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不登校→社会人+学業 を振り返ってみて

自分は、中学校卒業と同時に社会人となり働き、1年ほど通信制の高校にも在籍していたことがある。
最初こそ、時間が掛かってもいいから卒業したいという思いはあったが、中学で不登校となり、勉強から遠ざかっていた自分にはとてつもなくハードルが高かったと記憶している。

レポートを提出して、月に1回程度近隣の協力校に通うことで単位取得をするかたちだったのだが、基本的には自主学習。
基礎学力、学習方法が身についていない自分にとっては比較的難易度の低いであろうレポートにも苦戦していた。

それに加え、社会経験のない子供が、親子以上に年の離れた人達と働き、自身の生活費を稼ごうというのだから更に難易度は跳ね上がる。
正直、働くだけで消耗しきっていたし、とても勉強のことまで気を回す余裕はなかった。

学習支援があれば、それで良いかというと、そういうわけでもなく、勉強や学習方法を指導してもらえたとしても自分のように、生活費を稼ぐために働くとなると、学校の勉強への優先順位はどうしても下がってしまう。

今だとブラック企業と言われるかもしれないが、当時、早朝から割と遅くまで働いていたので現在よりハードワークだったかもしれない。(手当てはしっかり頂けたので仕事の充実感はあった。)

そのほかにも、家庭内での諸問題も抱えるとなると、10代の未熟な精神状態ではなにかと負担が大きかった。
雇用形態はともかく、
お小遣いを稼ぐ程度に働くのか、
生活費全般を賄うために働くのかは大きく意味が違う。
もちろん、その中でも学業をこなしている方はいるので、そういった方々には尊敬しかありません。

言い訳のような文章となってしまいましたが、不登校から社会人となり高校も卒業しようとしていた自分の実体験と振り返り。

結果、仕事をとり、卒業は叶わなかったわけですが、自身、家庭、経済状況様々な面で課題が多くなると一点のみ支援があっても効果がありません。社会人としてフルタイムで働くと、そもそも支援を受ける時間がない。
それに支援の手があったとしても保護者の一筆が必要なことも多く、子の独力では解決できない問題も多い。
そこで親子関係が悪い場合にはどうしようもない問題が出てくる。
今は成人年齢も引き下げとなり、自分の時とは状況が変わってきている。
それでも、社会経験のない若年層が、自己判断、自己責任でできることには限りがある。

中学校卒業後は、義務教育ではないとはいえ、就職するには大概の場合、高卒以上の学歴が必要。

フリースクール、その他の居場所ができていくことも素晴らしいとは思うのだけど、学びの母体となる学校そのものが良くならなければ意味がない。

自分が親となって思うのは、今までボランティア精神や、やりがい搾取で成り立っていた教員環境改善、それに伴い、子供達が失っていく教育や体験。ここを如何にして補うか。

生まれ落ちた家庭環境、様々な要因で格差はなくならない。それでも、自分のように一般的なルートから外れずにすむような社会になってほしいと切実に思う。
良いこと、悪いことも含めて、限られた学生期間に人生の糧となる経験が積めるよう自分自身、我が子のことも含めて考えたい。



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