旅
一週間ほどお盆休みがある。
当初は、青春18きっぷでも使って、2泊か3泊くらいでその辺りをちょろちょろしようと思っていたのだが、ふと弟が父島で働いていることを思い出した。
父島に関する知識はほぼなかったが、おがさわら丸を使って片道24時間かけて行くらしい、一度行ったら1週間は帰ってこれないらしい、世界遺産らしい、程度の知識はあった。(この程度の知識しかなかった)
小笠原海運のホームページから、おがさわら丸の空席を調べてみると個室の席は埋まっているが、一番安い2等和室の空席はあるようだ。
(後々知ったのだが、おがさわら丸の夏のチケットはプレミア化していて、予約はなかなか難しいらしい。僕は乗船10日前とあまりにも直前に予約をしたため、島民のために確保されている枠が放出されたから予約できたそうだ。)
8月9日東京を出発し、15日に帰ってくると現地4泊小笠原の滞在としては一番短い日程だが、海にあまり興味のない僕にとってはちょうど良い日程だと思って予約をした。
1日目 船に乗る
関東に住んでいる人は、離島によく行くイメージがある(偏見)
東京港や調布空港から、東京の離島に向けての船や飛行機が割と充実していて、1泊や2泊で気軽に行けるからだと思っている。
神戸から出発する僕は、とにかくまずは東京に行く必要がある。羽田に飛んだ。
羽田から、田町にあるくまざわ書店で行き帰りの船中での暇つぶしに本を買い、浜松町から竹芝桟橋まで一流企業のでっかいオフィスを横目に歩いて向かった。
竹芝桟橋から道を渡ったところに最後のファミリーマートがある。
そこで、チケットを印刷し、お昼ご飯とおやつとお酒を買い込んだ。
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船に乗った。一番安い2等和室は、いわゆる雑魚寝部屋みたいな場所である。
こんな狭い場所に24時間は気が狂いそうなので、いち早く一番上の階にある展望ラウンジの座席を確保した。
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11時に出航してしばらくは電波もある。東京湾の中なので揺れも少ない。小さい船なりに快適に過ごしていた。
船は浦賀水道を抜け、太平洋に出る。この日は東の海上を台風が北上しており、結構な揺れを覚悟していたが、案外余裕である。
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八丈島のあたりで、揺れが強くなってきた。
眠気が全くこないので、レモン酎ハイで眠ろうとしたが、揺れとアルコールで気持ち悪くなって横になった。
あまり眠れない中、6時には部屋の電気が点く。
どうせ11時まで船は降りないんだから、8時くらいまで寝かせてほしいと思いながら、朝食に向かった。
2日目 島の初日
船の食事は高いが、朝ごはんは500円と割と良心的である。
朝ごはんを食べてもう一回横になってからデッキに出ると、そこからは父島列島の島々があった。
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浦賀水道を抜けてからこの20時間ほどで、遠くに見える島陰の他は海鳥しか見ていない僕にとって、父島はとてつもなく大きい存在に感じた。
(実際に見えているのは弟島と兄島で父島は少しだけしか見えていない。)
12時間以上ぶりにスマホが繋がったのもホッとした。
弟が原付で港まで迎えにきてくれた。
バスの時間まで時間があるので、父島の世界遺産センターの寄って、彼はバスで荷物を運んでくれ、僕は原付で彼の家に向かった。
小笠原の住宅はある意味東京だ。
全ての資材を本州から運搬してこないといけないので、田舎ではあるが家賃は東京並みだなと思う(東京に住んだことないけど)
家に荷物を置いて、僕たちは近くの小港海岸に行くことにした。
この日、僕が持ってきていたものは、室内プールで泳ぐ装備とラッシュガードしかない。
水中眼鏡にシュノーケル、フィンとモリを持っている彼と比較するとあまりにも貧弱すぎた。
1時間ほどで2匹モリで魚を突いて、これが今日の晩御飯にするというあまりにも島っぽいスタートから始まった。
その後、バスで父島の中心部に行き、スーパーで買い物をした。
おがさわら丸が入港する日は、内地から生鮮食料品が届く日でもある。
野菜を中心に小さい冷蔵庫に入りきらないほどの食品を買った。
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3日目 西島へゆく
この日は、地元のNPOの人たちと一緒に、父島から船で10分ほどの場所にある西島という無人島に行った。
西島に行く前に、靴とサンダルの裏側にお酢をかけられた。これは野生のマイマイ(カタツムリ)を保護するために外来のプラナリアを持ち込まないようにするためらしい。
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西島まで船で行き、岩場みたいなところで島に降り立った。
ここから10分ほどかけて島の中心の方向に行き、そこで僕たちはモクマオウともう一種(忘れた)の見分け方と、根っこの付近に穴を開けて農薬を注入して枯らす方法について習った。
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ここから1時間ほどその作業を繰り返す。
島は、それらの木によって覆われているので日陰だが、温度も湿度も高く汗が一向に乾かない。
今回の参加者の中でいちばん冷房の下で暮らしている時間の長い僕は、すぐにバテてしまった。島の人、すごい。
昼食を食べたのちに、林の中で少し昼寝をしたが、帰りの船の時間まではまだまだある。
他の参加者はこの時間に海に入っていたが、水着を持ってきていない僕たちは、服のまま海に入るのを躊躇していた。が、暑さに負けて海に入った。水で冷やすのはすごいという小学生みたいなことを思った。
