3.「親にならない」という選択について_その1

筆者は、初めての記事で記載の通り、子を持たないという選択をしている。

今回の記事からは、
親にならないという選択に至った経緯等を記述していければと思っている。

類似の経験をしている人はみな親にならない方がいいというわけでもなければ、
類似の経験をしていなければ親にならないことを選択できないということでもない。
ただ、筆者の場合はこうであるということ、
そして、誰でもどんな理由でも、
自分の人生の選択をしてよいということをご理解いただきたい。

今回から数回は、親にならないという選択に至った経緯を
「<1>精神的な切り口」というカテゴリで記述していく。

<1-1>幼少の頃の経験

■母の言動
 感情の起伏が激しく、余裕がないとヒステリックになりやすい母だった。
 同居の義両親(筆者の父の親)との確執がその原因の一つだろう。
 そのため、なるべく常に機嫌を窺っていた。母にとって気が利くことが正義だった。
 そして、他の家族よりも共に過ごす時間が長かったため、
 私の愚痴以外の愚痴はほとんど聞いていたと思う(私の愚痴は姉に話していたのだと思う)。
 以上から、ACタイプでいうところの“プラケーター”や“リトルナース”が合致しやすいだろう。

■姉との比較
 筆者には歳の近い姉が1人いる。優秀な人だ。
 筆者との大きな違いは「継続という努力をできる人」ということ。
 継続ができることは彼女の優秀さの礎となり、学生時代は幅広い分野で良い成績を残していた。
 筆者には継続という努力が難しく、幅広い分野でよい成績を出すことも叶わなかった。
 そして外見も全く似ていない。
 姉は、父譲りの丸く大きな二重の目元に、母譲りの小さい鼻と小ぶりな唇で構成された顔立ちだ。幼い頃はスカウトを受けたことがある(引っ込み思案ということもあり断ったが)。
 この姉とセットで扱われるのは、幼少の自分にはなかなか辛かった。
 姉にできず筆者にできることも多からずはあった。それだけがよりどころだった。
 そして家族含めて周りの大人は、悪気無く私と姉を比較した。
 お互いがお互いのコンプレックスとなり、
 お互いをお互いの領域に入れないようにと静かに離れていった。

ここまでがおおよそ物心ついた頃から小学校の卒業までの経験だ。
この経験が記憶となり、そして反芻され、「子」という存在への罪悪感を生み出した。

次回からは10代前半以降の経験と、それに対する思考について記述する予定だ。
お読みいただきありがとうございました。
凡七

いいなと思ったら応援しよう!