磯部一郎さんを偲ぶ
起業家であり磯部一郎さんが2024年9月26日に永眠された。享年46歳
私も磯部さんも癌サバイバーだったのであるが特筆すべきは彼とは全く一緒のホジキンリンパ腫罹患者であった。癌と一言で言っても多様性に富んでおりリンパ腫だけでも70種類ほどありそれぞれ治療法が違う。割と日本では珍しいタイプの癌であり(20代、30代に多い変わり種の癌)、講演会などを多数こなされ知り合いも多くおられた磯部さんも私ともう一人しかホジキン罹患者は出会われた事はないとのことだった。
長くなるが彼を偲んで色々思うことを書きたい。私は経営者ではないが癌と磯部さんという事に関しては私より書ける人はいない筈だからだ。
磯部さんと私の出会い
私と磯部さんがオンラインで出会ったのは確か2021年の秋頃だったと思う。ステージ4まで進行していた初発の癌が何とか寛解し、生きてきてこんな辛い事があるのか、いやこんなもんもう一発この病気が襲ったら死ぬで、と言う経験をしてさあこれからどう生きていこうかと模索していた時期でもあった。サードプレイスラボのFBページを何故か見ていて癌サバイバーの挑戦という1時間半か2時間くらい磯部さんが語っている動画がありそれを見て自分は衝撃を受けたのだった。
同じホジキンリンパ腫罹患者ということでああ、珍しい自分と同じ癌だと思っていたら彼は既にその時に7回は再発されていたと思うがその壮絶な闘病模様、それをポジティブにユーモアを交えながら力強く語る様、その闘病生活の間に幾つもの会社を立ち上げておられると言う事。特に驚いたのは余命宣告されてそれを潜り抜けて退院した日に会社を立ち上げられたというぶっ飛び話。そしてその話の内容に幾つもの共感、感銘を受ける部分があった。何よりも驚いたのは1時間半くらいぶっ通しで喋り続けておられるエネルギーだった。免疫療法の影響で彼は片目と片肺を失っているとその動画の中で仰っられていたので「この人のエネルギーどうなってんの?」とそれは本当にたまげた。しかも何か昨日まで入院していてこのパワポ資料を病院の中で作っていたとか仰られていた。。
こういう人が本当のサバイバーはこう言う人のことを言うのだな、ごめんなさい俺なんて全然サバイバーじゃないわ、この人の言う事をもう少し聞いていたいと思った。余りこう言う事はしないのだがFBでメッセージを送ってその時磯部さんが開催されていたオンラインサロン「Isobu」に参加させて貰ったのだった。
磯部さんの仰っていた事は「健康であろうとなかろうと常に死を意識して生きる事」の大切さを仰っておられた。「人生100年時代とか皆んな言うけどそれは戦略としては正しいかもしれないけどマインドとしては問題があるね」とか「皆んな日本はダメだダメだと言うけれどそう言う人は私のように癌が何回も再発したらダメだとか言うんでしょうね」とか金言だらけだった。何処かで仰られている事は
健康と癌闘病について
癌にならないように予防する、保険に入る。それと同じくらい大事なのは癌罹患した時でも精神的なレジリエンス力を持つかだ。それは世間で言われている気合いとか根性とかそう言ったものは殆ど癌サバイブには役に立たない。磯部さん曰く「検査結果が良かろうが悪かろうが一喜一憂しない事、それが心に余白を作る事になる」。
「べやっちを見ていて健康が大事だとつくづく思ったよ。」と病院への送り迎えを突然申し出てきた先輩が吐き捨てるように言った時、何故だか腹の底から違和感を覚えた。「へ〜じゃ彼にとって今の自分てダメなんだろうな。」とか「病院で自分が何人も見てきた何年も闘病している癌患者さんの人生をその言葉で否定しているなんて分かってないんだろうな。」とか。その憐れみの眼差しが癌患者の力を奪っているのを分かってないんだなと感じた。
いや彼だけではない。良い健康を届けるという事を言葉で謳っている運動指導者の9割9分も健康の何たるかなど分かってない。それは何かというと人間は物質世界の生き物でなくスピリチュアルな生き物であるという根本的な理解が欠けている。死生観が欠けている。人間は身体を整えることでより良い生活を送る事ができる一方で身体の健康を失い死に至るのも必然なのだ。その絶対矛盾に目を向ける眼差しが欠けている。
癌闘病は高い山に登るようでもあり、深い海に潜るようでもある。意識朦朧とした意識の中一歩一歩登っていく。治療が奏功せず癌が再発すればそこには前より遥か高い山が現れる。彼はそんな高い山を次々と走破し最後はチョモランマ級の山を登って降りてきた。彼と話した時磯部さんがチョモランマなら私は六甲山しか登ってませんね、と笑い合った。
その後私は初発癌治療の後遺症を抱えたまま寛解後一年後、再発した。怖いもの知らずだった初発の時と違いメンタルに信じられないほどダメージがきた。そんな時の殆ど全ての支えが磯部さんの著書「生き急ぐ」だった。それだけでなく再発での治療をどうするかの早急な判断が必要な時にホジキンの現在の標準治療を彼の主治医に聞いて下さったりした。彼曰く「癌闘病ほど私を成長させたものはない。それはどんな高額セミナーを受けても今の境地には辿り着かなかった」と仰っていた。私自身も癌治療と同時に磯部さんに出会えてなかったら今の境地には辿り着けなかった自信はある。
