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【映画鑑賞】今月からのベストムービーは「首」(2024年7月:6本)

7月になって私はますます元気です。でもいつもなら海に行きたいな、サーフィンしたいな、旅行きたいなとなるのですが自分は相変わらず身体について学ぶ事、身体を整える事について拘っています。無菌室から出て2年半。無菌室の中で自分自身の中で誓ったこと。そこから2年間は身体について学ぶ事に集中するでした。そしてその通りに生きてきました。

恋愛もしようともしませんでした。いや自分に正直に生きようとすればするほど出来なかった。恋愛は異性からエネルギーを貰う事でもあるがエネルギーを与える事でもあります。自分に集中する&集注するというのはそれを捨てるという事でもあります。いわゆる身体が健全な人はそれを中々理解して貰う事が出来ません。

今月はバック転パーソナルという奴を受けてきました。

私はまだまだ身体と心を整えていく事と学ぶ事に集中して行きます。身体がきっと私の行くべき先を教えてくれるでしょう。それはひょっとしたら異端の生き方かもしれません。確信とワクワク感が自分にとってそれが正しいことを教えてくれる気がします。その生き方が正しいかどうかは死ぬ時にわかるでしょう。

【第1位】首(2023年 Netflixで視聴)

戦国時代を北野武が描くとこうなるよ、というお話。所詮人間て性欲と権力欲しかないのよ、とせせら笑っているようなアンチロマン映画。
ただ不快感が全く残らないのは達観、透徹した北野武の世界観があるからだろう、行き切ったその世界観はむしろ人間愛すら感じる。

加瀬亮演じる織田信長の狂いっぷり
北野武演じる羽柴秀吉の俗物っぷり
西島秀俊演じる明智光秀の無駄すぎるイケメンぶり
遠藤憲一演じる荒木村重の気持ち悪さ
岸辺一徳演じる千利休の胡散臭さ
演技を全くしていないのに存在感のある木村祐一

北野武の頭の中の妄想。首が次から次へと飛ぶグロさ。悲劇と喜劇は同居する。それが見えるのは羽柴秀吉の「早く死ねー」とか「光秀が死んでいるのわかれば首なんかどうだって良いんだよ」と首を蹴飛ばすシーン。信長が死んでショックで体調が悪くなったふりして裏で秀吉がクスクス笑っているシーンなど。秀吉をここまで胸糞に描けるのは武監督の真骨頂やね。

【第2位】ポーは恐れている(2023年 Amazon Primeで視聴)

やっと観れた、2回に分けて観たよ。

ミッド・サマーは何かしらメッセージ性を感じたものだが今回は何一つない。伏線が何一つ回収されない。3時間投げっぱなしジャーマンの映画なのだ。

混乱の中観終わった後、幾つかのレビューを見ました。アリアスター監督によるとこれはコメディらしい。いや、無理無理無理。クスりともしなかったですけど!!

ポーは題名通り恐れている人で薬を処方されている脅迫性障害か統合失調症である薄汚い中年男性だ。夜寝ようとしたら「音楽を消せ」というわけのわからない置き手紙が置かれ寝坊した上に部屋の鍵がおかしくなり実家へ行くための飛行機に乗り遅れる。外には頭のおかしい人だらけでボーは「恐れている」にも関わらずその恐れ以上の事が起こり続ける。勝手に部屋を占拠されどんちゃん騒ぎされてやっとの思いで部屋に戻って母親に電話すると母親はシャンデリアの下敷きになって死んだと別人から電話が入る。その後天井に張り付いた男が落ちてくる。

母親の葬式に出かけようとしたら車に轢かれ、轢かれた車を運転した家族の娘の部屋で目を覚ます。よくわからんすったもんだの上何故か狂った娘が車で葬儀場まで送ってくれる事に。マリファナを吸う事を何故か強要されてぶっ飛ぶボー。傑作なのはその後その狂った娘は一回も登場しなかった事だ。え?え?どういう事?

ここまで書いて筋書きを次の日には忘れている自分がこの3時間の映画のあらすじをかなり覚えている事だ。濃密にして過剰。昔松本人志の笑いがこんな感じだったのを思い出した。それよりももっと濃縮された消化され得ない栄養過剰の生肉を口に放り込まれている感じだった。それが3日経った今やっと体内で消化出来たという事なのか。

ポーは明らかに病気だし、せん妄が酷いのだろう。クリストファー・ノーランのインセプションは夢と現実の境界線はあくまではっきりしている。だがこの映画ではそれすらもわからない。だがこうして生きている我々だって多かれ妄想の中で自分の物語を生きているだけだ。後半社会的に成功した狂った母親が出てきた事でこのストーリーはトゥルーマン・ショーのように母元を離れた筈が24時間監視で母親脚本のもと手のひらで踊らされていた可能性も見える。

