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【危険】「それ知っている」に隠された弊害


みなさんの周りには知ったかぶりをする人はいるだろうか。

知らないことをさも知っているように振る舞う彼らはいったいなぜ知ったかぶりをしてしまうのであろうか。

また、知ったかぶりの弊害について書いてみよう。


知っていることが偉いという風潮


なぜ知ったかぶりをしてしまうのか。

原因の多くは「知っている=すごい」「知らない=恥ずかしい」という公式が風潮や文化として形成されてしまっているからではないでしょうか。

・知らないことがバレたら恥ずかしい

・わからないと言ったら怒られる

・無知がばれたらバカにされる

このような経験は誰しもがあるのではないでしょうか。


そこには知識至上主義が通奏低音と渦巻いている可能性がある。

テレビをつければ、〇〇専門家 〇〇評論家 〇〇大学卒 〇〇教授と多くの権威と肩書きを並べしたり顔で語っている。

そこにはきっと知識に裏打ちされた信頼があるのだろう。

「知識や権威のある彼らが言っているのなら間違いないだろう」という一種のハロー効果が多くの影響を及ぼしている。


もちろん知識や知見はあるに越したことがない。

ハロー効果は存分に使うべきである。

しかし「知識あることが、立派である、優秀である、すごいこと」という短絡的な公式に当てはめるのは甚だ安直なのではないでしょうか。

我々の世界では、周りから賞賛され優秀とされるには知識があることを誇示し、知識がないことを隠す必要があるわけだ。


知ったかぶりの弊害


知ったかぶりをするということは、直近でバカにされないというメリットがある。しかしそれ以上の弊害をもたらす。

それは「知識の機会損失」に他ならない。

目の前に落ちている「知らない知識」をみすみすと逃すことを選択しているのである。とてつもなくもったいないことをしている。

知らないことをその場で聞くことができれば、自身の知識となり血肉となる。

知とは巡り合わせである。次いつその知と出会えるかわからない。

知のセレンディピティ(偶然の出会い)を大切にすべきである。


例えば

合コンに参加し女性陣を待っていたら、長澤まさみが来たとしよう。多くの男性は一段気合いを入れてスタイリッシュを演じるだろう。

「俺は長澤まさみに動揺してない」そんな平静を装い、高級ワインを声高に注文し紳士に努める。まるでそれが粋であるかのように。

愚かだ。愚かすぎる。

千載一遇の長澤チャンスをこの手で逃そうとしている。

恥をかいてでも、ガムシャラにでも記憶に残らせるか、あるいは連絡先をゲットしなければ二度と会えなくなるかもしれないのだ。


知ったかぶりも変わりやしない。


是非、知らないことや知らない知識に出会ったらガッツポーズをして教えてもらいましょう!



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Takahiro Hasegawa / はっせー
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