人間にとって成長とは何だろうか?殆どは経済(お金)で測っている。格闘家の青木真也さんが「成長より豊かさが大切だ」とか言っていてああ、この人は人の成長を経済でしか測れない人なのだな、と感じた。その豊かさとは何か、人の成長とは何か、救いとは何か、信仰とは、祈りとは?そこを掘り下げる、解像度を上げる事こそが経済面ではなく人間としての今世での成長ではないだろうか。この世の中はお金が支配している部分が半分、半分はお金ではない部分だ。ただこんな事を書くとスピっているとか言う人がいるから人には言わずこっそりこんな所にNoteを書いている自分がいる。
出会って下さってありがとうございます。彼と出会った時、それは彼が余命宣告をされ、奇跡的に潜る抜けた後だった。本当にそう考えると奇跡的な出会い、奇縁だったように思える。
死について
彼は生死を彷徨う経験をして、そこから死に向かう黒いトンネルが見えるようになったと言う。そもそも3ヶ月に一度は入院してその何処かで命を失ってもおかしくなかった。そんな人生をCRPが常に15を超えた状態で癌が何cmもある状態で起業家として10年も生きた。最終的な再発数は確か12だったと思う。まさに一寸先は闇。それを言葉や方便で言う人は多いけど彼にとってはそれがずっと現実であった。だけど一寸先が闇ならば今いるこの生きている瞬間は光である。変な話だが闘病生活の中では自分の中でずっと光に包まれていたんだ、という反転が起こり感謝が勝手に沸き起こり涙するという経験は自分も何度かあった。彼はその光をずっとずっとリアルに感じていたのではないか。それが彼の底抜けのエネルギーでありユーモアだったり、人を惹きつけたり、照らす力になってたのではないだろうかと邪推するのだ。死が彼に力を与えていたのだ。
磯部さんの体癖とホジキンリンパ腫
磯部さんのXの投稿にこのようなものがある。お亡くなりになる1ヶ月前の投稿だ。
私はこの磯部さんがこの投稿をポストされた時、私は丁度、体癖論を受講しに東京へ出てきておりその時に講師の方が「7種体癖は社会的成功を目指すが挫折の克服も込みでそれを達成しようとする」という事を仰っていて「うわ、磯部さん7種だわ」と思った。だって磯部さんはあくまでも起業コンサルタントとしての自分の軸を失わなかったし「社会」に貢献するという事が最後まで、最後の投稿にもそれが現れている。
彼との連絡は去年の12月を境に途絶えている。私は経営者ではないが癌サバイバーとしては磯部チルドレンだったと思う。それぐらい彼の病への向き合い方を信仰していた。その彼から何故最近何となく離れて自分で自分の世界を追求したくなったのだ。それは「一つ間違えば自分の身を焼き尽くす彼のあり様」をこのうえもなく尊敬しながらも、本能的に自分のあり様とは違うと悟ったからかもしれない。
彼は自分の内部の怒りを病を理由づけている。それは私も同じ事を感じている。病気の前の数年間は自分の中で「怒り」が充満していた。それは主には上司とその上司に対してであり、その頃のメモを見るとその怒りをずっと反芻している過去の自分に会う。ホジキンリンパ腫でお亡くなりになった瀬古昴さん(日本のマラソンランナー瀬古利彦さん)の本にも病気発症前の世の中やお父様への怒りが書かれていた。となるとサンプル数は少ないものの「怒り」と言う感情と「ホジキンリンパ腫」の関係について浮かび上がってくる気がする。
野口整体では「病」を過去の自分の脱皮と捉えており、例えば風邪は治すのではなく通過させるものであるとしている。野口晴哉さん曰く、人の身体は風邪を引いた後は引く前に比べ弾力性などが上がるものらしい。彼は何回も脱皮した、それは命懸けだったかもしれないけれど。
磯部さんの最期
免疫治療薬キートルーダが奏功しなくなって一旦アドセトリスという抗がん剤で癌を縮小させてからキートルーダ→2、3年に認可される予定の新薬というクリティカルパスを彼は描いていた。ただそれは蜘蛛の糸をつたうような途方もなく細い道に見えた。アドセトリスは磯部さんも私も経験がありそういう意味ではそこまで心配していなかったのだが抗がん剤の副作用が想定外に今の磯部さんのお身体には強すぎ結果としてお亡くなりになってしまった。医者が驚いて学会で何回も発表するくらい不思議な力を使って何回も蘇ってきた磯部さんにとってもそれは少し想定外だったかもしれない。
だけど最後のXの投稿は凄すぎた。誰が亡くなる12時間前にこんな投稿できるんだよ。完全に精神が肉体を凌駕している。本当に凄い人だった。死に様に生き様が反映される。それらは地続きなのだから。
室町時代の僧、一休さんの最期の一言は「死にとうない」だったと言う。この話もそれを持ち出して人間を矮小化する人も大嫌いだ。生が多様であるなら死も多様である。それが磯部さんの高邁なXの投稿がそれを教えてくれる。
彼はもはや助からないと言う事を1週間前に知り、彼の事業はそこで終了した。そこから彼は1週間何を思ったのだろうか。彼は我々に別れを告げたくなかったのであろうか。いや彼は最後の時も自分の内面を見続け、最期の瞬間まで熟成させ続けたのだ。
死者が勇気づける事があると名越康文先生は仰っていた。この彼のXの最後の投稿は私を一生勇気づける光となるのだろう、と感じる。