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4日目 山へ
父島の山の稜線を都道が走っている。夜明道路という名前が付けられている。
この日は朝から夜明道路を北から縦断することにした。
長崎展望台で兄島とサーチライトを見て、国立天文台の電波望遠鏡の説明を読み、夜明山に行った。
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この場所には、旧日本軍の施設が残っており、道路から少し入ったところにある洞窟に入ってみた。
ただ、この場所はガイドを伴っていないと入ってはいけない場所と偶然遭遇したガイドの人に注意を受けたので、引き返すことにした。
(事前に入手していたパンフレット、この場所にある看板には立ち入り禁止と明記されていなかったので、今回の僕たちの行為に関しては不可抗力としてほしい。)
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次に笠山に行った。
この場所は、村民かガイドと一緒でしか入ることができないと看板に書いてあったので、ちゃんと村民と一緒に入った。頂上付近ははげ山になっているので、これまでの山より景色が一番良い場所であった。
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JAXAの施設の横を通り抜けて、アカガシラカラスバトサンクチュアリに行った。
村民と一緒でないと入れない「サンクチュアリ」に行こうと聞いていたので、てっきり「宗教的な聖域」と思っていたが、実際はノネコからアカガシラカラスバトを守り、ノヤギから植物を守る「禁猟区」という意味でのサンクチュアリということだ。
午後は境浦に行った。
第二次世界大戦時に魚雷攻撃を受けた船がそのまま放置され、80年かかって風化している。
浜から泳いで近づいてみることにした。
今、水面から見えている部分はボイラーの部分で、船体やマストは倒れて海の中に横たわっていた。海用のカメラはないので、海に入ると写真が撮れない。小笠原で海の写真が撮れないとなると写真がとても限られてしまう。
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バスで再度家に帰って、夜は島の居酒屋に行くことにした。
アオウミガメの刺身、これは赤身でマグロと馬刺しの中間みたいな味がする。あれだけ保護しているウミガメを食べることに罪悪感があったが、結構美味しいのでかつて食べられすぎて数を減らしてしまったのも納得できる。
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それから、刺身、島寿司、島野菜の天ぷら、パパイヤのキムチとビールを飲み満足したが、歩いて帰ったので酔いは完全に覚めてしまった。
5日目 最終日前日・母島へ
台風が近づいている。その場所に留まってくれと思いながら7:30発のははじま丸に乗って母島に向かう。
波が高い。台風が近づいているのを肌で感じることができる。
午前8時に帰りに乗る予定だったおがさわら丸の欠航が決定した。
3泊の延泊が決定した。帰りは18日(お盆の最終日)に東京に着く便に振替るしかない。
急いで小笠原海運に電話するが繋がらない。ひとまず、東京から神戸まで帰る新幹線を船の上で急いで予約をした。
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母島に着いた。
船内でスマホを触っていたので、船酔いをしてしまった。行きのおがさわら丸では船酔いをしなかったので、この旅初めての船酔い。
バイクをレンタルして、母島をひたすら北に向かって走った。
尾根で左に、谷で右にひたすら北上する。一車線だがコンクリートで舗装され、この島のメインである軽バンや原付では余裕で離合ができるほど立派な道が続く。
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蛇行した道から一点、滑走路のような一直線の道を突き当たっらた、この島の道路の北端にあたる北港に着いた。
この場所はかつて、集落がありこの道はメインストリートの跡であるが、太平洋戦争中の住民の強制疎開ののちは無人の村になってしまい現在は沈みかけた堤防と木々に埋もれた小学校の石垣のほかは何も残っていない。
北港のすぐ横には東港がある。
近年作られたであろう、立派な堤防があるものの陸上げされた一隻の漁船を除いて、船も人もいないように見えた。
少し南に行ったところに、海軍の砲台跡が残っている。
日本各地に同じような砲台の跡というのは数多く残されており、何ヶ所か行ったことはあるが、実際の砲塔が残っているのを見るのは初めてだ。
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想像するに、数多くの砲は米軍に占領されて、利用されたり資材にされたりで解体されたのだが、母島はあまりにも交通アクセスが悪かったため、放置され今日に至るのかもしれない。
南に植物保全のエリアや海を見れる展望台を経由し、港のある集落エリアまで戻ってくる。
漁協と農協の売店で昼ごはんを物色するが、お土産だけ買い島の南を目指す。
都道最南端のポイントに行き、ヘリポートを見に行き、港に戻る。
帰りの船のチケットを手に入れ、バイクを返却し、ロース記念館に行き、再度港に戻った。
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乗船の時間を待っていると、突然強風に煽られる。
近くのビーチの砂を巻き込み、全身で砂を浴び、船に乗ってからそこに雨も加わる。
ついに、台風が近づいてきたと覚悟をしたが、2時間かけて父島に戻る頃には空は晴れ、風もそこまでであった。
ここまで丸4日。短いながらも小笠原を十分堪能することができた。やりたいと思っていたこと・行きたいと思っていた場所はほぼ行けて満足。
唯一、船が来ないことを除いて。
続く。