いずれにしてもアリ・アスター監督の家庭は恐らく結構特殊でユダヤ人である事も関与している。こういう問題作は映画マニアの友達とあーでもないこーでもないと語るには良い映画だろう。

2、3年経ったらまた観たくなる映画かもしれない。

【第3位】君は行き先を知らない(2021年 イラン U-next視聴)

映画館で見逃したあのオバマ元大統領も絶賛していたというバナー・パナヒ監督の映画。パナヒ監督の映画の背景はつねに政治に対する批判、政情不安にたいする憂いがある。

この映画には小さい男の子がいて常に煩い。恐らく物心つく前の子供なんだろう。長男と父親、母親は車で何処へ向かっているのだろう。この男の子と同じく観客も良く分からないまま物語は進む。

この映画はまずロードムービーだ。美しすぎる景色、途中にウルミア湖はいつか行ってみたいなぁと旅人目線で見ていた。この映画は家族愛の物語でもある。長男に対してストレートな愛をぶつける母親、リンゴを食いながら言葉は少ないながらも不器用に長男に接する足を折ったドジな父親。

個人的に好きなシーンは自転車のロードレース中の選手をハネてしまい狭い車へ招き入れるシーンだ。狭い車にハネてしまった選手を同乗させ、その中で繰り広げられる会話はコメディに近い。その自転車選手は結構含蓄が深い言葉を発する人で「悪事かどうかは境界線の引き方だ」とか言ってておお、成る程と思ったのだ。人間はモラルに縛られていてそれが人間らしくある所以だがそれは本当に人それぞれである。時間に遅れることを究極の悪だと思う人や言葉遣いに引っ張られる人もいる。それぞれがそれぞれの世界線を生きている為に好き嫌いがいつの間にか良し悪しにすり替えられる。それはイランに生まれ育った監督の憂いのように見えた。

この家族は長男を失い、そしてかつてから病気である愛犬も失う。残されたのは次男の喧騒の名残りと豊か過ぎる自然が希望として残る。それは監督自身の偽りざる心象風景なのだろう。

【第4位】地球交響曲 第6番(2010年 某スタジオで視聴)

最近地球交響曲を毎月観ているがこれは結構もう一回見てみたい映画だと思う。

出てきた登場人物↓
ラヴィ・シャンカールというビートルズとも交流がある伝説的シタール奏者、ケリー・ヨストという知る人ぞ知るアイダホのピアニスト、ロジャーペインという鯨の歌を研究している海洋生物学者。

この映画は難しい。音楽って良いよねーと言う以上に示唆するものが多いからだ。
ラヴィ・シャンカールの「音は神なり」と言う言葉、ロジャー・ペインの「音楽は人間や鯨以前にあり、むしろ音楽が人を作った」と言う言葉だ。

本当の音楽は人間の自我(エゴ)を殺した所にあるのだろう。数日後に「意識は人間より先行する」という映画を観た。音楽は所謂宇宙の重力波なのかもしれない。

人間もチャクラを開けば虚空を聴けるのかもしれない。デジュリジユ奏者の楽器にてんとう虫が寄ってきたのは何故だろうか。てんとう虫は神を感じているから寄ってくるのだろう。

ここ数日Spotifyでケリーヨストのpiano reflectionを聴いている。改めてクラシック音楽の持つ余韻、空白の豊かさを感じる。それによって自分の中で何かが変わるかもしれない可能性を感じながら。

【第5位】Count me in(2021年 イギリス U nextで視聴)

ロックが好きだった大学時代だったら堪らない映画だっただろう。或いはドラムをやっていたならば。

レッチリのチャド・スミス、ザフーのキース・ムーンの存在感が半端ない。後このワイルドなドラマー陣の中でモトリ・クルーのサマンサ・マロニーとサンタナのシンディ・ブラックマンという女性ドラマーがこの上なくカッコ良い。

【第6位】聖なる犯罪者(2019年 ポーランド/フランス Amazon Primdeで視聴)

娯楽映画なのか考えさせる映画なのか良く解らなかった。

生と聖と性は表裏一体で地続きなのかなと感じた。主人公のダニエルはムショ上がりで薬をギンギンに決めてクラブのトイレで女子大生とセックスしてる。
何故か偽聖職者としてとある街で司祭となり元々先天的に宗教の本質を掴んでいたダニエルは街の中で人々の心を掴み動かしていく。

司祭の娘の生足とかダニエルと性的な関係になっていく過程とかがエロ過ぎる。罪を知っているという事が生と性と聖に繋がっていくのかな、とは思ったが自分の中でまだそこが整理されていない。

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